連載第3回では「公共性(みんなとともに生きるための学び)」を扱いました。
第4回では、もう一つの「みんなのために学ぶ」側面としての国民意識を取り上げます。
ただし本稿の国民意識は、排他的なナショナリズムではなく、
(自分の内外に)開かれた帰属意識を目指すものです。

今回の記事の要点

  • AI時代において人間が担うのは「物語の共有」「物語の伝承と創造」である
  • グローバル社会において重要な寛容心や品格は、人間自身の学びによって生み出す
  • みんなが同じことを同じ場で学んだという「事実」は、時にその内容よりも重要である
  • 国民意識を押し付けず、むしろ選択肢を拡げる糧となるような工夫が必要

※本稿は「AI時代の学習の意義」連載の第4回です(第1回〜第3回は、記事末尾のリンクから辿れます)。

はじめに:国民意識について ─ 排他ではなく、開かれた帰属意識を目指して

すでに連載第3回では、「公共性」を学ぶ大切さを述べました。人によってはそれでもう「お腹いっぱい」であり、
本稿で「国民意識」まで触れる必要性をあまり感じない方もいるかもしれません。
また反対に、「国民意識」という言葉から、戦前・戦中のような押しつけがましいナショナリズムを想起して、
得体のしれない忌避感を持たれる方も、もしかしたらいらっしゃるでしょう。

しかし本稿で描きたいのは、そのどちらでもない「(自分の内外に)開かれた国民意識」という視点です。
そしてこの視点は、本質的にAIではなく、人間が担うべきものです。
生成AIは文章作成や翻訳、プログラミングなどの「作業」の心強いパートナーにはなりえますが、
人間同士の絆や故郷を大切に思う心といったアイデンティティの支柱は、結局人間自身の問題になるからです。

本記事の視点・方針:デリケートなテーマだからこそ丁寧に論じます

本稿ではまず、国民意識のコアとなる「自分はこの国に属する一員である」という帰属意識や連帯感について、
なぜそれを今のグローバルな世の中で問うのか、そして前回扱った「公共性」とどのように関係があるのか、
という問題意識から掘り下げます。

次に、現代教育において最も「学ぶこと自体に対する疑問」が生じやすい、歴史古典教育について、
呉市の家庭教師の白井としての考えを述べます。
さらに、芸術や総合的な学習の時間についても、国民意識との関連をなるべく具体的に述べます。

また「国民意識」にまつわる典型的な論点、すなわち
「価値観の押し付け」や「国際性との両立」についても、
対象をより具体的に学ぶことによって、かえってそこから自由になれ、選択肢も持てるという視点、
そして自信と所属する共同体との紐帯が、他者への寛容につながるという視点から、
なるべくフェアに回答します。

最後に「学校教育の変容可能性とAI時代の国民意識の学び」についても取り上げます。
個人的には、これこそが公的なものとは独立した予算を持つ民間教育(学習塾・家庭教師)の存在意義だと思っています。

AI時代に国民意識を問い学ぶ意味

最近、私のホームページのFAQ(よくあるご質問)に、
「AI時代に勉強は必要? もう人間は勉強せずに楽しく生きるだけでよいのでは?」
という、かなり素朴だけれども大事な疑問を書き加えました。

考えてみれば「その通り!」という方も少なくないでしょう。
人間というものは、そもそも「やらなくてもいいこと」はやらないようにできている生き物です。
それゆえ、「国民意識」という迂遠な概念を持ち出されても、「何をいまさら」という感想が出るのも当然です。

ただ、私の答えは「大いにある」というよりも、「むしろ、さらにいっそう学ぶ意義は高まりました」です。
ここからは、次の2つの観点から具体的に考えていきましょう。

  1. グローバリズム(国際化)との関連
  2. 公共性との関係(車の両輪)

グローバリズム:国際化との関連

第1の疑問は、「世界はグローバル化しているのだから、古典とか芸術とかそんなものよりも、
英会話とかITとか金融とかを学んだほうがまだよいのでは?」というものです。確かにもっともです。
これらは実用性が高く、学校教育として提供される重要性も高いテーマでしょう。
逆に古典や芸術は、実用性が低く、「時間の無駄遣い」と感じる方も少なくないと思います。

しかし、伝統を学ぶことは、グローバルな時代と矛盾するものではありません。
たとえば政治学者フランシス・フクヤマは、包摂的(inclusive)な国民的アイデンティティが
現代社会の安定に不可欠であり、国民同士の信頼や連帯、ひいては民主主義の基盤となる、と指摘します。

また、自分自身のアイデンティティやルーツがしっかりしている人は、
異なる背景を持つ他者に対して寛容でいられる傾向があるともいわれます。
反対に、自分自身が揺らいでいる人ほど、他者の価値観に不寛容になりがちだ、というのもよく聞く見立てです。

だからこそ、グローバル化した社会ほど、他者に対する思いやりや、
多様性を認め合う寛容な心が重要になるとすれば、
国民意識の学びでいう「自分の居場所について学び理解を深める」ことは根本的に大切になります。

さらに重要なのは、「単なる思い込み」と「根拠と学びの裏付けがある信念」は違う、ということです。
「故郷や自分自身は大事だ」と唱えるだけでは、時に言葉の暴力になりえます。
そうではなく、歴史の事柄を具体的に学び、芸術を技法や背景とともに理解し、使いこなせることこそが、
自分自身を安定化させ、ひいてはグローバル社会で生き抜く自由で自立した自己を支えるのです。

公共性との関連:車の両輪

次に、「国民意識」は「公共性」と車の両輪の関係にある、という点です。
生成AIが問いに対する答えを供給してくれるようになった今、
人間自身が問いを設計し、運用し、問い直すことがますます重要です。

これは「よりよい社会や正義の実現」という公共性の観点だけでなく、
「多様な価値観が併存する社会で寛容さを保つ」という観点ともつながります。
ここで鍵になるのは、前回(公共性の回)でも触れた
「事実と意見を区別し、価値観と反証可能性で裏付ける」という姿勢です。

  • そもそも互いの価値観を理解し尊重していない場では、議論が成立せず喧嘩や逆恨みになりうる
  • 反証可能性(自分の結論が否定されうる余地)を残すには、他者や未来の自分への信頼が要る

つまりAI時代には、自分自身やルーツに対する「根拠のある自信と信頼」を持つことが重要であり、
それを支える具体的な教養や学びが肝要になります。

歴史や古典教育への疑問に対する答え

ここまで一般論を述べましたが、やはり具体化が必要です。
そういえば私が大学時代に憲法を学んでいたとき、
先生が「例えば?」という問いの重要性を語られていました。
抽象と具体を自在に行き来する知性は、今もなお健全さの指標になると思います。

社会科(歴史)教育と現代社会の関係

歴史、とりわけ日本史は「用語の丸暗記が無味乾燥」「記述が思いつかない」という声をよく聞きます。
しかし、歴史教育である程度具体的な議論をするには、
前提知識の暗記とその深掘りが必要である点は変わりません。
ただし、生成AIの登場によって、知識の確認や疑問点の解消は以前よりやりやすくなりました。

歴史を学び、多様な観点から歴史を考察できるようになることは、
国民意識の基盤としてとても大切です。
子どもたちは歴史を通じて「自分たちの共同体の物語」を共有し、
自分がその延長線上にいることを根拠をもって実感できます。

近代国家が成立する基盤に「歴史認識の共有」があったことは否定できません。
学校教育を通じて共通の歴史認識を持ち、一体感を醸成してきた側面があるのです。
例えば明治維新以後、新政府が国語文法とともに統一した歴史観を教育してきたことは、
国民国家としての一体化を促す政策でもありました(意義と反省は、連載の後半でまた触れる予定です)。

さらに現代の教室でも、郷土の偉人伝や地域の歴史エピソードに触れた子が
「自分の街にこんな誇りある歴史があったんだ」と知るとき、
郷土愛や共同体への愛着が芽生えます。
「地域のお祭りに家族で参加して楽しかった」「図書館で昔の暮らしを調べて驚いた」
といった経験の積み重ねが、共同体への信頼や貢献意識につながっていきます。

国語(古典)不要論と生成AI時代との関係

古文・漢文などの古典学習も、国民としてのアイデンティティを育てる重要な機会です。
「昔の言葉なんて将来使わないのでは?」という疑問は、おそらく多数派でしょう。
ですが公教育で古典を教える本質的な目的の一つは、
私たちの文化的ルーツへの理解と、共同体としての記憶の共有にあります。

「枕草子」を例に:暗唱の本質

「春はあけぼの」などを暗唱して発表する授業がある、と聞きます。
個人で暗唱する楽しさもありますが、本質はむしろ
「学校でみんなが同じ言葉を学んだことがある」という事実にあります。
それは共通の合言葉を持つことであり、時間と空間を越えて祖先とつながる不思議な連帯感を生みます。
将来お子さまから「古典は役に立たない」と言われたら、
「日本人同士で話が通じる共通教養として大事なんだよ」と伝えてもよいでしょう。

芸術(音楽・美術)教育のAI時代における意義

生成AIは芸術家の領域にも踏み込んでいます。
だからこそ、人間が芸術を学ぶ意義も問い直されます。
結論から言えば、音楽や美術の授業もまた、歴史や古典と同様に
伝統文化への愛着や誇りを育てます。

小学校の図画工作で折り紙や版画を作ったり、中学美術で浮世絵や仏像を鑑賞したりする中で、
子どもたちは自国の芸術文化に触れ、その美しさや価値を発見します。
主要5教科に比べ授業時間が少ない傾向があるからこそ、
博物館・美術館に家族で出かけたり、地域のお祭りや季節行事に参加して生の伝統に触れたりする体験は、
教科書の知識を立体化し、郷土愛や母国への愛着を刻み込んでくれるでしょう。

総合的な学習の時間との関連:探究と故郷への理解

総合的な学習(探究)で地域課題を調査したり、
郷土の産業・文化をテーマに取り組んだりすることは、
ふるさとへの理解と愛情を深め、共同体への貢献意識を高めます。
「郷土や社会の一員として何ができるか」を主体的に考える力を育てる点でも意義深い学びです。

国民意識に対する懸念への向き合い方:押し付けない工夫と国際性との両立

「価値観の押し付け」にならないために

大前提として、国民意識の涵養は特定のイデオロギーを子どもに押し込むことではありません。
押し込まないための工夫として、次の2点が重要です。

  • 子どもに選択の余地を残すこと
  • 子どもの表現の自由を尊重すること

国民意識は本来、子ども自身が自然に芽生えさせるものです。
大人が誘導しすぎれば、「こう感じ(考え)なければならないのか」と心を委縮させ、
自分で考え自分の言葉で表現する機会を奪ってしまいます。
重要なのは、複数の選択肢を提示し、子ども自身が選び取り、言語化し、責任を持てるように伴走することです。

「こう感じなさい」ではなく、「あなたはどう思う?」「あなたはどれが好き?」という問いを発して、
子ども自身が価値に気づく機会を用意することが大切です。

「国際性」と「国民意識」は矛盾しない

国際性と国民意識は二者択一ではありません。
開かれた郷土愛は、むしろ国際性の基盤となりえます。
自分の「物語」を言葉にできる人は、他者の物語にも敬意を持つ心の余裕が生まれます。
物語の相違は断絶や脅威ではなく、新しい物語を吸収し再解釈することで世界を拡げる契機になります。

だからこそ「国民としての誇り」はスローガンであってはならず、
暗記事項も含めてしっかり学び、誇りの内容を具体的に理解し、
さらに「反証可能性」を内包させる姿勢が大切です。
無知・無関心で自由になることは難しく、具体的に学ぶことで初めて呪縛から離れられる――
そういう逆説があると思っています。

学校教育の変容可能性とAI時代の国民意識の学び

生成AIは、問いのインプットをきちんと行えば、
解答解説から学習指針の立案までかなり丁寧に支援してくれます。
そのため、学校教育において「解答解説のわかりやすさ」が求められる度合いは、
以前より後退したのではないか、と私は見ています。

しかし、それは「学校が不要になった」ということではありません。
むしろ、学校にしか提供できないことと、
家庭教師・学習塾(とりわけ1対1)が提供するほうが適しているものの役割分担が
より明確になった、ということです。

学校 家庭教師・学習塾
得意なこと 1. 同じ場で同じことをみんなで学ぶ
2. 成績評価などの強制力で、学ぶ動機づけをする
1. 1人1人に合わせて学びを最適化する
2. 教師・生徒・ご家庭の価値観を前面に出して学べる
苦手なこと 1. 個別最適化が制度上むずかしい
2. 教師が価値観を全面に出す活動は制度上制限されやすい
1. 地域の同学年全員を集めて共通教育を提供するのはむずかしい
2. 成績評価などの強制力がなく、本人の性格で学びが揺れやすい

学校はこれからも「同じ場で同じことを皆が学ぶ場」として、
国民意識という共通の財産を育む意義が強調されてよいと思います。
一方で家庭教師・個別塾は、よりローカルな話題(呉市ならでは等)を扱ったり、
学校では中立性ゆえに話題にしづらい論点も、価値観を丁寧にすり合わせながら深めたりできる強みがあります。
生成AIの発展によって、学校と民間教育は対立ではなく、両立・調和の方向に進む可能性を秘めています。

総括:「みんな」という言葉の多義性

ここまで第3回「公共性」と第4回「国民意識」という2つの観点から、
「みんなのために学ぶ」ことを扱いました。
ただし「みんな」という言葉は「自分」という言葉以上に多義的で、場合分けが必要です。
今回は左派的視点としての公共性と、右派的視点としての国民意識という形に切り分けましたが、
この分け方が唯一絶対ではありませんし、人によって内包・外延も異なります。

私は「あなたの言いたいことはわかる。しかし反対だ。」は、まぁ仕方ないかなと思います。
ただ「そもそも何が言いたいのかわからない/わかりにくい」は、結構もったいない。
だからこそ、自分の言いたいことをはっきり共有するための国語の読解・記述力、
数学の論理的思考、英語で母語のニュアンスを磨く視点などの学びは、
ある種「みんなのために学ぶ」ことにもつながります。

次回予告:連載第5回「科目別・国語編」— AI時代の〈読む・書く・話す〉を三視点で再設計

これで総論的考察(利己/公共性/国民意識)は一通り終わりです。
次回からは「各論」に入り、科目別に、学ぶ意義をより具体的に掘り下げていきます。

次回のキーワード

  • AIと共存する読解:要約→反証条件→見直し日の三点セット
  • 書く力:主語・結論先出し・因果の接続を「型」で身につける
  • 話す力:相手の主張を言い換える(鏡写し要約)の訓練法
  • 古典の位置づけ:共通の合言葉としての暗唱と現代語パラフレーズ

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ご家庭向けガイド

🧒 小学生の方向け(物語・3〜4年生)

みおは町のおまつりのれんしゅうに行くのが、ちょっとめんどうでした。
「あそびたいのに…」とぶつぶつ。
するとおばあちゃんが言いました。
「このおまつりはね、みおのおじいちゃんも子どものころに手つだったんだよ」。

当日、みおは太こを「ドンドン」とたたきました。
かねの音、うたごえ、におい。
しらない人も「ありがとう」と言ってくれます。

おわったあと、みおは気づきました。
「わたしの町が、すきかも」。
つぎの年もてつだおう、と心がポカポカ。
むかしからつづくことを、みんなでつなぐって、うれしいね。

👦 中学生の方向け(説明文・中2〜3)

国民意識とは、自分が属する国や地域への「帰属」と「責任」を自覚し、よりよく受け継ごうとする姿勢です。
歴史を学ぶと出来事の背景や制度の意味が見え、判断の拠り所が増えます。
国語の古典(古文・漢文)は、ものの見方や言葉の型を学び、現代の自分の表現を磨く材料になります。
音楽・美術は、世代を超えて共有される記憶や感情を体験し直す教科です。
AIが情報を集めても、「何を大切にし、どう受け継ぐか」を決めるのは私たちです。
自分のルーツを理解し、他地域・他文化も尊重することが、協力し合える社会の土台になります。

👪 保護者の方向けヒント

  • 家族の聞き書きノート:祖父母や親に「子どもの頃の遊び」「好きだった歌」「町の思い出」を3つ聞き、子どもが一行ずつ記録。帰属と誇りの芽を育てます。
  • 地元を歩く30分:神社・資料館・記念碑などを親子で1か所。写真1枚+感想1行(良かった点/学んだ点)をその日のうちに残す。
  • 共通の言葉を一つ:古典の短文や唱歌を週1で音読・合唱。意味は“自分の言葉”で言い換え、現代とのつながりを実感させます。
  • ニュース三行メモ:地域の話題を「事実/意見/自分の考え」で各一行。1週間後の見直し日を決め、変化や気づきを親子で共有。