コラム

難しい現代文の読み方

はじめに

現代文は、(他教科もそうですが)奥が深く、とりわけ時間内に完璧な答案を作るというのは、たとえ教える立場であっても至難の業です(つまり、妥協や計算も必要になってきます)。

他方で、時間をたっぷりかけて、自分にはこれ以上は書けない、という答案を作ったうえで、解答解説を読んでみることもまた一興です。

特に、難しい現代文の問題(例えば、京都大学の現代文)を読んで、「これはどういうことか」「それはなぜか」ということを、本文と格闘しながら考えることは、思った以上に良い経験になると思います。

 

しかし、いくら「日本語で書かれている」とはいっても、自分で考えて一定の結論を出し、それを修正していく、という「自走」ができるようになるには、ある程度の段階が必要な気もします。

私は、生徒さん含め、勉強は「自走」ができる状態が理想と考えているため、まず(高校、大学入試)現代文の学習においてそれができる前提について、書いていきます。

「文理」解釈は思った以上に奥が深い

書かれている内容を、本文中の表現を手掛かりに、文法や論理に従って解釈していくことを「文理」解釈といいます。

他にも様々な「解釈」のやり方はあるでしょうが、現代文で求められていることは、(ほとんど)この「文理」解釈であるといえます。

しかし、文法や論理といっても、具体的にどう生かせばいいのかということは、わかりづらいのではないでしょうか。

そのため、例を挙げて説明していきます。

主語・目的語・述語

主語・目的語・述語は、一文におけるもっとも重要な要素となります。

例えば、主語とは、その一文における主役、つまり「動作」であれば動作の主体、形容(描写説明)であれば、その説明される対象となります。

これは、短い文であれば把握するのに特別な意識は必要ないでしょう。他方で、一文が長いことや、省略されていることなどが原因で、主語を把握することが困難な場合があります。

 

しかし、難しい文章であればあるほど、主語の把握は重要です。これをスキップしてしまうと、言いたいことがあいまいになり、途中で読むのを投げ出したくなります。

目的語や述語についても同様で、これらの重要な要素と、他方修飾部分(形容詞、副詞)とを区別することは、正しい理解にとって必須です。

※例えば、高校生の方が多く苦戦する「鷲田清一」氏の哲学(エッセイ)の文章では、一文が長いことが多く、上記要素の把握に苦戦される方が多いです。

 

また「省略」というのも、日本語では結構あります。

この場合には、まず「省略に気づく」ということが最も重要です。次に「省略されているのはどの要素か」「何を補えば完全な文になるか」を考えることが重要です。

省略されているのは、「筆者にとっては言わなくてもわかるから」です。そのため、出題文章(や注)を読めば、補うことは可能です。

しかし、この省略の補い、というのもなかなか奥が深く、場合によっては一つの可能性に絞れないこともあるでしょう。

そういう時に、本文の内容を踏まえて、適切なものを選べるかどうかが、大切です。

同等・対比・因果関係

一文同士、あるいは段落同士においても、それらがまとまって一つの「文章」になっていることから、それぞれは相互に関係しています。

関係の仕方は、いろいろあるのですが、とりわけ軸となる考え方は「同等関係(イコールの関係)」「対比関係」「因果関係」です。

 

例えば「同等関係」に注目するのならば、「言い換え」「具体化・抽象化」されているところを探します。

筆者独自の言い方、考え方は、わかりやすく説明するために、別の個所でも言及されていることがほとんどです。

また、自身の意見をわかりやすく書くために反対意見や一般論を「対比関係」として書くことも多いです。

 

さらに、「因果関係」は設問で「なぜか」と聞かれることがあることもあり、重要です。

主張と意見、原因と結果などがこの「因果関係」になるわけですが、文章によっては理由の個所が具体例になっている場合もあり、そういう場合は別の個所を参照したうえで、抽象化・一般化することが必要です。

※書かれている内容の、抽象度・具体度を考えながら、「これはそのまま答案に採用できるな」とか「これは、言い換えが必要だな」と考えることも重要なスキルです。

小括

現代文読解において、理屈だけで解けるわけではない(経験も必要)のは当然ですが、他方で上記の最低限度の理屈を知って、運用できるようにしておくことは重要です。

そして、文章中において何が一文の要素で何が修飾部分なのか、とか何と何が対比になっているのかとか、何が具体的で、何が抽象的であるという感度もまた、一朝一夕では身につかないと思います。

それらを指摘される前に気づけるように、読書や問題演習などを積み重ねていく必要があるでしょう。

「文理」に収まりきらない前提知識

「まっさらの状態」でも、本文をよく読めば設問に答えられる、というのはある意味、危うさを秘めています。

実際には、予備知識、前提知識はあるに越したことはありませんし、何よりその当該テーマについて時間をかけて考えた経験は、必ず似たテーマの文章を読む力になるはずです。

今回は、そのような予備知識について「近代」と例に挙げて説明します。

「近代」について知っておくことの重要性

いきなり(ちょっと前まで中学生だった)高校生が高校現代文を与えられて、当惑するのは「期待されている前提知識の多さ」もあると思います。

その中でも様々な文章で「前提」とされているのは、「近代」と「前近代」の区別です。

これについては、様々な参考書や用語集で解説されているのですが、重要なのは「近代」はそれまでと全く異なった考え方をする時代である、ということです。

 

前近代においては、神や自然といった人智を超越したものの存在がほとんど無批判に信じられてきましたが、近代においては科学の発達に伴って、それらの存在が相当に揺らぎました。

例えば、地球は宇宙の中心ではないことがわかったり、人類もまた他の動物と同じような要素を持っていることがわかったり、ということが挙げられます。

また、前近代と近代の最も大きな違いは「個人」という概念の出現でしょう。

 

他方で、近代が前期代よりも絶対的に優れていたものであるか、どうかということには疑問がさしはさまれているのも現状です。

現代文においては、近代を絶対視するというよりは、近代の前近代との違いを認めたうえで、近代的な考え方を見つめなおす、という試みのほうが多いでしょう。

 

このような、「近代」についてのあらすじを、ざっとでいいので知って、考えてみるという経験は高校現代文を読み解くうえで、非常に重要なカギとなります。

その他「各分野」の知識

「言語・文化」「芸術」「科学技術」「倫理」「歴史」など、現代文頻出のテーマはいろいろあります。

しかし、ある程度「相場が決まっている」のも事実であり、それらは事前に対策できる規模でもあります。

もちろん、深入りするときりがありませんので、ダイジェスト版でもいいから、一通り読んでおくよいでしょう。

 

また、ある程度知識を得たら、それが果たして自分の血肉となっているかどうかを試すために、「書く作業」も行ってください。

私の場合は、「それが正解かどうかもわかる」という意味で、解答解説の詳しい大学の過去問題集をやっています。やるからには、解答解説の読み込みや生徒さんとの議論を踏まえた添削も欠かせません。

単に「読んで終わり」ではなく、このような、双方向の作業を経て、知識というものは身につくのだろうと思っています。