思い出の記録~卒業の季節~
今日は、ちょっと思い出を書くことから始めさせてください。
1つは、私自身が受験生だったはるか昔のこと、そしてもう1つは今日卒業されていった生徒さまのことです。
※できれば、最後までお読みください。
私自身の思い出
私は決して完璧な人間ではなく、むしろそういう言葉とは無縁の人間です。
ただ、それを自覚するのにかなり時間がかかったのは事実です。
実際、受験生の時には九大オープン模試で現役生10位を取ったり、受験であまり努力していないのに合格したことは、結果的にはプラスとマイナスの両面がありました。
※九大法学部卒業時の成績も上位10番以内だったそうで、なにかとこの順位には縁がありますね。
プラス面というのは、ある程度大学名のおかげで仕事がしやすかったことです。また、多少の自信の根拠にもなっています。
他方で、マイナス面というのは、「学歴」「勉強」以外に大切なことがあることに気が付くのが遅れたことです。
後にも書きますが、私は「勉強は人を幸せにするのか」ということについて、常々疑問に思っています。
もちろん、幸せになる要素も得られるとは思いますが、勉強だけでは幸せになれないのではないか、というのが現状での意見です。
大学時代の私は、そのことに気が付いていませんでした。
その後、今の仕事の前身である、家庭教師のアルバイトをすることを始めました。
多くの勉強について問題を抱えている人を見てきましたが、私は「勉強ができないのはいけないことである」という前提で接していた気がします。
また、「学生のうちは、遊びや部活やバイトよりも、学業に専念すべきである」ということを過剰に信じていた気もします。
それは、一面では正しい要素はあるかもしれませんが、そもそも「正解が存在しない」といわれるこの令和の世の中では、もっと「本質的なこと」を考える必要があります。
その「本質的なこと」に気づかされたのが、今日に至るある生徒さんとの授業でした。
ある生徒さんの思い出
その生徒さんは、今日卒業されました。
いらっしゃったのは、今から5年前。
中学1年生の冬だったと思うのですが、思えば高校3年生で卒業間近(しかも合格を決めた後)までいらっしゃってくださったのですね。
当初は、国語の読解や記述ということをメインに教えていました。それが、うちのメインコンテンツだったからです。
しかし、そのうち、その生徒さんの学校生活のことや進路、近所の学校の評判から最近の国内外のニュースに至るまで、いろいろな話題について話すようになりました。
また、私自身意図していなかったのですが、そういった「雑談」がその生徒さんの高校選びや大学選び、ひいてはその先にまで影響していたようです。
今日、その生徒さんと振り返ったのは、そういう過去5年間の総括でした。
私が与えた影響がその生徒さんにとってプラスだったのか、あるいはマイナスだったのか、はあまり自信を持って言えませんが、ただ私自身は明らかにプラスの影響をもらいました。
上にも書きましたが、私自身、教育や勉強について少し偏った考えを持ってしまっており、それを良い意味で裏切りながら、変えていってくれたのがその生徒さんだったのです。
本当に、偏差値や学力、学歴だけがすべてではない。
しかし、「知ろうとすること」には意味があり、「知ろうとしないこと」「知らないこと」は無責任である。
※現状での理解:「知りたい」「知ろう」と考えている生徒さんの好奇心を下支えすること。そういう好奇心を消さないこと。
これは、今日の授業から得られた最大のレッスンでしょう。
今後の私の塾・家庭教師の在り方について
とはいえ、私の経営しているのはあくまで「塾・家庭教師」ですから、スタイルを大幅に変えるということは考えていません。
ただ、生徒さんとの接し方、考え方を変えていければと思いました。
もちろん、勉強の意欲のある生徒さんの「知りたいという気持ち」「もっとできるようになりたい」という気持ちを後押しすることは非常に重要な価値です。
他方で、勉強のために部活やボランティア、交友関係に制約を設けることは、違うなと思いました。
もちろん、私生活に悪影響を与え、生活の質(Quality of Life)を貶めるようなものは、除いてくべきですが、そうでないなら、生徒さんを信じて任せるべきです。
また、別の生徒さんになりますが、この生徒さんは入塾当初は結構心配になるような方でした。
しかし、いろいろな障壁を取り除いていくと、自ら学ぶようになり、そして国公立大学合格を勝ち取られました。
私自身、一番の成果だと思っているのですが、「人は変わることができる」ということを、間近で見られた、非常に良い経験でした。
総括
現状どんなに絶望でいっぱいで、希望なんてないように見えても、とりあえず「今を生きる」ことで、人は変われます。
生徒さんもそうでしたし、私自身もそうでした。
もちろん、谷もあれば山もあり、そのあとまた谷もあるでしょう。
しかし、それも含めての人生であり、それを投げ出してしまったり、投げやりになったりするのは非常にもったいないことだと思います。
繰り返しになりますが、「家庭教師の白井」はあくまで家庭教師・個人塾です。
できることは限られています。
しかし、その中で伝えられることを伝えられていければ!と思った、この春うららかなある日の午後でした。