コラム

手ごわい鷲田清一

1 難しい理由?

個人的には、今読み返すと「なるほどなぁ」と思わされることが多い鷲田清一氏ですが、まだ高校現代文に取り組み始めたばかりの高校生にとって、彼の文章は非常に「手ごわい」ようです。実際、私の生徒さんで鷲田清一氏の文章が気に入っている人は、いまだいません。

彼の文章が、「難しい」と感じるのにはいくつか要因が考えられます。例えば、以下のようなものです。

  • 前提とされている背景知識(社会常識)がわからない
  • 鍵かっこつきの言葉に込められた、複数の意味、辞書とは違う意味が分からない
  • 説明的文章特有の、社会現象や社会問題を何かの比喩で表現する技法が理解できない
  • 哲学的エッセイ特有の、専門用語が抽象的なため、日常的な意味での理解ができない

ほかにもあるかもしれませんが、およそ上記のもののいずれかに該当することが多いのではないでしょうか。

2 対応策は?

国語に特効薬はないとよくいわれます。私も(ある意味では)そう思います。

後述する「現代文の論理」は確かに重要ですが、それだけでは現代文は読めるようにはならないのが事実です。現代文、というよりも言語能力は、「自分が今までどのように生きてきたか」ということの結果ですから、まずは土台を固める必要があります。

※しかし、こういう「(人の助けを借りても借りなくても)自分で考える」ということが、実は大学や社会ではもっとも重要ではないでしょうか。

ところで、鷲田清一氏の文章は、「大人向け」だと思っています。なぜなら、ある程度、彼の発言の背景となっている問題意識を共有しなければ、話についていけないからです。場合によっては、素直にもっと優しい現代文の教材からやり直したほうがよいこともあるでしょう。

※現代文の学習では、「知識」と「論理の技術(後述)」がともすれば忘れられがちですが、これを先に学んで、読解教材に挑戦したほうがいろいろな意味で経済的です。

ただ、「鷲田清一氏の文章には打つ手なし」と決めつけるのは、少しもったいないかなと思います。例えば、「前提とされている背景がわからない」というのであれば、まずはその単語を国語辞典なりネット検索なりで調べてみることが有効です。

※最近では、ChatGPTなどを活用することも増えています。

といっても、ネットの情報は玉石混交ですし、対象としているレベルも様々ですから、手元にある辞書や用語集、資料集などで調べてみたほうが、わかりやすいことが多いと思います。文字数にして、わすか2,3文字多くて4,5文字のものであっても、その言葉にはかなり深い(多くの場合、字義以上に)意味が込められているということが往々にしてあります。鷲田清一氏の文章であればなおのことです。

※いくつか例を挙げるなら、「実感」とか「遠隔(<距離)」とか「責任」、「時間(過去、現在、未来)」などです。

また、鷲田氏の文章ではしばしば、鍵かっこつきの言葉が登場します。こういう表現には、大別して2つの可能性があります。

1つは、辞書的な意味とはあえて違う意味が付与されている可能性

2つは、二重または三重あるいはそれ以上の複数の意味がかかっている可能性

例えば、少し前に「顔」について書かれたエッセイを読みましたが、ここでいう「顔」は、「表象としての顔(社会的な顔といってもいいです)」と「物理的な顔面(身体的な顔と同じような意味)」という二重の意味がかけられていました。

このような、ひとつの単語に意味を重複する技法は、文あるいは文章に深みを与えますが、他方で理解のしやすさを損なうという欠点があります。読解力があればいいのですが、ない人にとっては文章理解の足かせになります。

では、ここでも匙を投げるのかというと、そこは少し待ってほしいと思います。まずは、辞書的な意味からスタートしましょう。考える上での、スタートラインというか軸を自分の中に用意するのです。

そして、辞書的な意味から始めて、文章を読んでいき、「明らかに辞書の意味と違うな」ということを発見します。この発見するという作業を通じてのみ、国語力は伸ばせるのだと思っています。「気づき」は人工的・作為的に起こせるものではありません。自分が本気でその対象に取り組むことによって、あるとき偶然に得られるものなのです。

※「閃き」と「思い付き」は違う、といわれていますが現代文における閃きもまた確かな基礎の蓄積が必要なのだと思います。

そして、「運よく」気付けたら、その気づきを具体化していきます。何がどう違うのかということを、自分の実感をもとに徹底して考え抜きましょう。こうした知的体力をつけることが、大学で学問をするうえで必須になります。

補足:同じ筆者の文章を読む

同じ筆者、ここでいえば鷲田清一氏の文章をほかにも探して読んでみることは、(余裕のある生徒さんにとって)有効です。なぜなら、読んでみることで、筆者なりの言葉遣い、論理(ロジック)の癖や特徴がつかめるからです。

現代文の文章にも、それなりのルール(日本語の文法、きまり)などはありますが、あくまでそれは目安であって、筆者によって微妙にその解釈が異なることも多々あります。したがって、「鷲田清一氏の文章」の対策をしたければ、彼の文章にたくさん当たってみるのが最も有効でしょう。幸い、鷲田清一氏は、いろいろな著作をいろいろな読者層に向けて発表されています。

中には、高校入試で出題されるような中学生向けの比較的優しいエッセイもあることから、それらを読んで筆者の考え方にじかに触れるのがよいでしょう。

補足:国語辞典と現代文読解

英語の学習で英和辞典や和英辞典、古典の学習で古語辞典や漢字辞典などが必要なように、現代文でも国語辞典が必要になる場合が多いです。なぜ「多いです」と、他教科と比較してあいまいに言うかといえば、それは「辞書的な意味」が「本文を読解して得られる意味」と一致しないことが結構あるからです。

ですから、私は現代文を教える場合には、(鷲田清一氏の文章かどうかに限らず)「辞書で調べた意味」と「本文での意味」というのを区別して、ノートにまとめるようにしています。とりわけ、鷲田清一氏の文章は、あえてそれぞれの単語に、独自の意味・意義を与えていることが多いため、「国語辞典さえあれば読めるのか」というと全くそうではないと思います。したがって、どうしても何か副読本が必要だと言われれば、私はあえて辞書ではなく、下記で紹介しているような現代文用語集のほうを推奨するでしょう。

いずれにしても、現代文は非常に奥深い(奥深すぎる)科目であり、高校生の時点ですべてを理解している必要は必ずしもありません。重要なのは、筆者が「何を根拠に何を言っているのか」ということを把握して、それを表現することであって、それ以上でも以下でもありません。むしろ、独特の文体にハマるのは、大人になってからでも大丈夫であり、高校生はむしろドライで定型的な読みに徹したほうが無難でしょう。

補足:具体化と抽象化

「具体的に考える」ということは、学問において非常に重要なことです。抽象的な議論を展開しても、「例えば?」と聞かれて答えられなければ意味がありません。鷲田氏の文章も、実はかなりの「例えば」が埋もれています。それらを具体的にイメージしながら読めるようになると、かなり読みやすい文章になるでしょう。

補足:論理的文章の3つの関係

現代文に限らず、論理的な文章を読むうえで次の3つ(ないし4つ)に注目すると読みやすいです。

1つ目は、「イコールの関係(同等関係)」です。言い換え、具体化、抽象化の関係といってもよいでしょう。同じ内容を別のことばで置き換えていることが、よくあります。具体例、一般論というものを区別して読めば、読解はかなり楽になります。なお、イコールの関係とセットで使われることが多いのは「つまり」とか「例えば」などです。

2つ目は、「対比関係」です。比べる関係、反対の関係といってもよいでしょう。例えば、自分の主張に対して違う意見を紹介して、それに対して再反論を加えたりします。また、具体例でもしばしば対比関係は登場し、「Aにおいてはαだが、Bにおいてはβ」のような書き方がされます。なお、対比関係とセットで使われることが多いのは「しかし」とか「対して」などです。

3つ目は、「因果関係」です。原因と結果、あるいは理由と結論の関係といってもよいでしょう。原因や理由を述べるのは、わかりやすい説明をする上で不可欠です。その意味で、最も重要な関係だといえるかもしれません。なお、因果関係とセットで使われることが多いのは「だから」とか「なぜなら」です。

上記3点は、接続語と組み合わせて理解する内容です。文と文の関係、段落と段落の関係を理解するために役立ちます。

それに加えて、もう一つ重視したいのが、一つの文の中での関係です。要するに、主語や目的語、述語の要素をきちんと抜き出せ、修飾語と区別できるかどうかです。とりわけ説明文では、わかりづらいものになると一文が長く、修飾被修飾の関係を考えないと、何を言っている文なのか、分かりづらいことが多々あります。

しかし、主語・目的語・述語で構成される骨格部分(文の要点)を把握しておけば、ほかの飾りの部分がどこを修飾しているのかがわかり、非常にわかりやすくなります。したがって、文法的な要素は現代文読解記述の問題でもとても重要だということです。もしも、文法的な要素が(中学校レベルで)怪しいのであれば、実はそこがいま最も効果的な学習ポイントなのかもしれません。

補足:現代文用語

高校現代文は、中学までの文章と比べても難易度が高いですが、その要因の一つはテーマや単語の難しさにあります。単にそういう単語を広辞苑などの辞書で調べても、背景がわかっていないと一言では理解できないと思います。したがって、ある程度まとまった文章で単語の意味や背景がわかりやすく説明されている必要があります。そのうえで、役立つのは「現代文用語集」です。

(優良な)現代文用語集は、国語辞典と違い、単に言葉の意味を説明するだけではなくて、背景にある前提知識まで説明しています。したがって、現代文用語集を準備して、ある程度重要なところだけでも読んでおくことが、読解するうえで有用でしょう。もちろん、現代文の文章は読み手の問題意識と呼応するときに最大限の深みを発揮するので、単に知識を持つだけでなく疑問をもって考えることも重要です。

3.鷲田氏の文章を読む意義?

手ごわい筆者ですが、ここまでお読みいただければ、頑張って取り組む価値は十分にあるとわかっていただけたと思います。「どうすれば、国語力は伸びますか?」という質問があったとすれば、私は(ある程度の読解力を身に着けた高校生以上に対しては)鷲田氏の文章を読んでください、というでしょう。※もちろん、現代文学習にも順序はありますから、各人が自分の現在地を客観視したうえで、最適な学習方法を考える必要はあります。

国語の力、とりわけ現代文の力は簡単には付きません。しかし、それは現代文の力=知的体力だから当然のことであり、トレーニングで手を抜いてはいけません。

よく「3年生だから読解力を身に着けるのはもう遅い。だから、ほかの分野、科目をやったほうがよい」という声を目にすることがあります。しかし、だからといって放っておくと、「学校で学んだことを忘れた後には何も残らない」状態になるでしょう。そうなると、大学での「自由」な学びの環境に困惑してしまうリスクが高まります。

そもそも、「すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなる」のであって、現代文学習ではそれとは逆の方向である「粘り強く考える」ということが結果的に最も報われます。

※重要なのは、「自分で考えること」であって、その力をつけるには対話形式の1対1の授業が最も効率的だと信じています(これ以上は、宣伝になってしまうので書きませんが)。

ところで、現代文といっても実際には玉石混交な状況です。

「何を読んでもいい」と言いたいところですが、中には「(内容以前に)何を言いたいのかわからない」文章もあることから、ある程度ふるいにかけたほうがいいでしょう。数多くの現代文の中で、鷲田清一氏の文章は、論理的に書かれており、またいろいろな分野を横断し、様々な「表現技法」が用いられているという意味で、非常に優れたテキストになるでしょう。したがって、高校生の方はできれば(誰かの助けを借りてもいいので)真正面から取り組んでほしいと思います。

追記:どうしても現代文が苦手な人は?

そうはいっても、書いてあることの大半が意味不明な文章を読むというのは実際難しいです。私も、過去に大学にいたときに某哲学の古典を読んだことがあったのですが、書いてあることの1割もわからなかったため、1ページも読まずに本棚に戻したことがあります。

このように、自分の力を大きく上回るものに挑戦しても得るものは少ないです。そのため、現代文でもあまりに書いてあることが理解できる見込みがない場合には、素直にレベルを下げることをお勧めします。例えば、高校生向けの鷲田氏の文章は非常に難しく、意味不明ですが、他方で高校入試レベル(中学生向け)の同氏の文章は、まだ若干読みやすいです。

私の中では、レベル感として次のようなものがあります。

大学入試レベルがわからない人は、高校定期試験レベルに戻る
高校定期試験レベルがわからない人は、高校入試レベルに戻る
高校入試レベルがわからない人は、中学定期試験レベルに戻る
※ちなみに中学受験はカテゴリーが違うので、ここでは含めていません。

もちろん学校の課題をこなしながら「戻る」ことは容易ではありません。とりわけ、追加で新しい問題集を買ったとしても、それを学校と並行してやれるのかは実際問題なかなか難しいです。

その場合には、学校中心の原則を維持しながら、それをサポートする環境を強化しましょう。具体的には、1人でできることとしては、教科書ガイドなど、本文の解説がわかりやすい参考書を用意することです。

※ただし、あくまで「本文が最も重要(本文主義)」なので、教科書ガイドのみを読んで、本文を読まないという態度はよくありません。

また、わからないことが基礎的であっても答えてくれる人を見るけることも非常に有効です。個別指導塾(とりわけ1対1型)や家庭教師などを正しく活用すれば、国語を攻略するきっかけを得られます。※塾や家庭教師を利用する場合は、新しい教材を買ってそれをやりこむというよりも、教科書など何度も時間をかけて読むことになる文章を中心に教えてもらうとよいです。

4.より具体的な取り組み方

高校生の時に、実際にやってみて、上達に役立ったことをご紹介します。それは、傍線部を引いて設問を作り、その設問に自問自答してみることです。

例えば、「~とあるが、どういうことか説明せよ」とか、「~とあるが、なぜか説明せよ」のような問題です。私はこうした問題を自分で作り、答えを作成したら、学校の先生に見てもらっていました。また、本文の要約も(難しいですが)有効でしょう。

そして、次のステップとしては、傍線部の引き方を考えてみましょう。傍線部を引くといっても、むやみやたらに引くよりも、その傍線部に関する設問がカバーする範囲がほかの範囲と被らないようにします。そして、自分の作った設問が文章全範囲をうまくカバーできるようになったら、完璧です。※もし、傍線がうまく引けたら、学校の先生に根拠を持って説明してみるのも手です。

ちなみに、この「傍線を引く」というやり方は、ほかの筆者の文章でももちろん有効です。ただ、最もつかみどころがなく、初めての人には難しいのがこの鷲田氏の文章です。ですから、内容を先取りして把握できるような本があると助かるでしょう。

その場合、ネットの情報のほか、「教科書ガイド」という書籍も有効です。結構ボリュームがある書籍なのですが、難しい言葉の意味の説明や、教科書の設問の答えのほかに、本文解説なども充実しています。

※古典の教科書ガイドもあります(古典のガイドはたとえ現代文のガイドを買わない場合でも買ったほうがよい)し、他教科もあることがあります。

これらを駆使することは、なにも悪いことではなく、むしろやるべきことだと思っています。もちろん、すべての情報をうのみにするのはよくなく、自分の頭で考えられるようになることが最終的には重要ですが、それに至るまでは誰かの助けを借りるのは必要であり、必須です。