─まえがきに代えて─
ChatGPTに代表される生成AIは、もはや自他ともに認める「人工知能」であり、たとえ一昔前には「AIに負けない人材になる」と息巻いていた人すらも、もはや「AIと協働する人材になる」とか「AIを活用できる人材になる」などという目標変更を余儀なくされています。
これは、生成AIの進歩が予想外に速かったから、ということもありますが、それ以上に人間側の問題もあるように思います。
最近生成AIに限らず、様々な「楽をする手段」が開発され、それによって人間自身の「頑張る気持ち」がどんどん育ちにくくなっています。
もちろん中には現状を整理し、自分なりに解釈したうえで、自分の人生を豊かにする選択をしている人もいるでしょう。
しかしながら、結構な割合で、生成AIのあまりのスマートさに驚き呆れ、人間(というよりも自分自身)の存在意義が揺らいでいる人も少なくないのでは、ないでしょうか。
実はこうした疑問は、この記事を書いている私も抱いたものです。
ただ、執筆する中で私が気付いたことは、単なる「AI=これから」「人間=これまで」というような単純な対比構造ではなく、もう少し解像度を上げて自分自身やその周りを観察する必要性です。
そう、この連載のキーワードは「解像度」です。
解像度とは一般に工学用語ですが、今回は「自分の目から世界をより深く、具体的に、厳密に見つめる力」という意味で使っています。
理屈の説明ではしばしば「その中身」が注目されますし、私も中身の執筆にもかなり力を入れました。
しかし、中身というのは「それを入れる箱」があって初めて意味を持ってくる、輪郭を持つことでできる、という側面もあります。
そのため、私は自分の主張・概念の箱(フレーム:枠)として、以下の3つを用意しました。
1つは「利己的側面」であり、要は「自分のため」「自己利益のため」というものです。
2つは「利他的側面:左派的公共性」であり、誤解を恐れずにいれば「みんなのため」「共存・協働のため」というものです。
3つは「利他的側面:国民意識」であり、これもまた誤解を恐れずに言えば「自分のルーツのため」「共同体の継承のため」というものです。
もちろん、ほかの分け方も無数に考えられるでしょう。
しかし、今回この3つに箱を限定したのは、それだけ現実が多種多様であり、それらを切り分けるにはなるべくシンプルでかつ個性的な「箱」が必要だと考えたからです。
では、議論する準備はできました。
さっそく、AI時代にあえて人間が学ぶ意義についての長旅を始めましょう。
連載第1回:これからのAI時代における学習の意義
はじめに:本連載の狙い:学ぶ意義を問う意味
ChatGPTに代表されるAI(人工知能)が、驚くべきペースで進歩している昨今、人間が「学ぶ意義」を問うことにどのような意味があるのでしょうか。
実際、私が呉市で家庭教師をしている際にも既存のお客様、または面談にいらっしゃったお客様からも、「うちの子、勉強はよくしてくれるんですが、『勉強する意味って何なの?』ってたまに聞かれます」というご質問を頂くことがあります。
私は、そのとき双方に納得のいく答えができたのか、あまり自信がなかったとともに、こうした素朴だけれども根源的な問いに説得力のある答えを持つことは、かなり重要だと思いました。
AIが進歩している状況で人間は何のために学ぶのか?
本論でもまた詳細に述べますが、私なりの考えとしては「人間は自分が人間であることをやめられないから」ということです。
つまり、AIは人間にとって道具であり手段であるのと対称的に、人間とりわけ自分自身はほかに替えようのないかけがえのない存在です。
少なくとも今のところ「AIが人間の生きる目的を決める」段階には至っておらず、AIは本質的に「人間の生きる目的のために活用される存在」にとどまっています。
そういう状況において、これから人間が注目すべきことは、「自分のやりたいことをどうやって実現するか」というよりもむしろ「そもそも自分のやりたいこと、目的は何か?」ということを0(ないしは1から)から生み出すことにあると思います。
学習の意義は、まず第一にはこの点に見いだされるべきでしょう。
| ◆従来のよくある例 | |
| 学習者の疑問 | なんで、自分は勉強しなきゃいけないの?(とたまに聞きました) |
| 教える側の説明 | それは、将来役に立つから、考える力がつくから、受験や就職に役立つから(と言っている方が多いように見えます) |
| ◆最近のよくある例 | |
| 学習者の疑問 | なんで、機械やAIが何でもやってくれるのに、自分は勉強しなきゃいけないの?(とたまに聞きます) |
| 教える側の説明 | それは・・・(答えに困る)
AIに負けないため、AIと共存するため、AIを活用するため(と答えている人をよく見ます) |
学ぶ意義を掘り下げるための3つの視点
しかし、学習の意義はほかにもあるとみています。
それは、人間は確かに自分のことを大切にし、そのために行動する「利己的な存在」であるのですが、同時にほかの人のことを思いやり、また社会や国家のことを考える「利他的な存在」でもあるからです。
また、私の視点からすれば「利他的な側面」は、次の2つの点に分解して考えるのが、わかりやすいと思っています。
すなわち、1つ目は「(いわゆる左派的な)公共性」の側面、そしてもう1つは「(いわゆる右派的な)国民意識」の側面です。
このように、以下本連載では「利己的側面」「(左派的)公共性の側面」「(右派的)国民意識の側面」という3つの観点それぞれから、学ぶ意義について考えていこう、というわけです。
3つの視点それぞれの説明
| ◆大まかな内容 | |
| ①利己的側面
🏆将来の選択肢を増やす 📚より楽しく生きる |
より自由に、楽しく生きるために |
| ②利他的側面:公共性
🌎みんなのために |
みんなと、ともに生きるために |
| ③利他的側面:国民意識
🗾ふるさとのために |
ふるさとを大切にするために |
| ◆よく言われてきたフレーズ | |
| ①利己的側面 |
|
| ②利他的側面:公共性 |
|
| ③利他的側面:国民意識 |
|
①利己的側面🏆:人生の自由度を高めるために(自分のために学ぶ)
呉市の家庭教師をはじめ、多くの学習支援サービス、家庭教師、学習塾は「受験合格」や「成績向上」あるいは「スキルの習得」「学習習慣の定着」など、様々なメリットを語ることがあります。
これらは、ひとくくりにすれば「利己的側面」に対するアピールです。
つまり、「学習すれば、自分にいいことがあるよ」ということです。
なお、「情けは人の為ならず」という言葉の本来の意味のように、周りにしたよいことが巡り巡って自分に良いことをもたらす、という意味での「自分にいいことがある」はとりあえず、この利己的側面には含めないことにし、直接的に自分のためになる事柄全般を指すことにします。
②利他的側面:(左派的)公共性🌎:多様な社会でともに生きるために(みんなのために学ぶ)
これは、理性的な人間がお互いことを尊重しながら、ともに社会を作っていく、という考えを基にしている言葉です。
考えてみれば、学習することによって個々人の考え方の多様性についての理解力が高まり、そういう多様な中で合意を形成するにはどうすればいいか、という能力がはぐぐまれます。
このように、個々人を大切にしながら社会を作っていくという考え方のことを、この連載においては「公共性」と呼ぶことにします。
③利他的側面:(右派的)国民意識🗾:共同体の中で生きるために(みんなのために学ぶ)
現代人は、国家の中に生きています。
個人は、1人の人間であると同時に、何らかの国家に属する国民としての顔も持っているのです。
この、「自分はこの国の国民である」という意識や連帯感のことを「国民意識」と呼ぶことにします。
確かに、伝統文化を大切にしよう、伝統を学んで継承しよう、自分の郷土を大切にしよう、という考えは、誰もが一度は接したことがあるのではないでしょうか。
このように、学習の意義の一角として「国民意識」を考えることができます。
あえて、3つの観点から考える必要性
AI時代を迎えるにあたり、様々な方が「それでも学ぶ意義」について語っています。
しかしながら、それぞれの方ごとに語っている内容がばらばらであるのと同時に、ときに内容が抽象的だったり、何を言いたいのかうまく伝わってこなかったりすることも少なくありません。
そもそも、物事をわかりやすく伝える大前提として、場合分けがきちんとできることが挙げられます。
もちろん、完璧で唯一の場合分けの仕方、というものはありませんが、できるだけ多くの人の実感と合うような分け方のほうが、よいと思っています。
例えば、同じ「利他的側面」であっても、個人の自由と対話を大切にする「公共性」と、共同体への忠誠や一体感を重んじる「国民意識」の立場とでは、学びの意義のとらえ方に大きな差異があることがわかります。
そこで、上記のような3つの観点に分け、それぞれについて分けて論じることで、お読みになっている人々の頭の中に、表が浮かぶようなことを目的とした、というわけです。
次回予告:科目横断的な総論
次回のキーワードは、以下の4つです。
- 「選択肢の通貨」:将来の自由を選び取る権利
- 「考えること」と「覚えること」の区別:人間固有の楽しく生きる、ということ
- 「勉強=知的インフラ」:個人を通して社会を支えるために学ぶ、ということ
- 「国家と国民の結びつき」:共同体に貢献できる人材になるために学ぶ、ということ
これらは、上記の3つの観点:「利己的側面」「利他的側面:公共性」「利他的側面:国民意識」と密接にかかわっています。
次回の記事では、上記キーワードを根底に置きながら、「学ぶ意義」について、科目横断的に、すべての科目に当てはまる前提について、見取り図を描こうと思います。
なお、次々回以降では、国語や数学や英語など、具体的な科目に関して、3つの観点別に学ぶ意義を切り分けていく、各論も展開する予定ですので、もし呉市の家庭教師の白井について、教師の考え方をより深く知りたい方は、ご笑覧いただけますと幸いです。
ご家庭向けガイド
🧒 小学生の方向け(物語・3〜4年生)
しょうがく3ねんせいのゆうたは、さいきん勉強がつまらないとかんじていました。
「AIがなんでも教えてくれるのに、どうして自分で勉強しなきゃいけないんだろう」とふしぎに思ったのです。
ゆうたは宿題をAIロボットに聞いてみました。
AIはすぐに答えを教えてくれましたが、ゆうたはあまりうれしくありません。
自分でわかったときのよろこびがなかったからです。
ゆうたはお母さんにそうだんしました。
お母さんは「AIは答えを教えてくれるけど、ゆうたがほんとうにやりたいことまでは教えてくれないよ。
勉強するのは、自分で考える力をつけて、自分の夢を見つけるためなんだよ」と教えてくれました。
ゆうたはさっそく算数のもんだいを自分でといてみました。「自分でできた!」とうれしくなりました。
やっぱり、自分でできると心が明るくなるとわかったのです。
これから、AIも上手につかいながら、自分の力で勉強を続けてみようと思いました。
👦 中学生の方向け(説明文・中2〜3)
AI(人工知能)が発達した今、「AIがあるから人間は勉強しなくてもいいのでは」と考える人もいるかもしれません。
しかし、AIの時代でも、人間が学ぶことには大きな意味があります。
まず、自分の頭で考える力を育てるためです。
AIは質問に答えてくれますが、自分の夢ややりたいことを決めてはくれません。
勉強することで、自分が本当にやりたいことを見つけるヒントを得られます。
また、人間は一人では生きられず、みんなで社会を作っています。
勉強によって、他の人の考えや気持ちを理解したり、ルールやマナーを学んだりできます。
それは、みんなで気持ちよく生活するのに役立ちます。
さらに、自分が住んでいる国や地域について学ぶと、ふるさとを大切に思う心も育ちます。
AIがどんなに賢くなっても、自分で考え、みんなと協力し、自分のふるさとを大事に思う気持ちは、人間にしか育てられない大切な力です。
👪 保護者の方向けヒント
- 子どもの疑問を肯定する: 子どもから「AIが何でもしてくれるなら、勉強しなくていいの?」と聞かれたら、まずは「AIって本当にすごいよね!」など共感する言葉をかけましょう。疑問を持つことは良いことだと伝え、頭ごなしに否定しないようにします。
- 人間にしかできないことを伝える: 「AIは答えを教えてくれるけど、ゆうたが『何をしたいか』は教えてくれないよ」といった言い方で、AIと人間の役割の違いを説明します。AIは道具なので、何のために使うか決めるのは人間だと伝えましょう。
- 身近な例えを使う: 例えば、「電卓があっても算数を勉強するのは、自分で考える練習をするためだよ」と伝えてみてください。便利な道具があっても、自分の力を鍛えることが大事だと教えます。
- 一緒に考える姿勢: 「どういうときにAIを使うと便利かな?」など質問して、一緒に考えてみるのも効果的です。子どもの考えを引き出しながら、「自分で考えることって大切だね」と気づかせる声かけを心がけましょう。
連載第2回:この勉強、役に立つの?AI時代の学び、総論:利己的側面
前回の記事(第1回)では、AI時代における「学びとは何か」という根本的な問いに立ち返りました。
今回は、その視点をさらに深堀して、より具体的に探っていきます。
はじめに:この勉強、本当に意味があるの?
こんな声を、私だけではなく、教育関係者は少なからず聞いたことがあります。
- 「こんな勉強、将来の役に立つの?」
- 「どうせAIが何でもやってくれる時代なんでしょ?」
また、仮に面と向かって明言されなくても、心のどこかにこのような疑問をお持ちの生徒さま、ご家庭は多くいらっしゃるでしょう。
さらに、教育関係者(家庭教師や集団塾、個別塾の先生ですら)も、こうした疑問を持ち、それに対して答えようとされていると推察しています。
こうした疑問を持つことはとても自然なことです。
というよりも、こうした素朴な疑問を持てることが、自分の思考力の証ともいえるでしょう。
私も呉市で家庭教師をしている際、多くのお客様が同様の疑問を前提にお子さまに接していらっしゃった気がしますし、なにより私自身も同様の疑問を持ちつつも、深く具体的に考えてはきませんでした。
確かに、近年AI技術の進歩はすさまじいです。
例えばAIロボが東京大学の入試問題で合格点、それも一部の科目では合格者の中でも高得点を出せるようになったというニュースは、教育関係者にとっては一つのショックになったでしょう。
※参照:OpenAI o1が2025年東大文系入試を余裕で突破、理三合格レベルにも到達(永田 雄大 日経クロステック/日経コンピュータ:令和7年8月28日閲覧)
※AIロボが東大入試を突破できるか、という論点は実は結構前からあり、とりわけ(その主張や予測が当たっていたかどうかにかかわらず)注目しないわけにはいかないのが、新井紀子氏による研究活動です。新井氏による研究活動の成果と考察は、『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子 東洋経済新報社、2018年)や、『AIに負けない子どもを育てる』(新井紀子 東洋経済新報社、2019年)にまとめられています。なお、新井氏の研究活動のページもご覧ください。
また、AIは今後さらに進歩を続け、AIがAIを設計・最適化する時代が到来するともいわれており、そうなればAI技術に対する人間の関与は最小限になるという見通しもあります。
このような見出しを見るたびに、果たして「人間がわざわざ学ばなくてもいいのでは?」という気持ちのほうに引っ張られるのは、ある意味では当然のことかもしれません。
しかし、AI時代により明らかになったのは、「学ぶ」ということは、単に何かを「できるようにする」とか、「やらなければいけないことをやる」というためにするものではない、ということです。
そもそも、前回の連載第1回で触れましたように、「人間が(自分で)学ぶ」ということは次のことを含んでいます:
- 自分の頭で(ほかの誰でもなく自分によって)考える
- (同じ人間であるところの)他者と対話し、ともに生きていくこと
- (人間たちの集合体である)社会や国家の一員として責任を果たすこと
このように、「学ぶ」ことは、人間の生き方そのものに深くかかわっています。
したがい、本稿では冒頭の「この勉強が何の役に立つのか?」という問いに正面から向き合いつつ、またこの問い自体に隠されている「勉強は何かの役に立たなければならない」という前提自体も深く掘り下げたいと思います。
そのため、今回の連載第2回以降においては、第1回でご案内した下記3つの観点から勉強の意味を「再」整理して、皆様がご自身で考えるサポートをいたします。
- 利己的側面:自分の進路や生活、人生のために学ぶ
- 利他的側面:公共性:他者と社会を理解し、より良い共存のために学ぶ
- 利他的側面:国民意識:自分のルーツや文化、故郷に対する愛着や責任を学ぶ
これら3つの視点は、すべての教科に共通する「学びの根っこ部分」であり、国語や数学、英語といった各教科に関する各論的考察の前に、こうした全体に当てはまる総論的考察をすることはたいへん有意義です。
※呉市の家庭教師の白井では、このように「紙のノートに」「手で書く」ことを重視しています。
自分のためって何のため?:利己的側面の深掘り
「勉強は自分のためにするものだよ」
誰もが、一度はこのような言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。
同時に、何か中身が空っぽで、この言葉を聞いたからと言って今すぐ机に向かって勉強するか、といわれれば、そういうわけでもないはずです。
「将来、役立つかもしれないから」
「いい大学に入るため」
「収入の高い仕事に就くため」
こうした答えは決して誤っているわけではありません。
ただし、それだけでは今この瞬間に努力をするというきっかけ、納得感にはつながりづらいのも事実です。
選択肢の通貨:学びが将来の自由を担保する
私が呉市で家庭教師をしていてよく感じるのは、「今は使わないけれど、あとで必要になる知識」ほど、子どもは価値を感じにくいということです。
これは、お金を例に挙げるよくわかります。
例えば「今すぐ100万円がもらえる」ということと「1年後に102万円がもらえる」ということの、どちらを選ぶか、という例を考えてみましょう。
こうすると、102万円のほうではなくて、今すぐ100万円をもらうほうを選ぶ人も結構いそうです。
※なお、この考えこそが「利子(利息)」の基になるのですが、これについてはまた別の機会に触れます。
もちろん、「学び」というある意味数値化しづらい営みと、「お金」という数値化可能な試みとでは、差異があるのも事実です。
ですが、重要な共通点もあり、それは「交換可能性」にあります。
たとえば、将来「医療の道に進みたい」と思ったとき、数学や英語の基礎がなければ選べない進路もあります。あるいは「海外で働きたい」と思っても、語学や文化理解がなければその道は現実的ではありません。
しかし、勉強することによって、たとえ一度決めた進路であったとしても、後で別の選択肢と取り換え、全く別の業界に転職することも可能になります。
つまり、勉強は「選択肢の通貨」を蓄える行為であり、「未来の自分が選べる自由を拡げる」ための通貨を蓄えることにつながるのです。
「やりたいことがない」のはなぜ?:学ぶことで見えてくる自分の可能性
「自分のやりたいことがわかりません」という中高生は少なくありませんし、それが社会現象になっているとすら言えるかもしれません。
しかし、「やりたいこと」は何もないところからは生まれません。
知識と経験を積み上げ、その中からふと生まれてくるものです。
これも、お金を例に挙げると大変わかりやすいです。
例えば、その人の「やりたいこと」「達成したいこと」は、およそその人の持っている資産や収入に左右されます。
お金がほとんどないという状態で、将来に対する明確で明るいビジョンを持つことは容易ではなく、またそれを具体的なプロセスとして順序だてて考えることはさらに困難です。
他方で「お金の余裕は心の余裕である」という言葉もある通り、お金に余裕があることによって、自分のやりたいことが初めて見えてくる、という側面もあります。
以上の例を勉強に置き換えて考えると、下記のようになります。
勉強が不十分で知識や思考力が不足している状態では、将来について具体的な事柄を深く思考して、自分なりに納得のいく答えを出すということは、困難です。
また、それを実行するための具体的な過程を思い描いて、それ実行し続けることはさらに困難です。
他方で、「知識と思考力の余裕は心の余裕」につながります。
豊富な知識と確かな思考力に裏付けられてこそ、自分のやりたいことが見えてきて、さらにそれを実現しようと頑張れるはずです。
知識とスキルの貯金箱:1つ1つの積み上げが、未来の糧となる
今、学んでいる内容が今すぐに役立つわけではないかもしれません。
例えば、テストの点数のために勉強するという、今この瞬間が10年後、20年後の自分につながっているとは思えない、というご家庭、生徒さんも多いでしょう。
しかし、学びは「知的な貯金」です。
大人になってから、何か新しいことを始めたいと考えたとき、すでに持っている知識やスキルが、自分の背中を後押ししてくれます。
例えば、私は2017年9月に25歳でこの呉市の家庭教師の白井を立ち上げましたが、そこでは受験勉強で学んだ各科目の知識や実績だけではなく、大学時代に学んだ法学・法律学・政治学あるいは一般教養が大変役立ちました。
私以外でも、「今学んでいること」が思わぬ形で、自分の成功をサポートしてくれるという例は少なくなく、将来就職するにしても、起業するにしても、投資をするにしても、過去の「貯金」が役に立つという例は枚挙にいとまがありません。
総括:勉強とは未来の自分を信じ、投資をするということ
このように、「自分のため」というのは具体化すれば、「未来の自分にもっと選択肢を与えること」ということです。
今努力したことが、今日明日にすぐに形になることはないかもしれません。
今すぐ役に立つことに目が行って、後々大きな大樹となることは、文字通り後回しになることも、人間の心理バイアスとして、当然のことです。
しかし、今の学びは将来に対する「貯金」であり、「投資」であり、また「保険」だといえるのです。
そのため、私なりの解釈としては「何のために役立つのかわからない」と、思うならばそれを否定するのではなく、あえて「自分にとりあえず、そう思わせて」おいて、そのうえで、「自分はそう思っている側面もあるけれど、それを無視して将来の投資のためにコツコツ勉強する」というようにしています。
こうした「学び」と「時間的ラグ」の発想、またそれに対する心理的処理については、これからの時代を生きる子どもたちや、そのご家庭にとって大きなヒントになるはずです。
次回予告:公共性や社会とつながる学びへ
思ったよりも、かなりの長文になってしまいましたので、「利他的側面:公共性」に関する総論は、次の記事で触れようと思います。
次回のキーワードは、下記のとおりです。
- 他者の気持ちを想像する力(ただ、「思う」だけを超えて、想像するということ)
- 民主主義を動かすリテラシー(主権者としての教養、品格)
- 公共インフラとしての知識(みんなのために学ぶ、ということ)
- 正義やルールを考える力(抽象・具体を自在に行き来する)
- 多様性を認めあうための基盤(無関心との相違)
第1回投稿後、何人かのお客さまにご案内したところ、私の想定を超えて反響を頂いてので、(いつ終わるかよくわかりませんが)気合を入れて、第3回以降も実感を込めて執筆していきます。
では、呉市の家庭教師の白井を今後ともどうぞよろしくお願いします。
ご家庭向けガイド
🧒 小学生の方向け(物語・3〜4年生)
はるかは 小学四年生。いろいろな教科を勉強していますが、「どうしてこんなにたくさんのことを勉強するのかなあ」と思うことがあります。
ある日、はるかはお母さんとお買い物に行きました。
お店でりんごが三つで300円と書いてあり、はるかは
「一つ100円だね!」
と計算しました。
外国のおきゃくさんに
「ハロー!」
と英語であいさつもしました。
お母さんは
「すごいね!」
とほめてくれました。
帰り道、空のくもを見て
「雨が降りそうだね」
と言うと、お母さんは
「学校で習った通りだね」
と笑いました。
おうちに帰ったあと、はるかは
「今日、学校で習ったことをたくさん使ったなあ」
と気づきました。
お母さんも
「学校でいろいろ勉強しているから、今こんなふうにできるんだよ」
と教えてくれました。
それを聞いて、はるかはこれからもいろんな勉強をがんばってみようと思いました。
👦 中学生の方向け(説明文・中2〜3)
「こんな勉強、将来役に立つの?」と疑問に思う人もいるでしょう。
実際には、どの教科にも学ぶ意味があります。
国語で身につく読み書きの力、数学で鍛える論理的に考える力、理科で培う自然を理解する力、社会で学ぶ社会の仕組みの知識、英語で広がる世界への視野など、すべてが私たちの生活に役立っています。
このように、学校で学ぶことは決してムダではありません。
いろいろな教科を学ぶことで物事を多面的に考えられるようになり、将来の選択肢も広がります。
学ぶ過程で自分の好きなことや得意なことを見つけられるかもしれません。
また、実生活でも一つの問題を解決するときには、複数の教科で学んだ知識を組み合わせて考える必要があります。
さらに、「幅広く学ぶ力」はAIの時代にも必要です。
AIは情報を与えてくれますが、その情報を使いこなし、正しいか判断するには、自分自身の幅広い知識と考える力が欠かせません。
👪 保護者の方向けヒント
- 各教科の「役立つ場面」を示す: 子どもが「この勉強意味あるの?」と言ったら、「算数は買い物でおつりを計算するときに使えるよ」「国語が得意だと説明が上手になるよ」など、教科ごとに生活で役立つ例を教えてあげましょう。身近な場面を挙げることで、勉強の目的をイメージしやすくなります。
- 子どもの興味と結びつける: 子どもの好きなことに勉強を絡めて話しましょう。例えばスポーツが好きなら「得点を計算したり作戦を考えたりするのに算数が使えるね」のように、興味のある分野で教科の力が生きることを伝えます。
- 教科同士のつながりを話す: 「理科の実験結果をまとめるのに算数が必要だよ」など、教科同士が助け合う例を示しましょう。様々な知識を組み合わせることで、より深く理解できたり、新しい発見が生まれたりすることも教えてあげてください。
- 将来の選択肢の話をする: 「将来どんな仕事に就いても、いろんなことを知っていると助かるよ」と伝えましょう。今は興味がなくても、大人になるにつれて必要な知識は変わるかもしれません。だからこそ、幅広く勉強して自分の可能性を広げておくことが大切だと伝えます。
連載第3回:AIと学習の意義:公共性から考える「社会で通用する教養」
今回の記事の要点は、下記のとおりです。
- 生成AI時代、人が担うのは“合意の設計”
- その土台は〈言語・規範・判断〉という3つの技術
- 各教科の学びは社会に貢献できる教養に直結する
はじめに:AIと学習の意義、なぜ今の時代に「公共性」なのか
この記事を書いている間に、ChatGPTがアップデートされ、ChatGPT 5(GPT-5)となりました。
※参照:GPT-5のご紹介(OpenAI)
※執筆時点(令和7年8月10日)の最新アップデートに基づきます。
おそらく、遠くない将来には、生成AIはさらに進歩しているでしょう。
これまで大学生レベルといわれていたChatGPTは、博士レベル相当と称されるようになりました。
つまり、専門家に遜色ない水準に達したとも言われます。
私も呉市で様々なご家庭の家庭教師や個別塾の「先生」をしていますが、ある意味ChatGPTは私自身の「先生」になっています。
このようにAIが急速に賢くなり、もはや「知識人」の領域に踏み込んだ今、私たちは「学習の意義」をあらためて問われています。
私は連載第1回で学びの意義を〈利己・公共性・国民意識〉の三つの視点で整理し、連載第2回では「自分のため=将来の選択肢を広げる」という利己的側面をさらに掘り下げました。
第1の側面である「利己的側面」に続き、第2の側面は「公共性」です。
公共性から学びを見つめ直すと見えてくる輪郭を、ここで確かめていきます。
公共性とは――みんなのために学ぶ必要性
公共性とは、理性的な個人同士が互いの尊厳を認め合い、言葉とルールを介して共に生きるための土台となるものです。
AIは膨大な情報をまとめて便利にしてはくれますが、「誰と、どのように、何のために共に生きるのか」という責任ある判断や合意形成は、最後は人間が担います。
私は連載第2回において利己的側面の重要性を、いろいろな面から論じました。
しかし「学習の意義」を考えれば考えるほど、「自分のため」「あなたのため」だけではうまく整理できない事柄が出てきます。
つまり、「みんなのために学ぶ」という側面を無視するわけにはいきません。
AI時代の学びは「テストで点を取る力」だけでなく、AI登場でさらなる変革をしている社会で通用する教養――すなわち、他者と対話し、情報を見極め、正義やルールを考え、多様性の中で協働できる力――を育てる営みへと拡張される必要があります。
もしこの種の「意義」が軽視されるような世の中になれば、それは社会全体にとって不幸なことです。しっかりとした教養と理性がなければ、その社会自体も持続しにくくなるからです。
公共性を掘り下げる5つのキーワード
・他者の気持ちを想像する力(ただ「思う」を超えて、相手の立場に立って考える)
・民主主義を動かすリテラシー(主権者としての教養と品格)
・公共インフラとしての知識(みんなのために学ぶという発想)
・正義やルールを考える力(抽象と具体を往復して妥当な解を探る)
・多様性を認め合うための基盤(無関心とは異なる、承認と共存)
「社会で通用する教養」は特別な誰かのものではありません。国語の要約や対話、社会科の制度理解、理科のデータ読解、数学の論証、英語の異文化コミュニケーション――これらは、利己的側面だけでなく、利他的側面(公共性)とも深く結びついています。
人が公共性を学び取る意義
生成AIに頼れば、「質問の答え」はいつでも簡単にほぼ即時に得られます。
だからこそ、人は答えではなく関係をつくる役割をより強く担います。
良い関係は利益と機会を生み、悪い関係は不信と損失を生みます。
この人間関係――すなわち他者とともに生きる営み――を支える基盤が、言語・規範・判断です。
- 言語:伝える/聴く/確かめるための作法
- 規範:約束・ルールをつくり、運用し、見直す枠組み
- 判断:事実と価値を切り分け、妥当な落とし所を定める力
生成AIが答えを高速に供給できる時代に、人が担うのは合意を設計することです。
合意はその場その瞬間たまたまなされるものではなく、言語・規範・判断という技術の積み重ねで生まれます。
公共性を学ぶとは、その技術を教養として身につけることにほかなりません。
① 言語:伝える・聴く・確かめる
AIが要約や下書きを支援してくれる時代でも、自分の責任で言い換え、相手と意味を合わせ、合意へ進める営みは人間に残ります。
言語とは、事実・意見・根拠を整理し、共有の足場をつくる公共的な基盤でもあります。
ここでの到達点は次の二つ――(1)自分の主張を構造化して伝える/(2)相手の主張を相手がうなずける形で言い換えることです。
(1)自分の主張を構造化して伝える力
自分の言いたいこと、主張を相手にわかりやすく伝えるためには、しっかりとした言語運用能力が必要です。
とりわけ、日本語は「主語」を略しても一応成立するため、正確な相互理解が必要な場面においては、あえて主語や目的語など文の要素をしっかり補ったうえで、情報を伝達しなくてはなりません。
例えば、国語における読解や記述力の基礎には、漢字や言葉の知識に加えて、文法力・論理力があります。
国語をしっかりと学び、読み・書きの能力を高めることで、母語による思考力や表現力が深まります。
また、一見国語と対照的に見える数学においても、主張の構造化が重要なのは同様です。
とりわけ数学の証明問題においては、論理的に筋道立てて論証するという、論証のルールや思考方法が学べます。
さらに、英語は外国語におけるコミュニケーション能力を伸ばすというゴールももちろんありますが、日本語と全く違う言語を学ぶことで、「この意味を英語で言うにはどういえばいいだろうか」という問いが生まれます。
また「この英語をぴったりした日本語にするにはどういう言葉が良いだろうか」と、母語を見つめ直す非常に良いツールともなるのです。
このように、何も学ばない状態で、自分の主張を構造化して伝えることは不可能なのです。
自分の言いたいことが自分で表現できないならば、意見交換やその先にあるよりよい社会の形成は非常に困難です。
| ◆追記 | 生成AIへのプロンプト(質問文)を設計する力 |
| 生成AIに良い出力を求めるには、良い入力(プロンプト)が要ります。 役割・目的・入力素材・制約・出力形式――この5点を短く指定するだけで質が一段上がります。 プロンプト設計例:
|
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| 外国語学習は母語のニュアンス理解を深める | |
外国語を学ぶと、母語の“当たり前”が相対化されます。
こうした比較は、国語の読解・作文の精度を引き上げ、対話の誤解を減らします。 |
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(2)相手の主張を相手がうなずける形で言い換える力
相手が自分に伝えてきた事柄を、なるべく相手の頭の中にある姿のままで解釈することは、相互理解にとって大変重要です。
例えば私が呉市で家庭教師をやっているとき、生徒さんに対して「教える」ことも当然しますが、その前提として「生徒さんが何を言っているのか理解する」ことも同じくらい、またはそれ以上に重要です。
それは、よりよいサービスを生徒さんに向けてご提供するためだけではなく、そもそも「人は自分を理解してくれる人の話しか聞かない」からでもあります。
そして、相手の主張をできるだけ理解して、言い換える力は単なる「思いやりの心」だけでは実現できません。
ここでもまた、意味のある学習の裏付けが必要です。
例えば、国語においては上記の通り表現力も学びますが、それに加えて本文の内容を客観的に読解・理解する力も学びます。
これは、相手の主張をなるべく具体的に理解し、意味のあるコミュニケーションにつなげるための必須スキルです。
また、数学においては計算力や図形の理解力を前提に、証明問題が与えられますが、これもまた問題の意図を正確に理解し、自分の覚えた公式やパターンに当てはめて答えを返す能力が磨かれます。
重要なのは、公式や解法パターンそれ自体というよりも、そういう「当てはめの練習」を無数に繰り返すことです。
これにより、何か既存の枠組みに当てはめて、意図を理解して自分の考えを表現する、という力が身に着きます。
このように、何も学ばない状態で「相手を思いやる」ことがいかに難しいか、ということが伝わったかと思います。
学ぶという行いによって、自分の能力を高めて将来の可能性を拡張するとともに、相手を思いやるための素地をはぐくむことができるのです。
② 規範:ルールをつくる・運用する・見直す
みんながともに生きる社会においては、「ルールを守る」「ルールに従う」ということに加えて、
- (自らが)ルールを作る
- (できたルールがちゃんと効果が出ているか考えながら)ルールを運用する
- (ルール自体に問題が出てきたときに)ルールを見直す、作り直す
ということが重要になります。
ルールは必ずしも「法律」とか「条例」など公的なものに限られず、「家庭内での取り決め(家族会議)」とか、「友人間の約束」などプライベートなものも含まれます。
これもまた「ルールは大事だから」とか「ルールは偉い人が作ったから」とか、という抽象的な思考だけでは不十分です。
学習を深めることによって、ルールについて現実とのつながりを意識しながら、具体的に考えることができるようになり、それが結局「ルールを生かす」ことにつながるのです。
例えば、ルールは次の5つの要素で構成されています。
- 原則:何を基本とするか
- 目的:その原則は何のためか
- 例外:どの条件なら外せるか(理由付き)
- 手続:誰が・いつ・どう運用/確認するか
- 評価・見直し:指標と期限(うまくいかなければ直す)
これらについて、要素に分解して思考する力は国語、数学、英語だけではなくすべての科目において基本となります。
また、意外なことかもしれませんがルール作りには数学的な思考が欠かせません。
一般に「全員が100%満足する」ことはしばしば不可能です。
そのため、時間や予算、人員など様々な制約の上で最適解を探すのが現実的だといえます。
その場合においては、目的(満足度最大/安全確保)を決め、制約(予算、時間、人員)を列挙して、配分案Aと配分案Bとを数値やグラフなどを使って、比較します。
このように、数学の「数値化して比較評価」という思考は、公共性にとって不可欠なのです。
加えて、具体的な内容の考え方については、とりわけ歴史における学びが重要になります。
過去、様々な国家や共同体があり、それぞれにはルールが存在していました。
しかし、それらは何らかの理由で不調になり、その背景にはやはりルールの不完全さ、副作用があったことは確かです。
身近な例でいえば、いわゆる「校則」はただ厳しくすればいいというものではありません。
それによって、抜け道を考える人、それを不公平だと考える人、そういう状況を見てルール自体の正当性を疑う人が生まれてきます。
そして、ルール自体を考え直し、再設計するということになり、新しいルールの運用が始まる、ということを繰り返すのです。
こうしたルール作りのプロセスにおいて、歴史の学び(単なる知識の羅列を超えたもの)と考察が重要になることは言うまでもありません。
人間は、過去の体験から学び進化してきた生き物であり、「歴史を学ぶことが未来を作る」としばしばいわれるのは、そのためなのです。
| ◆追記 | ルールの例①:教室のスマホ使用 |
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| ルールの例②:生成AIの使用ルール | |
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③判断:事実と意見を区別し、価値観・反証可能性で裏付ける
事実(ファクト:fact)と意見(オピニオン:opinion)の区別は、例えば大学入学共通テストにおける英語リーディングの設問にも登場します。
現在すでに情報があらゆる場面で氾濫し、また事実と意見が断りなしに混在している状況において、これらを区別する視点を身に着けることは、クリアで健康的な思考にとってとても重要です。
また、事実を基に意見を言うためには、何らかの価値観が必要です。
「価値観」というと、たまにネガティブな印象を持つ人もいるかもしれませんので、「考え方の特長」と言い換えても差し支えありません。
人はそれぞれ自分なりの考え方のパターンを持っており、それを自覚して言語化できるものは言語化するという過程が、結果的に自分のため(利己的側面)だけはなく、公共性(利他的側面)にもつながるのです。
(1)事実と意見を区別して論じること
そもそも議論や対話が成立するためには、共通の事実認識が前提となります。
しかし、これもまた単なる「お題目」として「事実と意見を分けることが大切だ」というだけでは不十分です。
そもそも何が事実で、何が意見に当たるのか、ということも学習によって習得します。
例えば、上述の英語のほか理科の観点をご紹介します。
理科(科学)においては、仮説→予測→検証/対照実験/再現性/測定誤差といった観点がとても重要です。
このように、複数の観点に分けて事実を切り分け、その背景にある法則を考えて、ほかの事柄にも当てはめる、という力は人々の間に共通した思考の基盤を作り上げ、意味のある対話へとつなげてくれます。
また、社会においても同様で、例えば地理分野においてはしばしばグラフや表などのデータを基に問題に答える訓練をします。
ここにおいては、とりわけ「相関関係」と「因果関係」を区別する視点を鍛えることが重要です。
相関関係は、単に2つの物事において「片方が増えるともう片方も増える(減る)」という関係をいうだけであり、「片方がもう片方の原因(結果)である」という因果関係とは異なります。
とりわけ、事実を基に具体的なルール作りという決断をする場合において、相関関係と因果関係の読み間違いは、しばしば大きな失敗につながります。
このように、物事を正しく認識し、共通の基盤の上で意見を出し合って、生産的な判断につなげる、ということは何も自分自身の生活においてだけ重要なことではありません。
むしろ、このような事実と意見の区別という視点は、みんながともに生きる社会において、集団的な錯誤に陥ることなく、集団の強みを発揮するためにとても大切なのです。
(2)価値観を見極める力
たとえ意識していても無意識であっても、述べられた意見には何らかの価値観が含まれています。
私は呉市で家庭教師をする前ですが、大学時代に法社会学の権威ともいえる先生から、「区別を区別せよ」とよく言われていました。
この意味は、暗黙の前提となっている区別のフレーム自体にも、その区別を作った人の価値観が反映されている、ということです。
例えば、「どうやって女性や子どもが安心して暮らせる社会にするのか」という問いには、そもそもの前提として、潜在的な被害者としての女性や子ども、あるいは潜在的な加害者としての男性という非対称な対比構造が想定されています。
もちろん、上記の問いが正しいか誤っているか、というのはまた別の問題ですが、こういう「前提条件」は、明確な問いという形をとらないがゆえに、その情報を受信した相手により確定的なメッセージを与えるのも事実です。
このように、様々な明示的・暗示的形で現れる価値観ですが、これらを読み解くにはやはり国語の読解力・論理力が欠かせません。
また、それをさらに多面的に鍛えるためには、数学の論理的思考力や、英語という第2言語的な視点も極めて重要です。
(3)反証可能性を意見に潜ませておく品格
ところで、価値観自体はその人その人固有のものであり、否定したり逆に、100%模倣すべきものでもありません。
むしろ、それに基づいて発信された意見において重要なことは、反証可能性です。
反証というと「反論」とか「反対」とか、そういうネガティブなイメージが浮かび、無意識のうちに避ける人もいるかもしれません。
しかしながら、自分の意見に反証可能性がない場合、それは相手だけではなく自分自身にとっても不利益なのです。
反証可能性とは、「どんな事実が観察されたら自分の結論を見直すか」をあらかじめ明記しておく態度です。
これは相手に対する開かれた態度であるのと同時に、自分の学びを前に進める安全装置でもあります。
反証可能性の構成要素は、下記の6つです。
- 結論(いまの仮説)
- 指標(何で測るか)
- 閾値(どの数値になったら見直すか)
- 期間(いつまでに判定するか)
- データ源(どこから取るか)
- 見直し日(次に集まって判断する日)
これらをご覧になると「またか」と思われますが、ここでも同様に要素を分析し、分解して考え、説明する力と態度が大切になります。
つまり、国語の力(論理読解・記述の力)、数学の力(論証、パターンへの当てはめの力)、理科・社会の力(事実を切り分ける力)がやはりここでも必要です。
AIが「答え候補」を配るほど、私たちは見直せる結論を自分で置くことが大切になります。
| ◆追記 | 反証可能性の活用例①学習 |
| 暗記カード法は英単語テストの平均正答率が3週間で+15点に届かなければ見直す。
(データ源:週次小テスト、判定日:第3金曜) |
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| 反証可能性の活用例②校内ルール | |
| 遅刻対策の掲示→月次遅刻件数が20%未満しか減らなければ、連絡手続の見直しを検討。
(データ源:出欠記録、判定日:月末会議) |
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| 反証可能性の活用例③地域活動 | |
| 図書館の開館延長→19時以降の来館者が**3か月で+30%**に満たなければ、曜日限定に戻す。
データ源:入館カウンタ、判定日:四半期末 |
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(追記):表現の伝わりやすさを技術面・実質面から整理する
表現には伝わりやすいものと、伝わりづらい(誤解や誤読につながる)ものがあります。
今回、国語(現代文)についていろいろな観点から解説しましたが、これを形式面(技術面:字の巧拙・文法など)と実質面(内容面:内容・説明のわかりやすさ)という2つの視点を導入して整理すると、以下の表のようになります。
つまり、「伝わりづらい表現」には2種類あることが分かります。
1つは、形式面で不足がある場合です。
手書き文字の場合において、文字が読みづらい(場合によっては判読できない)場合や、言語としての文法が正しく適用されていない場合には、そもそも書き手が表現したいことが読み手に伝わりません。
このとき、相手からは「そもそも、あなたの書いているものが(よく)読めない」という印象を持たれますし、場合によっては拙い字は相手の印象を害します。
もう1つの場合は、実質面で不足がある場合です。
つまり、言葉選びが適切ではない、説明が論理的でない、順番が整理されてない、などが原因となって、自分の頭の中にあることが相手に伝わらないとか、間違って伝わるということが起こりえます。
このとき、相手からは「そもそも、あなたの言いたいことが分からない」という印象を持たれますし、場合によっては自分の意図していないことが相手に伝わったために、相手を怒らせたり、炎上を招くということもあるでしょう。
以上を整理すると、相手に伝わる表現をするためには次の2点が重要です。
- 相手に読みやすいように言う/書くこと(字の丁寧さ、文法の明確さ)
- 相手にわかりやすいように言う/書くこと(言葉選びの適切さ、論理の明快さ)
上記のうち、どちらが欠けていても表現やコミュニケーションというものは成立しなくなります。
学びの場において、「書写」も「プレゼンテーション練習」も同じくらい重要だといえるのは、そのためなのです。
総括:AIが配るのは“答え”、人がつくるのは“関係”
AIが賢くなればなるほど、私たちが担うのは関係を設計し、維持し、再構築する力ということになります。
今回の連載では、その土台をなす三本柱――言語・規範・判断――を、科目と結び直しながら整理しました。
- 言語:自分の主張を構造化し、相手の主張を相手がうなずける形で言い換える。生成AIには良いプロンプトで依頼し、最終的な責任ある言い換えは自分で行う。
- 規範:ルールは「原則/目的/例外/手続/評価・見直し」の5点セットで設計する。数学的な制約と最適化、歴史から学ぶ副作用の視点が効く。
- 判断:事実・解釈・価値を分け、反証可能性(指標・閾値・期間・見直し日)を埋め込んで、結論を見直せる形で置く。
これらは試験のためだけの力ではありません。
家庭や教室、地域社会で合意をつくる作法そのものです。
AIが「情報」を供給するほど、私たちは言葉で確かめ、ルールを運用し、データで見直すことを学び続ける必要があります。
次回予告:連載第4回「AIと学習の意義:国民意識から考える〈共同体に根差した学び〉」(仮)
次回連載第4回では、「みんなのために学ぶ」というもう1つの側面である「国民意識」について掘り下げて考えます。
次回のキーワードは、下記のとおりです。
- 公共性との違いと接点:個人間の合意から、国民的連帯へ
- 文化資本と歴史的記憶:古典・日本史・地理がつくる「私たち」の物語
- 地域と国家のレジリエンス:災害・防災・公衆衛生での協働
- 多文化時代の国民意識:誇りと排他の線引き
- 科目別の手がかり:
- 国語:古典・近代日本語の読解で価値観の系譜を知る
- 社会:日本史・地理で制度と地域の重なりを学ぶ
- 理科:日本の科学技術・防災の知を公共善として捉える
- 英語:異文化説明のために自国の文脈を言語化する
- 芸術・音楽・保体:郷土芸能・国歌・チームスポーツが育む連帯
「公共性」という単独の項目で、これだけのボリュームの記事となったことに私も大変驚いています。
このような感じで、次回も更新を頑張りますので、今後とも呉市の家庭教師の白井をどうぞよろしくお願いいたします。
ご家庭向けガイド
🧒 小学生の方向け(物語・3〜4年生)
あかりは 小学四年生。そうじ当番の日、ほうきではきを ながら、「どうして わたしが きれいにしなきゃいけないのかな?」と おもっていました。
きょうしつが よごれていても、自分だけ せきがきれいならいいや、とかんがえてしまったのです。
あかりは そうじをさぼって外であそぼうとしました。
でも、ともだちがいっしょうけんめいそうじしているのを見て、こころがチクンとしました。
「みんながこまっているかも」
と気になったのです。
あかりも教室にもどってそうじをてつだいました。
「ありがとう!」
「教室がピカピカになったね」
とともだちがえがおで言いました。
あかりもとてもうれしくなりました。みんなできれいにした教室は、とてもきもちがよかったからです。
「みんなのためにがんばると、こんなにうれしいんだ」と、あかりはおもいました。
👦 中学生の方向け(説明文・中2〜3)
人は一人では生きられず、社会の中で支え合って暮らしています。
勉強には、「みんなのため」に役立つという大切な意義があります。
学校で友達と学ぶ中で、他の人の考え方や気持ちを知り、自分との違いを理解できるようになります。
また、社会や歴史を学ぶことで、ルールや決まりの大切さや、正義とは何かを考える力が育ちます。
例えば、クラスで意見が合わないときも、お互いの話をしっかり聞いて一緒に考えれば、みんなが納得できる解決策を見つけられます。
AIがどんなに発達しても、人と人が話し合って決めることや、お互いを思いやる気持ちは機械には作れません。
勉強を通して、みんなで協力する力や相手を尊重する態度を身につけることが、より良い社会につながります。
「みんなのために学ぶ」という考え方を「公共性」と言います。
👪 保護者の方向けヒント
- 他人の気持ちを考えるよう促す: 子どもが自分中心の発言をしたときは、「もし◯◯されたら、どんな気持ちがするかな?」と問いかけてみましょう。他人の立場で考える練習になり、思いやりの心を育てることにつながります。
- 協力することの楽しさを伝える: 一人では難しいことも、みんなで協力すればできる経験をさせましょう。例えば、家族で一緒に料理や掃除をして、「チームでやると早く終わって楽しいね」と感じさせると、協力の大切さが実感できます。
- ルールの意味を説明する: 子どもが決まりを守りたがらないときは、「ルールはみんなが気持ちよく過ごすためのお約束なんだよ」と伝えましょう。ルールには理由があり、自分も相手も安心できるためのものだと理解させます。
- 話し合いの姿勢を教える: けんかや意見の対立が起きたときは、「まず相手の言い分も聞いてみようね」と声をかけます。お互いに話を聞き、譲り合う方法を子どもと一緒に考えましょう。話し合いで解決する習慣が身につけば、公共性の土台が育ちます。
連載第4回:AIと学習の意義:国民意識から考える「人間ならではの学び」
今回の記事の要点は、下記のとおりです。
- AI時代において人間が担うのは「物語の共有」「物語の伝承と創造」である
- グローバル社会において重要な寛容心や品格は、人間自身の学びによって生み出す
- みんなが同じことを同じ場で学んだという「事実」は時にその内容よりも重要である
- 国民意識を押し付けず、むしろ選択肢を拡げる糧となるような工夫が必要
はじめに:国民意識について─排他ではなく開かれた帰属意識を目指して
既に私は連載3回において、「公共性」を学ぶ大切さを述べました。
人によってはそれでもう「お腹いっぱい」であり、この稿において「国民意識」について触れる必要性をあまり感じない人もいるかもしれません。
また、反対に「国民意識」についてなにか戦前・戦中のような押しつけがましいナショナリズムを想起して、得体のしれない忌避感を持たれる方も、もしかしたらいらっしゃるでしょう。
しかし、実際この第4回で描くのは、そのどちらでもない「(自分の内外に)開かれた国民意識」という新しい視点です。
この視点は、本質的にAIではなく、人間が担うべきものです。
なぜならば、生成AIは文章作成や翻訳、プログラミングなどの「作業」の心強いパートナーにはなりえますが、他方で人間同士の絆や故郷を大切に思う心といったアイデンティティの支柱は、結局人間自身の問題になるからです。
本記事の視点・方針:デリケートなテーマだからこそ丁寧に論じます
本記事では、まず国民意識のコアとなる、「自分はこの国に属する一員である」という帰属意識や連帯感について、「なぜ、それを今のグローバルな世の中で問うのか」また前回の投稿で触れた「公共性」とどのように関係があるのか、という問題意識からより深く掘り下げます。
そして、次に現代教育において最も「学ぶこと自体に対する疑問」が生じやすい、歴史や古典教育について、呉市の家庭教師の白井としての考えを述べます。
また、芸術や総合的な学習の時間についても、国民意識との関連をなるべく具体的に述べます。
さらに、「国民意識」について、よくあるテーマである「価値観の押し付け」や「国際性との両立」というテーマについて、「対象をより具体的に学ぶことによって、かえってそれから自由になれ、選択肢も持てる」という視点や、「自信と所属する共同体との紐帯が、他者への寛容につながる」という視点から、なるべくわかりやすく、フェアな観点から私なりの回答を示します。
また、「学校教育の変容可能性とAI時代の国民意識の学び」というテーマについても、取り上げます。個人的に、これこそが公的なものとは独立した予算を持つ民間教育(学習塾、家庭教師)の存在意義だと思っています。
AI時代に国民意識を問い学ぶ意味
AIの進歩が著しい中で、次のような疑問が湧いてくることもあるのではないでしょうか。
それは、「AI時代に勉強は必要?もう人間は勉強せずに楽しく生きるだけでよいのでは?」という、かなり素朴ですが、あまり呉市の家庭教師サービスや学習塾ページでは触れられていない疑問です。
しかし、考えてみれば「その通り!」という方も少なくないでしょう。
人間というものは、そもそも「やらなくてもいいこと」はやらないようにできている生き物です。
それゆえに、「国民意識」というある種迂遠な概念を持ち出されても、「何をいまさら」という感想を持たれることも、また当然想定しているところです。
ここからは、私の考えになりますが、答えは「大いにあります」というよりも、「さらにいっそう学ぶ意義は高まりました」というものです。
以下、次の2つの観点から具体的に考えていきましょう。
グローバリズム:国際化との関連
第1の疑問としては、「世界はグローバル化しているのだから、古典とか芸術とかそんなものよりも、英会話とかITとか金融とかを学んだほうがまだよいのでは?」というものです。
確かに、もっともな考えです。
これらはすべて実用性が高く、またできるだけ全ての人に「公共財」として提供することは、とりわけ公教育である学校にとって重要性が高いテーマでしょう。
逆に古典とか芸術は、実用性が低く、これらを学んでも「時間の無駄遣い」と感じる方も少なくないと思います。
しかし、実際にはこれら伝統を学ぶということは、グローバルな時代と矛盾するものではありません。
政治学者のフランシス・フクヤマによれば、「inclusiveなナショナル・アイデンティティ(包摂的な国民の帰属意識」は現代社会の安定に不可欠であり、国民同士の信頼や連帯、ひいてはリベラル民主主義そのものの基盤となる」と指摘しています。
※参照元:Why National Identity Matters | Journal of Democracy
また、自分自身のアイデンティティやルーツがしっかりしている人は、異なる背景を持つ他者に対して寛容でいられる傾向があります。
反対に、自分自身が揺らいでいる人ほど、他者の価値観に不寛容になりがちだといわれます。
グローバル化した社会ほど、他者に対する「思いやり」や「多様性を認め合う寛容な心」が重要になるとすれば、国民意識の学びでいう「自分の居場所について学び理解を深める」ことが根本的に大切になります。
さらに、これも前回第3回連載で言及しましたが、「単なる思い込み」と「根拠と学びの裏付けがある信念」は違うということです。
単に「故郷や自分自身は大事だ」とただ唱えたり、それを思うように強いることはある種の言葉の暴力です。
そうではなく、具体的な歴史の事柄1つ1つについて知識と理解を深め、また芸術についても技法やその背景にある思想について詳しく知り、使いこなせることこそが自分自身を安定化させ、ひいてはグローバル社会で生き抜いていける自由で自立した自己を支えるのです。
公共性との関連:車の両輪
次に、「国民意識」が「公共性」と車の両輪の関係である、ということについて触れます。
生成AIが、問いに対する答えを供給してくれるようになった現在または未来においては、人間自身が問いを設計し、運用し、問い直すことがとても重要です。
このことは、公共性の稿において述べた「よりよい社会や正義の実現」という観点のほか、「多様な価値観の併存する寛容な社会の実現」という観点とも関連しています。
これも前回の第3回連載との関連でいえば、「③判断:事実と意見を区別し、価値観・反証可能性で裏付ける」という項目について、次のようなことが指摘できます。
- そもそもお互いの価値観を理解し尊重していない場では議論そのものが成立せず、単なる喧嘩や逆恨みにつながってしまう
- 反証可能性という、ある種自身の議論が他者や未来の自分によって「否定」されうる余地を残すことは、他者や未来の自分に対する信頼がなければなかなか行えない
つまり、AI時代においては、自分自身やルーツに対する「根拠のある自信と信頼」を持つことが重要であり、それを支える具体的な教養や学びが肝要になります。
歴史や古典教育への疑問に対する答え
上記は一般論に当たり、具体化が必要なことはここまでの連載で繰り返し強調しているところです。
そういえば、私が大学時代に憲法を学んでいた時、九州大の先生が「例えば?」という問いの重要性について語られていました。
こちらの先生は、別の九州大の先生によれば「(よく勉強されている)右派」ということなのですが、話が抽象的で権威的になりやすい右派において、「例えば?」という問いが大事だと述べられていること、また「例えば…である」とか「要するに…である」というように、抽象と具体の間を自在に行き来する知性の健全性については頷くしかありません。
社会科(歴史)教育と現代社会の関係
さて、歴史教育とりわけ日本の歴史(National history)については、よく「用語の丸暗記作業が無味乾燥でつまらない」とか「記述問題が何も思いつかなくてつらい」という感想をよく聞きます。
しかし、歴史教育においてある程度具体的な議論をするためには、前提となる知識の暗記やその深掘りが重要なのは変わらないと思います。
※ただ、その知識の正確な理解や深掘りに生成AIを活用できるようになったので、より歴史を深く学びやすい時代にはなりました。
歴史について学び、多様な観点から歴史を考察できるようになることは、国民意識の基盤としてとても大切なことです。
子どもたちは歴史を通じて「自分たちの共同体の物語」を共有し、自分がその延長線上にいるのだということを根拠をもって実感できます。
そもそも「近代国家」というものは、その成立の基盤として「歴史認識の共有」があったことは、否定できない事実です。
学校教育を通じて共通の歴史認識を植え付けて、一体感を醸成してきたのです。
例えば、明治維新以後、新政府が国語文法とともに、統一した歴史観を教育してきたことは、国民国家としての一体化を促す政策でもありました。
※その意義と反省については、この連載の後半部分で詳しくまた述べます。
さらに、現代の教室においても郷土の偉人伝や地域の歴史エピソードに触れた子どもが「自分の街にこんな誇りある歴史があったんだ」と知るとき、郷土愛や共同体への愛着が芽生えていきます。
また、学校の外においても「地域のお祭りに家族で参加して楽しかった」とか「図書館で昔の日本人の暮らしを調べて驚いた」といった経験を積み重ねることによって、子どもの中には、共同体への信頼や貢献意識といった紐帯が生まれてくるのです。
国語(古典)不要論と生成AI時代との関係
古文や漢文などの古典の学習もまた、国民としてのアイデンティティをはぐくむ重要な機会です。
「昔の言葉なんて将来、社会や就活で使わないのでは?」と疑問に思う生徒さんもきっと少なくない、いやそれどころかそちらのほうがマジョリティ(多数派)ではないでしょうか。
しかし、中学や高校などの公教育において古典を教える本質的な目的の一つは、私たちの文化的なルーツへの理解と民族的アイデンティティの涵養にあります。
「枕草子」を例に挙げて─「春はあけぼの」を暗唱する意味─
呉市の中学校で最近聞いた話としては、「枕草子」の一節を暗唱して発表する授業をしているところがある、ということです。
私も思い返してみれば、「春はあけぼの」から「冬はつとめて」まで暗唱して、国語の先生に喜ばれた経験があったなぁと思いだします。
さて、このように個人で暗唱しても楽しい枕草子の序段ですが、実は本質そこというよりはむしろ、「学校でみんなが枕草子の序段を暗唱したこと」ということの方にあります。
つまり、「みんなが枕草子を学んだことがある」とか「みんなが枕草子を話題にできる基盤がある」ということは、国民意識をはぐくみ、共有するためにとても重要である、ということです。
つまり、この章の共通テーマである「みんなのために学ぶ」ということです。
また、別の言い方をすれば「祖先を尊重するために学ぶ」ということでもあるでしょう。
ある古典の有名な冒頭を耳にし、言葉にして「ああ、あれね!」と共感しあえる同朋意識や「自分は日本人だ」という自己認識を育むということは、時間と空間を超えて祖先とつながる不思議な連帯感を味わうということであり、いわゆる”National Identity”の醸成にもつながるのです。
もし、将来お子さまから「古典なんて将来役に立たないよ」と言われたら「古典は日本人同士で話が通じる共通教養として大事なんだよ」と教えてあげてもよいでしょう。
芸術(音楽・美術)教育のAI時代における意義
もうすでに生成AIは、芸術家(画家・作曲家)の領域に突入しているともいえます。
具体的には、呉市の家庭教師の白井のテーマソング「ひとりじゃないよ」や「君のペースで」は、どちらもChatGPTで作詞し、AIMusicGen.AIという音楽AIで作曲したものです。
つまり、AIが芸術の領域にも踏み込んだことで、人間が芸術を学ぶ意義もまた改めて問い直す必要があるというわけです。
結論から言えば、音楽や美術の授業もまた歴史や古典と同様に、伝統文化への愛着や誇りを育てます。
例えば、小学校の図画工作で折り紙や版画を作ったり、中学美術で浮世絵や仏像を鑑賞する中で、子どもたちは自国の芸術文化に触れ、その美しさや価値を発見します。
「浮世絵の鮮やかな色遣いにびっくりした」とか「茶道の道具の意匠には意味があるんだね」といった小さな発見の積み重ねが、伝統文化への根拠ある敬意や誇りを芽生えさせるのです。
現行の高等学校学習指導要領(美術)でも、「日本の美術作品や受け継がれてきた表現の特質から、伝統や文化の良さ・美しさを感じ取り愛情を深める」ことが目標に掲げられています。
※詳細は文部科学省の学習指導要領や学習指導要領の解説をご覧ください。
つまり、音楽や美術の授業を通じて、自国の文化遺産を自分ごととして味わい、継承していく態度を養おうとしているのです。
また、主要5教科と比べて、学校での授業時間の比率が小さい傾向があるからこそ、ご家庭でのフォローがとても有効です。
例えば、博物館や美術館に家族で出かけて、日本や世界の伝統工芸や郷土資料に触れたり、地域のお祭りや季節行事に参加して生の伝統芸能に触れる体験は、教科書の知識を超えて子どもの知識を立体化させ、心の中に郷土愛や母国への愛着を刻み込んでくれるでしょう。
総合的な学習の時間との関連:探究することと故郷への理解と愛着
現行の学習指導要領では、「総合的な学習の時間」や高校の新科目「総合的な探究の時間」において、生徒が主体的に地域課題や社会テーマを調査・探究する学びが推奨されています。
ここでも国民意識につながる学びが各地で実践されています。例えば地方の高校で地元の町づくりに参加するプロジェクトや、郷土の産業・文化をテーマにした探究課題に取り組む例は珍しくありません。
※例えば、山形県では教育振興計画で「郷土に誇りを持ち、地域社会の担い手となる心の育成」を基本方針に掲げ、学校で郷土愛につながる探究的な学びを積極的に推進しています。
※実際に各学校の探究活動の事例を集めた「ふるさと探究の広場」という情報サイトを設け、児童生徒の郷土愛醸成に役立てているほどです。
総合学習で地域の伝統工芸の復興策を調べたり、地元の環境問題解決に取り組んだりすることで、生徒たちは自分たちのふるさとへの理解と愛情を深め、共同体への貢献意識を高めていきます。
こうした探究活動は、生徒が自ら課題を見つけ解決策を考える過程で、「郷土や社会の一員として何ができるか」を主体的に考える力を育む点でも意義深いと言えるでしょう。
国民意識に対する懸念への向き合い方:押し付けない工夫と国際性との両立
私が懸念しているのは「国民意識」という言葉が、私の意図しない伝わり方をしてしまうことです。
「国民意識」というワードは、しばしば「それは価値観の押し付けではないか」とか「偏狭なナショナリズムに陥るのでは?」という懸念と結びつきやすいです。
しかし、実際にはその反対であり、私は「1つの価値観に固執しない自由な精神を持ち、グローバルに活躍する人」になるためには、まずは1つ1つの価値観やその根本にある背景や思考形式について、具体的に知っておくことが大切だとみています。
ここでは、こういった反論や懸念についてどのように向き合うべきか、ということを考えます。
「価値観の押し付け」にならないために
まず大前提として、国民意識の涵養は決して特定のイデオロギーを子どもに押し込むことではありません。
押し込まないための工夫としては、次の2点が重要です。
- 子どもに選択の余地を残すこと
- 子どもの表現の自由を尊重すること
そもそも国民意識というものは、子ども自身が自然に芽生えさせるものです。
それを大人が誘導しすぎれば、「自分はこう感じ(考え)なければならないのか」と子どもの心を委縮させ、ひいては自分で考え、自分の言葉で表現するという機会を奪ってしまいます。
このことは、子ども本人の将来の可能性を縮小させてしまうだけではありません。
もし日本がそういう人ばかりになってしまったら、日本という国自体の信頼性や他国とのコミュニケーション能力も低下し、日本そのものの国益をも損なうことになってしまいます。
重要なのは、子どもの自主性を尊重したうえで、複数の選択肢から自分で選び取り、自分の言葉で表現し、また自分自身の選択や表現について責任感を持たせるという大人の態度です。
そのためには、学びのプロセスについて子ども自身が納得して進められるということが不可欠であり、そのことは結局、この連載でくどいほど言及している「根拠のある自信・心」をサポートしてあげることにつながります。
価値観を上から注入するのではなく、子ども自身が価値に「気づく」機会を提供することが大切です。
大人はあくまで子どもの伴走者に過ぎません。
「こう感じなさい」ではなく、「あなたはどう思う?」「あなたはどれが好き?」という問いを発して、子ども自身が自分ごととして考える姿勢を育てましょう。
「国際性」と「国民意識」は矛盾しない
国際性と国民意識は「あれかこれか」という二者択一の問いではなく、開かれた郷土愛はむしろ国際性の基盤となるものです。
自分の「物語」を言葉として表現できる人は、他者の物語にも敬意を持つ心の余裕が生まれます。
ここにおいて、人と人との間の物語の相違は、断絶や脅威ではなくなり、むしろそうした新しい物語を自己の世界に吸収し、自己の中で再解釈することで、自分の世界を拡げてくれます。
※そもそも、元来の「和の心」というものは、それ以外の思想を拒絶して、「和」を絶対化するものではなく、色々なものを取り込んで調和させる技術なり心構えだったのではないでしょうか。
こうした、個人間の協働がうまくいくことによって、個人→家庭→地域→社会→世界へと協働が波及し、結果的に、「みんなのために国民意識を学ぶ」という試みは、自分の暮らす共同体の平穏にも繋がるのです。
つまり、ここにおいても「国民としての誇り」は単なるスローガンであってはならないのです。
自国について、暗記事項も含めてしっかりと学び、誇りの内容を具体的に理解し、また公共性の項目でも述べました「反証可能性」を内包させることが大切です。
そもそも「国民意識」というものは、気づく/気づかないにかかわらず、自分自身の周りに空気のように存在しているものであり、そこから本当の意味で自由になるには、無知・無関心ではいけません。
国語や数学、英語をはじめ理科や社会、実技4教科、道徳、総合など様々な切り口から、具体的に物事を考えられるようになって、初めてそういうものの呪縛のようなものから解き放たれ、真の国際人になれるのではないかと思っています。
学校教育の変容可能性とAI時代の国民意識の学び
生成AIは、問いのインプットさえきちんとやって行えば、1つ1つの問題の解答解説から、学習指針の立案まで、かなり懇切丁寧に教えてくれます。
そのため、以前のように学校教育において「解答解説のわかりやすさ」が求められる度合いは、結構後退したのではないかとみています。
しかし、私は「学校が不要になった」と言いたいわけではありません。
むしろ、「学校にしか提供できないこと」と「家庭教師や学習塾(とりわけ1対1の個別塾)が提供するほうが適しているもの」というような役割分担が明確になったということです。
例えば、学校は「同じ場で同じことを皆が学ぶ場」という、公共財としての言語や古典、歴史などを学ぶ場という側面がこれからますます強調されていくのではないでしょうか。
確かに学習塾は、各教科をわかりやすく、個別化して教えることは得意ですが、「皆が一斉に同じ時刻に(半強制的に)集合する場」という性質は持ちづらいです。
また、学校は「テスト」や「成績評価」という権限を与えられていますから、学習の動機付けにはこれ以上のものはありません。
そのため、学校はこれからも国民意識という共通の財産を育む場としての意義は、強調されてしかるべきだと思います。
一方で、家庭教師や個別塾などの学習サービスは、一般に公的な予算やコントロールの枠外にあり、ある種の独立性を有しています。
そのため、生徒さまやご家庭のニーズに即し、またローカルな(例えば呉市ならではの)話題について話したり、共有したり、また学びを深めたりすることも容易です。
また、学校ではその中立性ゆえに、話題にしづらい古典や歴史学習の重要な意義である「国民意識を学ぶ」ということについても、教師・生徒さま・ご家庭の価値観をより前面に出して学びを進めることも可能です。
このように、生成AI登場以前は、ある種役割が重複しているように見え、対立や代替が起こりやすかったとも言える、学校と学習塾の役割は、生成AIの発展によって、より両立・調和の方向に進む可能性を秘めています。
| 学校 | |
| 得意なこと |
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| 苦手なこと |
|
| 家庭教師・学習塾 | |
| 得意なこと |
|
| 苦手なこと |
|
総括:「みんな」という言葉の多義性
ここまで第3回連載「公共性」と第4回連載「国民意識」という2つの観点から、「みんな」のために学ぶということについて取り上げました。
しかし、「みんな」という言葉は、「自分」という言葉以上に多義的であり、場合分けが必要です。
私は今回は左派的な視点としての「公共性」と、右派的な視点としての「国民意識」という形に切り分けましたが、この分け方が唯一絶対ではありません。
また、人によっても「公共性」と「国民意識」という概念の内包と外延は異なります。
※要するに、同じ言葉を使っていても、その意味が人それぞれ異なるがゆえに、議論がすれ違うということがあるということです。
私は「あなたの言いたいことはわかる。しかし反対だ。」というのは、まぁ仕方ないかなとは思いますが、他方で「そもそもあなたは何が言いたのかわからない/わかりにくい」というのは、結構もったいないかなと思います。
そのため、まずは自分の言いたいことをはっきり伝え共有するための国語の読解・記述力や、数学の論理的思考やパターンプラクティス、英語を学ぶことによる母国語・ニュアンスへの感覚の錬磨といった学びは、ある種「みんなのために学ぶ」ということにつながります。
次回予告:連載第5回「科目別・国語編」— AI時代の〈読む・書く・話す〉を三視点で再設計
これで総論的考察も終わりです。
- 利己的側面:自分のために学ぶ
- 利他的側面:みんなのために学ぶ:公共性
- 利他的側面:みんなのために学ぶ:国民意識
次回から始まる各論をより深くご理解いただくための役者は全て揃いました。
第5回は国語を取り上げ、呉市の家庭教師の白井のアイデンティティを掘り下げます。
次回のキーワードは以下の通りです。
- AIと共存する読解:要約→反証条件→見直し日の三点セット
- 書く力:主語・結論先出し・因果の接続を「型」で身につける
- 話す力:相手の主張を言い換える(鏡写し要約)の訓練法
- 古典の位置づけ:共通の合言葉としての暗唱と現代語パラフレーズ
ご家庭向けガイド
🧒 小学生の方向け(物語・3〜4年生)
みおは町のおまつりのれんしゅうに行くのが、ちょっとめんどうでした。
「あそびたいのに…」とぶつぶつ。
するとおばあちゃんが言いました。
「このおまつりはね、みおのおじいちゃんも子どものころに手つだったんだよ」。
当日、みおは太こを「ドンドン」とたたきました。
かねの音、うたごえ、におい。
しらない人も「ありがとう」と言ってくれます。
おわったあと、みおは気づきました。
「わたしの町が、すきかも」。
つぎの年もてつだおう、と心がポカポカ。
むかしからつづくことを、みんなでつなぐって、うれしいね。
👦 中学生の方向け(説明文・中2〜3)
国民意識とは、自分が属する国や地域への「帰属」と「責任」を自覚し、よりよく受け継ごうとする姿勢です。
歴史を学ぶと出来事の背景や制度の意味が見え、判断の拠り所が増えます。
国語の古典(古文・漢文)は、ものの見方や言葉の型を学び、現代の自分の表現を磨く材料になります。
音楽・美術は、世代を超えて共有される記憶や感情を体験し直す教科です。
AIが情報を集めても、「何を大切にし、どう受け継ぐか」を決めるのは私たち。
自分のルーツを理解し、他地域・他文化も尊重することが、協力し合える社会の土台になります。
👪 保護者の方向けヒント
- 家族の聞き書きノート:祖父母や親に「子どもの頃の遊び」「好きだった歌」「町の思い出」を3つ聞き、子どもが一行ずつ記録。帰属と誇りの芽を育てます。
- 地元を歩く30分:神社・資料館・記念碑などを親子で1か所。写真1枚+感想1行(良かった点/学んだ点)をその日のうちに残す。
- 共通の言葉を一つ:古典の短文や唱歌を週1で音読・合唱。意味は“自分の言葉”で言い換えさせ、現代とのつながりを実感させます。
- ニュース三行メモ:地域の話題を「事実/意見/自分の考え」で各一行。1週間後の見直し日を決め、変化や気づきを親子で共有。
連載第5回「国語:現代文編」— AI時代の〈読む・書く・話す〉を三視点で再設計
はじめに:人間自身が言語を学び鍛える意義
今回から「各論」になります。
各論では、前回連載第4回まで展開してきた総論においてそれぞれ詳しく説明しました<利己・公共性・国民意識>という3つの視点を活用しながら、それぞれの教科を学ぶ意義を深掘りしていこうと思います。
そして、今回は国語(現代文)を取り上げます。
※古典:古文・漢文については、今回は補助的に取り上げ、次回連載第6回で独立して詳しく述べることにしました。
国語は、呉市の家庭教師の白井(白井塾)のアイデンティティの1つであり「国語の読解・記述指導がすべての教科の学習・指導の基盤となる」という考えは、私のホームページ(HP)上において、何度となく繰り返し述べているところです。
しかし、AIの目まぐるしい進歩を目にして「知りたいことは、AIに聞けばいい」とか「AIに文章を読み込ませたり、生成してもらうから人間は不要」とか、そういう疑問をお持ちの方はいらっしゃるかと思います。
結論から言えば、AI時代だからこそ、読む力・書く力・伝える力はより一層重要になりました。
何がどう重要なのか、ということは本論で詳しく述べますので、以下では次のキーワードに特にご注目ください。
- AI時代のライティング教育:受験勉強を超えた社会の中での文章作成力
- AIへのプロンプト設計力:生成AIの性能を最大限引き出す力
- 文脈把握とコミュニケーション能力:対人コミュニケーションの基盤
- 国語教育の時間・空間的広がり:自国文化理解から国境・時代を越えていく
また、<利己・公共性・国民意識>の3つの視点からそれぞれ述べた後は、読解力の可視化法や語彙力強化のためのアイデアをご提案します。
さらに、文末にはいつも通り小中学生の方向けの要約と、保護者の方向けガイドも掲載しています。
利己的意義:国語を学ぶことは人生の可能性を拡大する
国語の学習やそれによって身につく国語力は「自分のため」に最も直接役立つ力です。
読解力と言語運用能力を高めることによって、将来の選択肢が増え、人生の自由度も高めることができます。
受験勉強における国語運用力の重要性
例えば、受験勉強において国語の読解力が全科目の土台となることは、現行の大学入学共通テストの問題や各大学の二次試験、あるいはそれを基に設計されている高校入試問題や中学入試問題などを、ご覧いただければご理解いただけると思います。
これら入試問題は、膨大な情報から重要な情報を見抜き、それを端的に理解してまとめることを受験生に要求しています。
そのため、国語の読解・記述力がなければ、これらの問題に太刀打ちすることは極めて困難です。
また、普段の学習においても教科書や参考書などの文字媒体あるいは授業動画においても、言語による受信力が高いと、これらを咀嚼して自分のものにするのにかかる時間がより短くなり、より効率的に学習することができます。
社会に出てからの国語運用力の重要性
さらに国語力は社会に出てからも、より一層重要になります。
読解力でいえば、社内の企画書や契約書、マニュアルなどをより短い時間で正確に理解することは時短や業務効率化にとって重要です。
また、記述力でいえば、自身でこれらの書面を作成する際に、わかりやすく伝わりやすい内容にすることで、これもやはり業務の質を高め、トラブル発生などのリスクを予防できます。
例えば、私の体験でいえば、この呉市の家庭教師の白井(白井塾)のホームページを設計したり、あるいは各種法定書面を作成したりするにあたり、結構いろいろなウェブサイトや法律などを読み込みました。
また、契約書や概要書面といった法定書面も一から作りました。
これらにおいても、国語の読解力・記述力が活きたことは言うまでもありません。
もし私自身にこれらの力が不足していれば、そもそも事業の立ち上げ時点からかなり苦労していたであろうことが容易に想像できます。
時代にあった国語力の設定
確かに当時、生成AIは今ほどハイスペックではなかったということもありますし、求められる読解・記述の力というのは、時代に応じて徐々に変化していくべきことは事実です。
しかしながら、基盤となるところの読解・記述の力がしっかりとしているからこそ、時代の変化に合わせて変えていけるということでもありますから、やはり自分自身が納得しながら国語の型を身に着けていくということは、どういう時代であっても重要です。
例えば、生成AIが文章を作成できる時代になっても、世界のトップ企業が求めるのは「高い文章力を持つ人材」だといわれています。
また、ハーバード大学など名門大学でもライティング教育に力を入れており、「文章を書く力が人生の成功を左右する」とまで言われています。
※参照:AI時代でも「文章力」は超重要! 名門大学が注力する「ライティング教育」の実態 ハーバード卒業生なら知ってて当たり前な「7つの力」 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン
このように、自分の考えを論理的にまとめ、相手に伝わる形で文章が書ける力を身に着ければ、進学や就職でアピールできるだけでなく、社会に出てからも企画書・報告書作成からメール文章まであらゆる場面で活躍できます。
実際、優れたリーダーほど自ら時間を割いて文章を書き、自身のビジョンを示すといいます。
論理的に考え、文章にするスキルは問題解決力にも直結するからです。
生成AIの性能を最大限に引き出すには国語力が必須
また、生成AIとの関係でいっても、国語力は極めて重要です。
むしろ、生成AIが登場したからこそ、国語の力がより一層大切になったといっても過言ではありません。
例えば、ChatGPTのようなAIに仕事をさせる場合でも、質の高い成果を得るには人間が的確に指示を出し、出力を評価・調整することが必要です。
曖昧な指示しか出せなければ、AIから曖昧な答えしか返りません。
AIの性能を最大限引き出すためにも、目的と条件を的確に伝える、正確な語彙力と論理力に裏打ちされた「作文力」が重要になるというわけです。
私自身も、この長期連載を書くにあたりChatGPTという生成AIをフル活用していますが、それに細部まで目を通したうえで、自分の言葉で全面的に書き直す作業をしているのは、ほかならぬ私自身という人間です。
自分の言葉で消化して、それをアウトプットする過程を経て、自分の伝えたいニュアンスを盛り込みつつ、読者に伝える文章に仕上げているのです。
つまり、生成AIが登場しても、自分で「読む→考える→書く」という人間ならではの営みを放棄しない人が、結果的にAIをうまく活用し飛躍できる、というわけです。
公共的意義:誤解なく理解し合う基盤
国語力は「みんなのために」学ぶ力でもあります。
人間は社会生活を営む以上、自分の考えを他者に正確に伝えて、相手の意図を正確に読み取ることが必須になります。
読解力と言語表現力は、誤解や対立を減らし、円滑なコミュニケーションを支えます。
例えば最近になってコミュニケーション能力の重要性が叫ばれている一方で、「相手の言うことがそもそもわからない」とか「自分の言いたいことが(自分でも、また当然相手にも)わからない」といった齟齬によって、コミュニケーション不全が起こることも珍しくありません。
国語力が欠如したらSNSは炎上しやすくなる
もちろん、ミスコミュニケーション自体は昔からあったとは思いますが、今のSNS全盛時代において、容易に他者と情報交換・共有できるようになった状況において、国語力の欠如は以前よりも大きな問題の原因となりえます。
具体例を挙げれば、「自販機」という言葉には、「飲み物の自動販売機」のほか、「新幹線の自動券売機」などの意味も含まれており、文脈に応じて「ここでいう自販機とは何なのか」という理解力が重要になります。
もしも、ここで「本当は新幹線の自販機のことを言いたかったのに、実際には飲み物の自販機として伝わってしまった」という事態が起こってしまったら、コミュニケーション自体が成立しなくなります。
また、「自販機」くらいなら、いわゆる「炎上」は起こらないと思いますが、より対立の起こりやすいテーマでこのような誤解や情報伝達の不備が起こった場合は大変です。
たとえ本人に誰かを攻撃する意図がなかったとしても、知らないうちに自分の投稿が炎上し、それによって自分自身も含め多くの人が傷つく、ということはとても不幸なことです。
社会の対話の質を高める国語教育
このように、国語力は情報を発信する側にも、受信する側にも求められる根本的な力だということが伝わったのではないかと思います。
社会をよりよくするためには、人と人同士のコミュニケーションがきちんと成立し、伝えたいことが伝わる環境を整備することが重要です。
つまり、国語力を高めることは、社会全体の対話の質を高めることにつながるのです。
他者理解のための国語教育
また、国語を学ぶことで、他者の考えや気持ちに寄り添う力も養われます。
これも、またSNS時代に重要な資質であることは、例を挙げなくてもわかると思います。
説明文や物語文あるいは、随筆など様々な文章を読むことによって「人によってこんなに考え方が違うんだ」と発見し、実感することができますが、こうした体験こそが他者理解の根源的な基盤となるのです。
さらに、そうした文章に対して、受け取る側の人々がどう感じたか、ということもまた多様です。
国語の授業において、様々な異なる解釈や意見を取り上げて、合意や共通理解に持っていくという試みは、最近の教育や入試のトレンドになっていますが、こうした試みは公共性の基礎になります。
実際、現代文読解ではしばしば自分とは異なる意見の評論や、異文化の物語が題材になりますが、それらを読み解く中で子どもたちは他者理解の素地を育てていきます。
このように、公共性という文脈においては、国語の学習は共通の言葉で、お互いの考えを伝え合い、支え合う土台を作るという、「知的インフラ」を構築する営みだといえるのです。
国民意識:言語を通してふるさとを見る
最後に「国民意識」、すなわち自分の属する国や地域への帰属意識・連帯感・責任感という視点で、国語学習を見てみましょう。
日本語というものは、それ自体、変化を繰り返しながら祖先から受け継いできた一つの財産です。
日本語を学ぶ行為は、日本の文化的遺産や共同体とのつながりを確認することにも直結します。
古典学習に関して一言:古典を通じて現代を見る
特に、(第6回連載で詳しく触れますが)国語科で扱う古典(古文・漢文)は、現代日本語の源流であり、日本人の思考方式や価値観のルーツが刻まれています。
古典を学ぶ意義については「昔の言葉を読むだけなら、不要」という誤解もありますが、それは前提を間違えています。
そもそも古典学習は「昔の言葉を読むだけ」ではないからです。
実は古典を読解するということは、現代の文章を読み解く力にもつながります。
昔の文章に親しむことで、難易度の高い現代文や日常の言葉遣いにも対応できるようになります。
例えば、古典では、文法や敬語を学びますが、これは現代日本語の敬語表現や慣用句につながっており、さらに和歌にみられる凝縮された表現は、現代にみられるキャッチコピーや俳句にも通じているところです。
また、古典作品の中では恋愛や家族、社会への嘆き、といった様々な人の悩みが描かれていますが、これらは時代背景の要素もありますが、他面で現代人と変わらない普遍的な部分もあります。
このように、古典を学ぶことで現代の国語や自国文化に「時間」という新しい座標軸が加わり、自分の属する共同体への理解がより立体的になるのです。
国語教育はふるさとに対する愛着と誇りを育む
故郷への理解と愛着といえば、真っ先に注目されるのは社会科(特に歴史分野)かもしれません。
しかし、ある意味では国語科の学びによって、自分たちの暮らす地域や国の文化・伝統を知り大切にする姿勢を育むことができるのです。
それは、国語科で扱う題材が母国語で語られる説明文や物語文、随筆文であることにも起因しています。
これらを学ぶことによって、昔の人の生活や、その中で感じた喜怒哀楽といった感情が、言語的あるいは非言語的に伝わってきて、「昔の人も自分たちと同じように、悩み努力していたんだ」という気づきにつながります。
こうした発想が、郷土への愛着や先人・先祖への敬意を醸成するのです。
国語学習の横への拡張:国際化との関係
国語の古典学習は、「時間」という新しい座標軸を導入すると上記で述べましたが、これに加えて国語をしっかりと学ぶことによって「世界」というさらに別の軸を自分の中に持つことができるようになります。
そもそも第4回連載で繰り返し述べました通り、「自分自身や自分の属する共同体への愛着と自信」がなければ、他者や他の共同体を尊重することは極めて困難です。
確かに国際学習といえば「英語」が真っ先に思い浮かぶと思いますが、実は国語学習により、自身の文化に対する理解と愛着の気持ちを育てることの方が先なのです。
ところで、最近英語の重要性が受験の世界においても叫ばれるようになっており、中には「国語は点数にあまり結びつかないから後回しにして英語だけを幼少期から鍛えておいたほうが得策だ」という向きもありますが、私はこれについては懸念もしています。
確かに英語学習は重要ですが、その前提としての国語学習もまた重要であり、自らの文化や言語について学び尊重する気持ちを育むことも大事ではないか、と私は思います。
読解力の「見える化」─国語の指導で効果的な3手法
ここまで、「国語学習がいかに重要か」という理念の部分を中心に述べてきました。
しかし、「『例えば』が言えない主張の価値は低い」と私が九州大時代に講義で聞いた通り、国語学習においても理念と実践のバランスが重要です。
また、国語は数学などと違い「途中式」を書く習慣がない人が多いため、教師は「雲をつかむような」感覚で授業をせざるを得ない要素もあり、「読解過程を可視化する実践法の確立」は極めて切実な課題です。
そのため、この章においては、国語学習の「見える化」を通じて、国語の指導をより効率化する試みをいくつかご紹介します。
①根拠マッピング
国語の文章、とりわけ説明文においては主張を支える根拠が存在しています。
物語文や随筆においても、心情を裏付ける根拠となる部分が存在します。
さらに、設問に答えるには根拠となる記述を見つけ出すことが重要です。
このように、読解や設問の解答において重要になる「根拠となる部分」にマーキングしたり、図式化したりするのが、この「根拠マッピング」です。
例えば文章中の重要な一文に線を引き、余白に「筆者の結論」とか「理由①」とメモします。
あるいは、矢印を使い、根拠と主張・心情をつないでもらっても構いません。
重要なのは、そういう論理的なつながりを可視化することです。
こうすることで指導者の方は、「生徒がどの情報を手掛かりに理解を組み立てているか」ということが明確になり、もし的外れな読解を知ればすぐに指摘可能です。
また生徒にとっても「自分がどういう根拠で答えを作っているか」ということが、よりはっきりと見えるようになります。
文部科学省も「文章を読んで理解した内容について考えさせ,それを自分の言葉で表現させる学習」や「各段落ごとに小見出しを付けるなど段落相互の関係を理解させる学習」の重要性を提言しており、根拠マッピングはまさにこうした読解指導に対する処方箋になりうるのです。
※参照:指導の改善の方向:文部科学省
②反証条件付き要約
文章内容を要約させる際に、「どんな事実が判明したらこの結論はひっくり返るのか」という視点も併せて考えさせるという方法です。
一種のクリティカルリーディング(批判的読解)ともいえ、カール・ポパー※の反証可能性の発想を応用して練習でもあります。
この手法はとりわけ評論文指導において効果的であり、例えばある評論文の主張を一文でまとめさせた後、「この主張に反する事実があるとすればどんなことか?」と問いかけます。
生徒側では、文章の前提や前提となる常識を洗い出したうえで、「○○の場合には、この筆者の主張は成り立たない」などと考えます。
こうした訓練を繰り返すことによって、生徒はただ表面的に文章をなぞる(または主張をただ押し付けられる)だけではなく、文章の論理構造や前提条件を意識して読解するようになります。
「要約」の重要性が叫ばれて久しいですが、同時に「反証条件」もセットで考えることで、「筆者が言いたいことの核」がより明確になる効果もあります。
もしも生成AIを活用するならば、ChatGPTに一度文章を要約させたうえで、「ではどんな情報があればこの要約は変わるか」と問いかけて、検討するという使い方も考えられるでしょう。
いずれにせよ、反証条件付き要約は理解の深さを測る一つのメジャーとなり、教師が生徒の批判的思考を鍛え、評価するためのツールとなるのです。
③接続語マーキング
文章中の「しかし」や「だから」あるいは「つまり」といった接続語(つなぎ言葉)に印をつける読解法です。
接続語は前後の文や段落の論理関係を示す道しるべなので、これを意識するだけで文章の骨格理解が進みます。
例えば、逆接の接続語「しかし」や「だが」には「⇔(逆矢印)」マーク、理由を示す「なぜなら」には「⇒」マークを付けるといった具合です。
このように接続語に絞ってマーキングするだけでも、生徒自身が「あ、ここで話が逆方向に進むな」とか「ここで結論が来るな」とリアルタイムで気づけるようになります。
結果として、読むスピードや正確さも向上し、論理的に考える力も鍛えられるというわけです。
ベネッセ教育総合研究所の解説によれば、小学生でも接続語のパターンを3つ(順接・逆接・累加)に分類して覚えることで、筆者の主張を正しく読み取るトレーニングになるといいます。
※参照:接続語は、三つの働きと使い分けを理解しよう 穴埋め問題は選択肢を見ずに解く|国語のチカラ ~「読み、書き、表現」アップの鉄則~|朝日新聞EduA
このように、接続語マーキングは文章の論理を「見える化」する簡便な方法であり、国語が苦手なお子さまほど、劇的な効果があります。
かくいう私の教室(家庭教師の白井、白井塾)においても、国語が苦手な人であれば、接続語にマーカーで印をつけさせるように指導していますが、「文章同士のつながりが意識できるようになった」と好評です。
読解プロセスの再現可能性
以上、3つの読解プロセスの可視化の手法を解説しました。
このような読解プロセスの見える化によって、教師が生徒1人1人の読み取りの癖や弱点にすぐに気づいて、修正することができるようになります。
また生徒さんの方も「自分はなぜ読み間違えたのか」ということをより納得した形で客観的に理解できるようになり、勉強のストレスが減ります。
一見属人的・個人のセンス任せに思われがちな国語読解ですが、実は再現可能な技術として教えることが可能なのです。
語彙力の重要性─言葉の引き出しを増やすには
いうまでもなく、語彙力は国語力の基盤です。
どれだけ論理読解力や記述力があっても、語彙力が不足しているとこれらを活かすこともできません。
実際、心理学の研究では「知らない単語が全体の5%以上を占める文章では内容理解がほぼ困難になる」と報告されています。
※参照:「語彙力」が読解力以前に重要な理由とその伸ばし方! [高校受験] All About
※参照:中田達也著「英単語学習の科学」研究社
20語に1語でも意味不明な単語があると、残りの19語も正確に組み立てて理解することができなくなる、ということです。
なお、この研究は英語の読解研究での知見ですが、日本語でも同様でしょう。
つまり一つの日本語の言葉がよくわからないだけで、文章全体の理解が滞るのです。
逆に言えば、語彙力を高めることによって、読解力や記述力を鍛えることができるのです。
実際、国語で苦戦している方の多くは語彙力不足も同時に抱えていることも少なくありませんので、まずは言葉の意味を蓄えるトレーニングが必要です。
語彙力を高める日常習慣
やはり基本となるのは、日ごろの習慣や心がけです。
「知らない単語と出会ったら、そのままにせず意味を調べる」という習慣を身につけましょう。
例えば子どもが文章やテレビのニュースなどで「斬新な」という言葉に出会ったとします。
この場合、保護者の方はその場で「どういう意味だろうね?」と問いかけます。
そのあと、親が簡単に説明してあげてもいいですし、辞書で調べさせても構いません。
重要なことは、本人が「わからない言葉があった」と意識して、意味をかみ砕いて理解したり別の言葉に言い換えたりするという経験にあります。
意味を教えたら終わりではなく、「じゃあこういう状況でこの『斬新』っていう言葉は使えるかな?」と使い方まで一緒に考えると定着しやすくなります。
知らない言葉を放置せずに、「どういう意味だろう?」と疑問を持ち、調べるクセづけが何より重要です。
「3×3語彙ルール」のご提案
これは、評価語・事実語・感情語の3種×3語ずつ、新出語をストックしていく方法です。
まず「評価語」とは、物事を評価し判断するときに使う語であり、例えば「的確」や「皮肉」、「画期的」といった筆者の主張や価値判断を表す語がこれに当たります。
次に「事実語」ですが、これは客観的事実を示す語のことであり、例えば「統計」や「現象」、「過程」といった事実説明に使われる語がこれに当たります。
最後に「感情語」は、心の動きを表す語であり、例えば「誇らしい」「不安」「わびしい」など感情や雰囲気を表すのに用いられる語がこれに当たります。
現代文の文章には、こえら3種類の語彙がバランスよく登場し、これら3種類をしっかり区別したうえで読むことによって、本文の内容をより分かりやすく捉えることができるようになります。
※説明文などで「感情語」があまり登場しない場合は、「意見語:筆者の主張を表す語」で代用していもよいでしょう。
そこで例えば読書や問題演習の際に、新しく出会ったこれらの言葉を3分類したうえで、リスト化します。
そして各カテゴリーで最低3語ずつは覚える、ということを継続します。
もちろん、余力があればもっと多くの語彙を覚えてもよいですが、継続して様々な言葉を覚えることが重要です。
例えば難しい評価語ばかり覚えて、事実描写の基本語が抜け落ちていたら、実用的とは言えませんし、逆に日常的な語彙ばかりだったら、高度な評価表現についてくことはできなくなります。
このように、3×3語彙ルールを運用し、回していくことによって語彙の質と量、いずれも底上げしていくことができるようになるのです。
(追記)実際に指導で使用しているプリント例
3×3語彙ルールを実践的に運用するために呉市の家庭教師の白井では、次のような表を作って、生徒さんと一緒に取り組んでいます。
ほかにも、物語文の展開を可視化するために、このような簡易なプリントを用意して、これもやはり生徒さんと一緒に取り組んだり、余裕のある生徒さんには宿題として渡しています。
※マーカーで上記の指示通りに色分けし、教師はその色分けが正しいかどうかを、生徒さんと対話しながら、評価します。
さらに、現代文について「質問力」を高めるために、次のようなプリントも用意し、実践してもらっています。
※特に現代文に苦手意識のある生徒さんの場合は、まずは上記の型をそのままなぞる形で、それぞれ要素を分けて考え、そのあとで「代入」するという方式をとるとよいでしょう。
※清書欄と教師用採点基準と得点欄です。教師は基本的に自分で採点しますが、判断が微妙な時には、ChatGPTを活用して採点・評価してもらって第三者性を確保するようにもしています。
国語に関するよくある誤解と筆者の考え
AI時代の国語学習については、いくつかの誤解も見られます。
ここでは、代表的な誤解を挙げそれぞれに対する私の考えを述べます。
※なお、いわゆる「古典学習不要論」については、次回第6回連載で述べます。
誤解①:「文章はAIが書くから、人間が国語を学ぶ必要はない」
これは最近よく耳にする誤解ですが、まさに逆です。
AIが発達した現代だからこそ、人間の側が言葉の力を磨く必要性は増しています。
前述の通り、AIに指示を与えるのも結果を評価するのも人間です。
国語力が低ければ、AIの出力を鵜吞みにして誤った情報に踊らされる危険すらあります。
実際、生成AIは万能なように見えて、実は与えられたプロンプト(指示文)が不明確だと見当違いの答えを返しますし、間違った回答も(人間以上に)それらしく示してくることがあります。
こうしたAIが生成した文章を評価し、その真偽を判断したうえで論旨を整えるのは人間の役割です。
ちなみに私(筆者:白井)は、この連載やホームページの設計・執筆のためにChatGPTを活用していますが、「やはり自分がしっかりしていないとAIとうまく共創できない」と実感しました。
もちろん上記のような誤解のもと、AI時代に「文章を書かない人」は確かに増えるかもしれません。
しかし、そうであればこそ、「きちんと文章を書ける人」の価値は相対的にますます高まっていくのです。
また具体的な提言としては、上述の3つの手法や語彙力強化のほか、「生成AIが出力した文章を生徒が添削する課題」を導入することも挙げられます。
要は「AIに任せきりにせず、自分の目と頭でアウトプットに目を通す」習慣が重要なのです。
こうすることによって、AIを上手に使いこなしつつ、自分自身の国語力も鍛えられます。
誤解②:「国語の読解力はセンスだから、練習しても伸びない」
これも根強い、というか根付いてしまっている誤解かもしれません。
私の主張としては、国語読解と記述は技術であり、再現可能なスキルです。
ただ、それを身につけるのに一朝一夕ではいかないことや、そのための手法が数学の公式暗記などと比べて、手間と準備が必要なだけです。
前述したように、マッピングや接続語チェック、あるいは3×3語彙ルールなどを活用すれば、誰でも着実に国語力は向上します。
実際、国語が得意な人ほど無意識にそうしたテクニックや習慣があるようですが、これを意識化することによって、苦手な人でも国語力を伸ばせます。
したがって「自分は国語の才能がない」などとあきらめず、論理のルールを学ぶ訓練を積むことが大切です。
その際、学校や学習塾、家庭教師の先生には読解プロセスを可視化(見える化)して、指導することが求められます。
もしお子さまが「現代文は直感で選んでいる」とか「なんとなく読んでいる」というならば要注意です。
選択肢を消去したり選んだりする根拠や、記述答案の根拠を一緒に確認してあげましょう。
そうすることで「根拠を持って読む」という習慣が身に付き、国語は必ず伸びます。
総括:「ことばの力」その可能性
AI時代における国語(現代文)の学習意義について、総論で述べました「利己的意義」「公共的意義」「国民意識」という3つの視点から考察しました。
要するに、国語力は自分自身の将来の選択肢を拡げ(利己)、みんなの円滑なコミュニケーションを支え(公共性)、故郷への理解と誇りを生む(土台としての国民意識)という多面的な価値を持っています。
デジタル時代になり、SNSやAIが当たり前になった現代の子どもたちだからこそ、人間らしく幸せに生きるための根っことして、「ことばの力」は大切にされるべきです。
自分の頭で考え、自分の言葉で表現する。
またそれによって他者とわかり合う、という人間的な営みは素朴ではありますが、素朴であるからこそ、その価値は決して色褪せません。
むしろ、技術が高度化するほど、人間にしかできない言語による創造や共通の価値が際立ってくることでしょう。
私(家庭教師の白井、白井塾)自身、日々呉市において、国語指導に携わる中で、AIを上手に取り入れつつ、国語力を軸に据えた教育を提案しています。
例えば、ChatGPTを活用して要約やプレゼンを採点してもらい、さらにブラッシュアップする試みや、自身の主張や作品を分析し言語化してもらい、それ基に話し合う、という体験はAI時代ならではのものです。
しかし、そうした体験を意味あるものにするためには、それを受け取る側の人間の「国語力」が重要であることは言うまでもありません。
このように、今回の連載の結論としては「AI時代でも国語教育は重要である」ということです。
もし、ご家庭で「AIが何でもやってくれるのに、国語を学ぶのはなぜ?」という疑問が出てきたら、この連載における議論を思い返していただき、お子さまには次のように伝えて頂ければ、幸いです。
「あなた自身がより自由に楽しく生きるため、そしてみんなと支え合って社会を作るために国語を学ぶんだよ」と。
次回予告:連載第6回 AI時代における古典学習の意義:利己・公共性・国民意識から考える
もともとの構想では、この第5回連載で国語について、古典も含めて議論をする予定でした。
しかし、ChatGPTなども活用して、構想を深めていく中で「どうもこれは、第5回の内容じゃ収まらないな」と思うようになり、第6回連載で独立して論じることにいたしました。
第6回連載では、「古典:古文・漢文」について、これらを学ぶことを不要と考える向きに、本連載の軸である「利己的意義」「公共的意義」「国民意識的意義」という3つの観点から、私なりの意見を述べる予定です。
なお、次回連載のキーワードは下記を予定していますので、お楽しみに!
- 古典の代替困難性:それを学ぶのは「古典」でなくてもよくない?
- 学力差と古典原文教育:「古典」を学ぶのは学力上位層の贅沢では?
- 原文の「ゆれ」と合意形成スキル:解釈余地の広さと集団一斉授業の接点
- 音韻と型がつむぐ「開かれた帰属意識」:現代語訳だけでは実現困難なこと
付録:ご家庭向けガイド
🧒 小学生の方向け(物語・3〜4年生)
カナは学校のサイトで遠足のお知らせを読んでいました。
「雨天時は体育館。ただし、弁当は各自持参(アレルギー配慮は別紙)。水筒は持参不要(会場で配布)」――でもカナは「不要」を見落として、大きな水筒を二本も用意してしまいます。
見つけたお母さんが言いました。
「接続のことばとかっこの中は合図だよ。線を引いて、『要するに』一文で言ってみよう」
カナはメモに書きました。
「雨でも行く/弁当は必要/水筒は配布」
翌日、友だちが迷っていると、カナはそのメモを見せて説明できました。
最後まで読み、合図に気づくと、安心して行動できる――カナはちょっと誇らしい気持ちになりました。
👦 中学生の方向け(説明文・中2〜3)
現代文の力は、日々の判断に直結します。
通知・規約・SNS・図表を読むときは、まず①事実(データ・規定)②意見(評価)③自分の判断を分けて整理します。
次に、接続語に印をつけ、答えの根拠の位置を矢印で結ぶと、論理が見えてきます。
要約は一文にまとめ、どんな事実があれば結論がくつがえるかという反証条件も添えます。
他者の主張は鏡写し要約で正確に言い換えて確かめます。
語彙は評価語・事実語・感情語を各3語ずつ増やします。
AIに指示を出すときも、目的・条件・出力形式をはっきり書けるほど、的確な答えを引き出せます。
これがネット時代の国語力です。
👪 保護者の方向けヒント
- 朝5分「三行ニュース」:親子で一つ記事を選び、事実/他者の意見/自分の考えを各一行。1週間後に見直して、考えがどう変わったか話す。
- 接続語ハンティング:学校プリントやお知らせで「しかし/つまり/だから」などに色ペン。前→後の関係を口頭で説明させ、理解の筋道を可視化。
- 家ルールを条文化:例「ゲームは30分」→原則/目的/例外/手続きに分解して書き直す。合意形成と説明の練習に。
- レビュー書き換え遊び:ネットの感想文を感情語→事実語に置換。「楽しかった」→「待ち時間10分・座席広い・店員が案内」。説得力の差を体感。
- 3×3語彙カード:1週間で評価語・事実語・感情語を各3語。自作例文を裏面に書き、3日後・7日後に再会(復習)する。
連載第6回:各論「国語:古典編」AI時代の古典学習を利己・公共性・国民意識から考える
はじめに:今回連載の見取り図
前回第5回連載において「国語:現代文」について取り扱う中で、古典を学ぶ意義も併せて論じるのは、記事のボリューム的に難しいことがわかりました。
なぜならば、古典は現代文以上に「不要論」が跋扈(ばっこ)している現状もあり、またそれに対して違和感や危機感を抱いている向きも、相手を説得するための根拠が「面白いから」とか「将来役に立つかもしれないから」などの、ふわっとしたものであることが多いようにみえます。
また、それが却って「古典が嫌いな層」に対して、そう思うベースを強化しているとすらいえますので、ここは論点の整理と明確化が必要です。
私の連載では、第1回からAI時代の学習の意義として、次の観点を提示してきました。
- 利己的側面:第2回で詳しく触れました「自分自身の将来の可能性を拡げるため」という観点
- 利他的側面(左派的公共性):第3回で詳しく触れました「他者と共同して合意を形成する力」という観点
- 利他的側面(右派的国民意識):第4回で詳しく触れました「自分自身のルーツを知り共同体を尊重する姿勢」という観点
そのため、今回連載の前半は、上記3つの観点から現代AI時代に古典を学ぶ意義について、論点の仕分けと深掘りを行います。
また後半部分においては、古典に関する次のような疑問(不要論)に対して、論点の明確化と私(呉市の家庭教師の白井:白井塾)の考えをお示しし、実践形式に落とし込みます。
- 古典を原文で学ぶことに対する疑問:現代語訳で十分では?という疑問
- 古典学習は余裕のある子向けのぜいたくではないかという疑問:いわゆる中下位層の子が多い現場では古典学習は回らないから不要では?という疑問
では、見取り図は示しました。
早速、家庭教師の白井流のAI時代の古典学習を再定義する旅へ出発しましょう。
古典を学ぶ利己的側面:形式から意味を読み解く力
古典を学ぶことで、古典以外の学力も向上します。
それは、古典という現代語とは異なる文法や語彙で書かれた古文・漢文を読みこなすためには、文の構造を正確に理解したうえで、自分の持っている語彙などの知識を当てはめ、形式から意味を推理する力が必要だからです。
例えば、古典においてはしばしば主語が省略され、省略された主語は敬語表現や文脈などから推理するしかないという状況が生じます。
これは古典に内在するといわれている「省略の美学」に起因するものであり、古典学習者は題材と向き合い、考えることで省略されている要素を論理的に補う力を鍛えることができるのです。
論理力は語彙と文法がベース
そして、形式から考えるうえで役立つのが古典文法と単語力です。
例えば古典文法においては、「ぞ・なむ・や・か・こそ」といった係助詞があったら文末は(終止形ではなく)連体形や已然形になるという係り結びの法則がありますが、これも形式から文の骨格を把握する訓練になります。
また、漢文学習においてもレ点などの返り点や様々な句法を学習しますが、これもまた形式と意味をつなげる力をはぐくみます。
例えば『論語』や『韓非子』などの文章を読解する際にも、漢文の文法知識と若干の語彙さえあれば、もとは漢字のみで構成された古代中国語を現代日本語として置き換えることができます。
これは、一見全く関係のないように見える「情報」科目とも繋がっており、一見日常語とは全く異なるようなプログラミング言語を、自分の頭の中で論理的に組み立てるというある種の「翻訳」を行えるようになるのです。
古典の題材は自己成長の宝庫
加えて、古典の題材となる古典作品の内容自体も、自己成長のヒントでいっぱいです。
古典文学には人間の普遍的な悩みや喜びが描かれており、登場人物の心情を読み解くことで、自分の感受性や想像力が豊かになります。
例えば『枕草子』は、中学校や高校で習いますが、この作品は作者である清少納言のずば抜けた審美眼から世の中を見る目を磨いてくれます。
また、同時に『枕草子』が書かれた背景事情を知れば、この作品に満ちあふれた「明るい精神」とは、実は結構「暗い状況」の中で培われたものだということもわかり、逆境の中でも明るさを忘れない清少納言の精神のありようを実感することができます。
また紫式部『源氏物語』もまた、多くの登場人物の心情や視点が描かれていますが、それぞれの立場に立って物語を追うことで、「もし、自分だったらどう感じるのだろう」というように、まったく状況が異なる他者の視点に立って物事を考えられるようになる力が身に付きます。
こうした古典作品に対する想像力や共感力は、AI時代が到来しつつある現代だからこそ、人間が身につけておくべき素養であると私は思います。
AIがどれだけ知識や思考力を備えても、人間の複雑な感情の機微までは代行できないからです。
小中高・社会人への接続:古典学習の連続性
さらに、古典の読み方を小中高(場合によっては大学でも)学ぶことは、将来社会人になって古典作品に接するときの助けにもなります。
確かに社会人になれば多くのビジネス書や自己啓発書などを読む機会が増えるでしょうが、折に触れて『論語』の格言や『徒然草』の一節を読み返す人もいます。
この時、もし学校教育において古典の読み方や、そもそも古典の存在について学んでいなければ、そうした人であっても古典を読んでいなかったかもしれません。
小中高と、長い期間をかけて学んだ「古典へアクセスできる能力」は、むしろその当時よりも社会人になってから活きてくる可能性もあります。
将来古典に立ち返りたいと思ったときに、古典を読んで理解できる教養があることは、きっと自分の成長を後押ししてくれるでしょう。
※古典学習と現代語訳とのバランス取りについては、後半の疑問への回答の箇所で述べます。
古典学習と公共性:原文の「ゆれ」と合意形成プロセス
古典を学ぶことによって、「合意形成のためのプロセス」を学ぶこともできます。
一見、古典という「個人の楽しみ・趣味」の範囲に属する(と思われがちな)教材を使って、どうして公共性が語れるのか、疑問に思うのは当然です。
しかし、古典は実はほかの教材と比較しても「合意形成」のやり方を学ぶのに最適なのです。
例えば、古典の一つの特徴として原文における「ゆれ」があります。
つまり、同じ文章を現代語訳するにしても、訳者によって取り方や訳し方に微妙な差異が生じるのです。
具体的には、『論語』の一節にある「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」について、ある人は「自分がしてほしくないことは他人のせいにするな」と解釈する一方で、「自分がされて嫌なことはするな」と訳す人もいます。
両者の訳はどちらも原文の言っている本質には近いものの、微妙にニュアンスが異なることがわかります。
このように、「原文の多義性」に向き合うことで、「そもそも『欲す』とか『施す』とは何なのか」という、定義を突き詰めて考える訓練になります。
また、日本の古文学習においては、「この文の主語は誰なのだろう」とか「この敬語の敬意の方向はどうなっているのか」という文法的な話題になることが(現代文よりも)多いように思えます。
場合によっては、そうした一つ一つの理解が文脈把握において決定的になることも少なくありません。
古典学習と現代民主主義
こうした場面において、例えば生徒Aは「本文の注にこう書いてあるから、自分はこう思う」と主張し、生徒Bは「本文の背景事情を調べたらこうなっていたから、自分の意見はこうである」と主張する場面を想定してみてください。
このように、古典学習はちゃんと行えば、根拠や証拠に基づいて議論を戦わせる絶好の教材になるのです。
国語の古典というとしばしば無味乾燥な語彙と文法丸暗記なイメージが付きまといますが、実際にはこれほどディスカッションの練習になる素材はないのです。
実際、高校の国語科の教科目標においても「生涯にわたる社会生活における他者との関わりの中で伝え合う力を高め、思考力や想像力を伸ばす」ことが掲げられ※1、「話合いの目的の例」の一つとして「合意形成」が挙げられています。※2
※1:参照:文部科学省「高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説【付録4】各科目の目標及び内容の系統表(高等学校国語科)」より
※2:参照:文部科学省「高等学校学習指導要領(平成 30 年告示)解説」より
古典学習によって、小さな合意を積み重ねて一つの合意としての解釈を生み出していくことができます。
いわば、古典は「現代民主主義の学校」でもあるのです。
古典に描かれている価値観の比較検討
また、古典においてはしばしば対立する価値観が登場することもあります。
典型例としては『韓非子』などにおける厳格な法治主義の思想と、『論語』に代表される仁や礼といった徳治主義の教えが挙げられます。
両者は一見すると「人はそもそも信用・信頼に値するのか」という根本的な問いの時点で対立しているように見えますが、現代の私たちに置き換えて考えるとなぜかどちらも「一理ある」ようにも見えるのが不思議なところです。
これらについて、それぞれの立場の価値観の比較検討を行い、また同時並行で考え方のすり合わせも行うことで、異なる価値観の調整と調和を目指すという経験ができます。
しかも、古典の題材はあくまで、はるか昔のことですから、現代的なあまりにもビビッドな価値観の論争と違い、どこか「他人事」な感じなのも、フェアな議論を練習する上で重要です。
このように、古典作品はそこに描かれている価値観に関しても(それに賛成するか反対するか、のどちらであっても)学習意義は高く、ここにおいても古典の学ぶ意義は示されたといえます。
古典学習と国民意識:音韻と型が紡ぐ「開かれた帰属意識」
古典は私たちに「開かれた国民意識」を育むと考えられます。
例えば中学校では、百人一首や『枕草子』の序段「春はあけぼの…」の一節を暗唱することがありますが、このように古典をみんなで声に出して覚える、ということには大きな意味があるのです。
もちろん、個人で暗唱して楽しい、ということも当然あります。
しかし、これに加えて私は「みんなで百人一首や枕草子を暗唱したことがあった」という事実ないし体験には固有の意味があると考えています。
それは同じ言葉の響きや型をクラス全体が身に着けていると、「ああ、あれね!」と共感しあえる仲間意識が生まれ、また「自分は日本人なんだなぁ」という自己認識にもつながります。
このように音韻(リズム)と言語形式の共有は、時間と空間を超えて先人とつながる不思議な連帯感をもたらし、開かれたナショナル・アイデンティティーを育むのです。
さらにある古典学習の必要性についてのシンポジウムに参加した高校生が「古典を学ぶ意義の一つとして、日本人としてのアイデンティティーを学ぶだけではなく、古典学習を通して自分自身のアイデンティティーや考え方を知る、捉えるということ」と述べているように、古典を学ぶことは自分の属する共同体とともに自分自身をより深く知ることにも繋がるのです。
※参照:『高校に古典は本当に必要なのか 高校生が高校生のために考えたシンポジウムのまとめ』刊行記念★当日のアンケート全公開 – 文学通信|多様な情報をつなげ、多くの「問い」を世に生み出す出版社
「古典学習」は価値観の選択肢と解像度を拡げる
ちなみに、総論でも述べましたが、このことは「古典の価値観を自分も持たなければならない」と強制することではあってはなりません。
むしろ自分の周りに「空気」のように存在している、古典にルーツを持つ価値観を相対化し、それから自由になるためにも、古典を学ぶことはとても重要なのです。
また、「古典」と十把一絡げにするのではなくて、「この古典はこう書いてあったけど、こっちの古典にはこう書いてあったな」というように、古典に対する解像度を上げることで、古典をより自分事にすることができるようになります。
古典学習と国際協調とのつながり
古典はその国の文化のルーツや象徴であるのと同時に、人類普遍の考え方を知る機会でもあります。
例えば、古代中国語であるところの漢文は、日本の文化形成に多大な影響を与えただけでなく、東アジア共通の伝統形成にも寄与しています。
孔子の言葉「学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや」をみんなで学び覚えたりする経験を通じて、日本文化だけでなく中国をはじめとする近隣諸国の文化にも親しみを持つことができます。
こうした知の財産を共有する素地があることで、視野の広い国際性を備えることができるでしょう。
(追記)小括:古典学習の意義の分類表
古典学習について、形式面(文法・語彙)と実質面(内容・背景知識)について、利己的側面、利他的側面:公共性、利他的側面:国民意識の点で述べてきました。
ここではその論点を整理するために、このような分類表をご提案します。
| 形式面(文法・語彙) | |
| 💰利己的側面 | 形式から内容を推理する力が身につく
例)主語が省略された文を敬語や文脈から推測する練習をする →学習・入試全般、社会人としての実務でも役立つ |
| 🕊公共性 | 文法と訳のゆれを前提に合意形成を学ぶ
例)『論語』「己の欲せざる所…」の訳を比較 →議論、話合いの作法が身につく |
| 🌄国民意識 | 音韻と型を基本に古典の語られ方を学ぶ
例)百人一首や枕草子序段などを暗唱する →世代を超えて古典のリズムを受け継ぎ、国民の一体感を育てる |
| 実質面(内容・背景知識) | |
| 💰利己的側面 | 古典作品の思考・感性の型を学べる
例)『枕草子』における筆者の「明るい精神×暗い状況」を材料に逆境での視点を文章化 →学生生活・社会人生活における自己成長に繋げられる |
| 🕊公共性 | 異なる古典作品を比較し、価値観の比較検討ができる
例)徳治主義vs法治主義(史料がベース) →現代のホットな話題から離れて安全に議論の基礎が身につく |
| 🌄国民意識 | 自らの共同体やそのルーツについて古典作品を通じて多面的に理解する
例)『古事記』『日本書紀』などを基に、日本国家の成立過程(征服・和合など)を学ぶ →共同体物語を複数の観点から理解し、批判(検証)可能性を担保しながら伝承する |
古典学習に対するよくある疑問と私の考え
ここからは、後半ということでいわゆる「古典不要論」に対する私の考えを述べていきます。
古典不要論と一言で言っても、その論拠は複数ありますので、ここでは代表的と思われる2つの疑問を軸に私の考えや、その具体化・現場での運用も考えます。
疑問①:古典学習で原文は必要?:現代語訳の併用
実は、この疑問に対しては私は50%くらいは賛成です。
逆に言うと50%は反対なのですが、その理由は「古典以外でも似たことは学べる場合」と「古典原文でなければなかなか同じものは見つからない場合」とがあるからです。
結論A:古典でなくても思考力は鍛えられますが…
まず思考力やコミュニケーション能力は、古典を題材にしなくても(というよりも使いようによってはどんな教材であっても)鍛えることができます。
例えば上記で触れた「利己的側面」においては、古典を学べば考える力が身につく、という趣旨のことを述べましたが、これは現代の論説文や白書、記事などを読んでも十分鍛えることができます。
また、総論で述べましたが反証条件や見直しを置く癖も、ニュース解説やデータ記事で十分練習ができます。
しかし、学ぶ題材を古典にすることにより「上乗せ効果」も期待できます。
まず、前半でも述べました「形式」から「意味理解」につなげていく試みは、古典が非常に適しています。
古典には係り結びや体言止め、そして主語の省略といったある種の「パズル要素」がてんこ盛りであり、これらを文法知識をヒントに紐解いていくことによって、原文から意味を「解凍する」訓練が身に付きます。
また、付け加えるならば、和歌に典型的ですが、掛詞や縁語といった修辞に触れることによって、一語一義を越えて、一語多層という連想の力が身に付きます。
このことは、現代語における抽象読解や比喩の理解にも役立ち、思考の幅が広がります。
結論B:古典でなくても合意形成の方法は学べますが…
ルール作りや、定義のすり合わせといった合意形成は、むしろ現代語で書かれた素材(校則や利用規約、SNS長文)のほうが直球で鍛えることができますし、対話自体もそれを学ぶのに素材はあまり関係ないとも言えます。
しかし、あえて学ぶ題材を「古典」とすることによって「上乗せ効果」も期待できます。
まず、古典では「解釈のゆれ」が必ずと言っていいほど出ますし、しかも可視化されやすいです。
現代語だと、書いてあることや言ってあること自体は「一つの変わらないこと」と認識されやすいですが、古典学習の場合そのテキストの解釈自体が揺らぎます。
このことによって、まず基盤となる事実を議論によって定義したうえで、内容について実質的な議論をするという、「事実」→「意見」という形をよりはっきりした形で学ぶことができます。
さらに、古典の題材となるのはあくまで大昔の出来事や人々です。
そのため、現代的なホットな論点をいきなり議論するよりも「安全」で「簡単」です。
したがって、議論や合意形成のビギナーともいえる子どもたちにとって、古典を題材に思考力を鍛えることには、それなり以上の意味はあるということです。
結論C:古典原文は国民意識の共有のために必須
私が連載開始前に論点を「利己的側面」と「利他的側面:公共性」と「利他的側面:国民意識」の3つにあえて切り分けた意図はここにあるといっても過言ではありません。
そもそも古典はただの「意味の集合体」ではなく、「音韻によって共有される共同の記憶」でもあるのです。
例えば『枕草子』の「春はあけぼの…」の一節は内容自体は今でも再現できるかもしれませんが、それ以上に、あの原文の響きをみんなで共有することに意味があるのです。
さらに、枕詞や掛詞・縁語などといった古典日本語の型は原文でしか味わえませんし、培うこともできません。
これは「(昔から今、そして今から未来への)型の継承」にも通じることであり、古典特有のリズムを受け継いでいくことにより、時代の変化によって変わっていくものと変わらないものとを区別し、言葉によって世界を立体的に視る能力を育てることにもなるのです。
疑問②:古典学習はできる子向けの贅沢なのか?
ここまでの私の説明を読まれて「なるほど、古典を学ぶことは大事なことは分かった。しかし、これはいわゆる『できる子向けの話』であって、古典が苦手な子が多い学校では回らないのではないか?」と疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょう。
これについては、私は「必要性」と「実践例」の2つの観点に分けて解説します。
古典教育が上位層の贅沢だけであってはならない理由:必要性の話
私の意見では、古典学習はむしろ上位層よりもそれ以外の一般層にとって重要です。
それは、古典には①問題解決能力を鍛え、②公共性を育み、③国民意識も涵養するという3つの意義があるからですが、これらの能力はむしろ一部の人々が独占するのではなくて、幅広く共有されるべきものだと考えているからです。
そもそも、世の中は「上位層」だけではありません。
むしろ、世の中の大多数を構成する一般層の子どもたちに古典教育を幅広く提供することによって、将来の主権者としての素養を育てることのほうが大切とさえいえます。
また「一般層(や基礎徹底層)にとっては他の専門技能のほうが大事なのでは?」という疑問も考えられますが、私はそれらとの併用がもっとも現実的だと思います。
というのは、人はある時には職業人ですが、またある時には日本の主権者だからです。
そのため、実務としては古典(原文)教育の負荷を学校や生徒のレベルに応じて調整し、単なる作業や写経にならないように配慮する必要があります。
古典原文量の調節:古典教育を現場で回すために
古典教育の内容をあえて「原文」「訳」「自己言語化」の3つの観点に分けます。
すなわち、原文を現代語訳する練習と、訳を読んで要旨をつかむ練習、そして要旨や主張を自分の言葉で言い換えて理解する練習、というように3つに分けるということです。
私の考える理想的な時間比率は、原文:訳:自己言語化=1:3:1です。
また、訳文だけでは理解が難しい場合には、図やイラストなどもフル活用して、生徒さんの頭の中に古典の映像が浮かぶようにおぜん立てをします。
このことによって、訳や原文がより頭の中に入りますし、そのあと音読をすることによって、原文の音韻(リズム)と意味とを繋げることができます。
さらに、原文をそのまま全訳させるというよりは、一部に絞り(つまり虫食いのようにして)、その限られた部分について、単語の意味や背景知識などを与えたうえで、生徒(たち)に解釈させ、意見を述べさせる場を持つことも重要です。
もちろん、明らかに語彙や文法的に逸脱したものについては、教師が根拠付きで修正してあげることも重要ですが、それと並行して解釈には幅があり、その幅の中では人による違いを許容し、最終的にクラスや班としての合意を形成していくことが重要だということを体験の中で理解してもらいます。
具体的には、1コマ50分と仮定して次のような時間配分を提案します。
- 導入(5分):教師が背景イラスト1枚(写真1枚)などを活用し先行知識を提供する
- 原文スナップ(7分):クラス全体で合唱1回→個人黙読→指示語や接続語、主語述語をマーキングする
- 意味の足場提供(8分):重要語彙を3語に絞って板書(用例付き):類義語・対義語を一緒に覚える
- 全体訳で俯瞰(8分):全体訳を配布し確認→段落ごとに(穴埋めなどで)要約させる
- 生成(12分):作業箇所(一文)を指定したうえで、2人ペアを作り1人は指定語句を用いて要約する&もう1人はその要約を自分の日常語を使ってもう一度要約する(鏡写し要約)、その後役割を入れ替える
- 公共性リフレクション(10分):今日の定義のずれ・根拠の位置・見直し日をミニカードに記入して提出させる
このように、現場で「原文の量と重さ」を調整することにより、古典学習をより広い層に波及させることができます。
総括:それでも根強い古典不要「感」
このように、古典を学ぶことにはそれ固有の意味や、上乗せ効果も具体的にあることを示すことができました。
しかし、それでも読者の方の中には「古典って大事かもしれないけど、どうも『今すぐ』必要な感覚がわいてこないのだけれど…」という感覚を持たれる方もいらっしゃると思います。
それは、とてもまっとうなことだと思いますが、同時に「人間は目先のことに注意が行きやすい代わりに、ちょっと先のことは後回しになりがちだ」ということも念頭においてほしいです。
連載第2回「利己的側面」において、「今すぐ100万円がもらえるのと、1年後に102万円がもらえること」を例に出して、金利の話を少ししましたが、古典学習もまた同じように「金利」のようなものかもしれません。
つまり、「後でじわじわ効いてくる」という種類のものだということです。
上述の通り、古典は正しいプロセスで学べば、十分なリターンを期待できる科目です。
そのため、呉市の家庭教師の白井としても、生徒さんにとって将来の糧となるような古典教育ができるようこれからも日進月歩で邁進してまいります。
次回予告:連載第7回 AI時代における数学を学ぶ意義:数学的思考力と問題解決能力
次回は、AI時代に数学を学ぶ意義を取り上げます。
「数学」というと、国語や古典以上に実利重視的な科目に見えますが、それと同時に「実利だったら、AIがやってくれるから、よけい学ぶ意義がなくなるのでは?」と懸念する方もいらっしゃるでしょう。
しかし、もちろん数学学習にも固有の意義があります。
次回のキーワードは、下記の通りですので、次回連載もお楽しみに!
- 数学的思考力:よく言われている社会で生きる「数学で問題を解決する力」とは?
- パターンプラクティス:いわゆる「チャート式」や問題集を解いて解法演習をする意味とは?
- 言語的思考と代数・幾何的思考:それって「国語とかでも学べますよね?」に対する応答
付録:ご家庭向けガイド
🧒 小学生の方向け(物語・3〜4年生)
ゆうまは国語の授業で「むかしのことば」を習うのがちょっぴり不安でした。
「古典(こてん)って、むずかしそう…」と心配だったのです。
ある日、先生が「春はあけぼの」という文をみんなで声に出して読もうと言いました。
ゆうまも友だちと一緒に「はるはあけぼの…」と読んでみると、不思議とリズムがあって楽しく感じました。
家に帰っておばあちゃんにその話をすると、なんとおばあちゃんも子どものころに同じ文を覚えたと言います。
二人で声に出して読むと、時間(じかん)をこえて心がつながったように思えました。
ゆうまは「むかしの人も今のぼくたちも、同じ言葉で気持ちを共有(きょうゆう)できるんだ」と気づきました。
それからは古典の時間が楽しみになり、わからない言葉があっても「これはどういう意味?」と先生や友だちに聞けるようになりました。
古典のことばはむずかしいだけじゃない、みんなの心を結ぶふしぎな力があるんだなと、ゆうまは少しずつ古典が好きになっていきました。
👦 中学生の方向け(説明文・中2〜3)
古典とは、昔の時代に書かれた文章(古文や漢文)を指します。
中学生の国語では、この古典を学ぶことで現代にはない表現や考え方に触れることができます。
古典の学習には大きく分けて三つの意義があります。
一つ目は利己的な意義(自分のため)です。
古文の文章は主語や語順が現代文と違うため、読解には論理的思考が必要です。
古典を読む訓練によって、文章の構造を把握する力や文脈から意味を推測する力が養われ、それが現代文や他教科の読解力アップにもつながります。
二つ目は公共性(みんなのため)の意義です。
古典の文は解釈が分かれることも多く、授業で友人と意見を交わしながら読み進める中で、相手の話を聞いたり自分の意見を説明したりする力が育ちます。
これは将来、社会で合意形成する力の土台となります。
三つ目は国民意識(郷土や文化への所属意識)の意義です。
日本人全員が学校で『枕草子』や『論語』の一節を学ぶことにより、「自分たちは共通の文化を持っているんだ」という連帯感が生まれます。
古典に親しむことは、自国の文化や言葉の歴史を知り、そこから他国の文化も尊重する姿勢へとつながります。
AI時代であっても、人間にしかできない深い読解や対話、文化への愛着は古典学習を通じて培われるのです。
👪 保護者の方向けヒント
- ワンフレーズ古典を共有:毎週一度、親子で30〜60字の一節を音読しましょう。原文→現代語訳→自分の言葉の順に確認し、理解と自分の言語化を同時に育てます。
- 古典と現代の物語を比べる:古典モチーフの映画・アニメ・児童書を一緒に鑑賞・読書します。鑑賞後に「原作ではどうだった?」と比べると、テーマの共通点と違いが見えて古典が身近になります。
- ことわざ・四字熟語クイズ:食卓や車内で意味当てクイズをしましょう。一緒に由来を調べることで、語彙と文化知識がゲーム感覚で伸びます。
- 家族でミニディスカッション:『論語』などの一節を一つ選び、感じたことを家族で自由に語り合います。正解探しより「自分の言葉で言う→互いに聴く」を重視し、考える力と対話力を育てます。
連載第7回:各論「数学(算数)編①」AI時代の数学学習の意義:前編
はじめに:文系の大敵、数学をAI時代に学ぶ意義について
数学(算数)といえば、前回取り上げました国語(第5回:現代文、第6回:古典)と同様に「好き嫌い」が明確に分かれる科目です。
実際、文系/理系というようにコース選択をする場合においても、数学ができるかどうかが、決定打となることは往々にしてあり、数学が苦手だから文系を選んだ、という生徒さんもこれまで多く見てきました。
また、逆に文系で数学ができると大学の選択肢がかなり広がる、ということも事実であり、受験における数学の重要性は、いくら語っても語り尽くせるほどではありません。
しかし、今回の連載で問題にしたいのは、そういう「受験における有用性」ということだけではありません。
もっと、幅広い目線から、数学を学ぶ意義について、総論(第2回、第3回、第4回)で取り上げました3つの観点から、考察します。
- 💹利己的側面:自分の選択肢の拡大、選択肢の通貨を獲得する学び
- 🌏利他的側面:公共性:より良い議論や合意によってより良い社会を構築するための学び
- 🗾利他的側面:国民意識:国家や共同体、共通の文化を支える人員になるための学び
なお、この数学についての話題は、私の想像を大きく超えるボリュームであったので、数学についての連載も国語(現代文、古典)と同様に、2回に分け、前編では総論を受けて各論としての数学でどう展開するか、という話題について執筆します。
利己的意義:数学を学ぶことは自分の未来を切り拓く
数学は、正しく学べばその人の論理的思考力や、問題解決力を高めてくれます。
このことは、すなわち人生全体における自分自身の選択肢を広げることにつながります。
例えば、将来「医療の道に進みたい」とか「データを扱う仕事がしたい」と思い立ったとしても、数学的な基礎がなければ、その進路は選べません。
また、海外で働くことを希望していたとしても、前提としての英語力に加えて、論理的なプレゼン能力やデータの分析力がなければ、それを備えている人材に大きな差をつけられるでしょう。
さらに高校時代に文系を選択した人であっても、学生時代やそのあとの社会人生活において、数学を学んでおけば、将来における思考と判断の質を高め(投資)、後々になって理系分野に転向するという選択肢も持つ(保険)ことができます。
人生100年時代、「あのとき数学をやっておけば…」と後悔しないように、若いうちから数学に触れて数学アレルギーをなくしておくことは、自分の未来への投資や保険とみることができます。
数学学習と問題解決能力
数学学習では、一言でいえば「筋道立てて考える」力と習慣がつき、これはどのような職業や分野においても役に立つでしょう。
例えば、数学(算数)の問題集においては、あらかじめ学び覚えている定理(公式)や解法(解き方)を用いて、目の前の問題を「どうやって解くか」ということを考えて、実践することが求められます。
これを無意識になんとなくやっているのか、意識的にやるのか、ということはその人の今後の学習成果にも大きな影響を与えることでしょう。
なぜなら、自分の思考過程を可視化し、再現可能性をもたせることで、どこをどう改善すればさらに良くなるのか、ということが検証可能になるからです。
このように、問題全体を部品に分けて、1つ1つ細分化して考えることは、フランスの哲学者ルネ・デカルトが著書『方法序説』で提唱した、問題解決のための格言にも通じるものがあり、哲学と数学のつながりを感じさせてくれます。
つまり、数学の証明問題で学んだ論拠と結論を順序立てて1つ1つ積み上げてつなげていくという経験は、将来のビジネスシーンにおける論理的でわかりやすいプレゼン資料作成にもつながり、その人の問題解決能力を鍛えてくれるというわけです。
物事を数値化する発想や期待値的思考の訓練
私(呉市の家庭教師の白井)は、数学学習で最も重要な単元の1つとして、場合の数・確率を位置づけています。
※たとえ、理系の専門分野に進まないと決めている文系の方でも、期待値は優先して学ぶべきだと思います。
なぜなら、このように物事を数値化して評価し、期待値に基づいて行動するという発想は、意思決定の質を向上させ、ビジネスでもプライベートでもあらゆる場面で自分を支えてくれるからです。
例えば、「期待値」という発想は、しばしば博打(ギャンブル)や投機(スペキュレーション)、あるいは投資(インベストメント)において用いられ、「どうすれば偶然に左右されず、繰り返すことによって利益を期待できるようになれるのか」という答えを得るために使われます。
もちろん、これらの領域において数学(とりわけ確率と期待値)を学ぶことは必須といえますが、それ以外の場面においても、(得られるもの/失うもの)×(それが起こる確率)=(期待値)という発想は、物事を0か100かではなく、具体的な数値で評価して比較する態度にもつながります。
これこそが、いわゆる合理的な思考力であり、冷静な判断というものは合理的な思考力に裏打ちされてこそ意味のあるものである、ということでもあります。
利他的意義:公共性─数学でより良い社会を築くために
公共性とは、「みんなのために学ぶ」「多様な社会で共存・協働するために学ぶ」という視点です。
一見すると、このようなことは社会科の公民や公共で学ぶべきことであり、文系科目と称される社会と対極にある数学とは、関係の薄いものであるように思われるかもしれません。
しかし、実際には数学と公共性は切っても切れない関係にあります。
公共性の実現のためには、その社会に属する人々の客観的な判断力、つまり数学的思考力が不可欠だからです。
数値とエビデンスに基づく意思決定
第3回(公共性)の議論でも触れましたが、社会のルール作りや合意形成のためには、数値に基づく検討が必要になります。
そもそも、社会的な資源は限られていることが多く、これらをどのように分配していけば最大限の効果が得られるか、という問いに答えることに迫られます。
この時、必要なのは数値データに基づく定量的な比較という発想です。
もちろん、物事の中には数値化が難しい、または適さないというものもあるかもしれませんが、あまりに数値化を忌避しすぎると、議論が感情的になり、分断を生む要因にもなるでしょう。
数字やデータなど「誰にとっても同じに見えるもの」を用い、結論までに至る思考過程を可視化したうえで、結論を提供するという過程は人々に納得感を与え、皆が受け入れやすい素地を作ります。
※なお、判断の根拠となる情報のことを「エビデンス」といい、統計資料や実験データなどがこれに含まれます。ここにおいて正確で偽りのないデータがどれほど重要であるか、ということはおそらく学生の方よりも社会人や研究者の方のほうがよくご存じではないでしょうか。
情報社会の必須教養:データやグラフの読み取り能力
数学(算数)において、データやグラフの読み取り問題が重視されるようになって久しいですが、これは近年の情報社会の進展と無関係ではありません。
現代はニュースやSNSで様々な統計グラフや数字が紹介されるようになり、これらを冷静かつ正確に理解し、判断する能力が必須になっています。
例えば、「アンケート結果で〇〇%の人が支持」といった情報を見たとき、それを鵜のみにせずに「サンプル数は十分か?誤差範囲は?」とか「因果関係ではなく相関関係では?」と考える習慣は、数学の統計や確率的な学びなしには芽生えません。
数学を学ぶことで、メディアの情報を客観的に精査し、デマや誤解に惑わされにくくなるというメリットも見逃せません。
つまり、数学を学ぶことは個人の能力向上だけではなく、社会全体の健全性を支え、民主社会の価値を高めてくれるのです。
数学力と対話の質:議論の可視化と反証可能性
国語が言語によるコミュニケーションの媒体(メディア)だとすれば、数学は数や論理によるコミュニケーション・メディアです。
たとえ最終的な意見や結論が異なる人同士であっても、データや数字の話になれば、共通した議論の場を形成することも可能です。
例えば「この人はあまり好きではないし、感覚的には賛成できないけれど、このデータを見れば納得はできる」という経験はないでしょうか。
このように、物事を数値によって可視化し、事実を共有することによって、感情的な衝突を避けて、冷静な問題解決や協働を実現できるのです。
また、第3回連載でも触れましたが「公共的な議論」の基盤には「反証可能性」の裏付けが不可欠です。
例えば「この公共事業は、こういうメリットがあるけれども、統計的にはこういうリスクがあるから、実施は見送る」という人がいたとすれば、この議論における「変数」は「この公共事業のメリット(の大きさ)」と「この公共事業の統計的リスク(の大きさ)」でしょう。
つまり、メリットとリスクをそれぞれ数値化して可視化したうえで、例えば外部要因によってリスクが後退した場合には、上記の議論の前提がなくなるため、この公共事業は実施してもよい、という結論になるでしょう。
さらに、上記の例では公共事業という比較的大きなテーマを題材にしましたが、そもそも日常レベルの議論においても「絶対こうだ」とか「すべての人は〇〇だ」という主張をよく見聞きします。
これに対して、数学の証明における「反例」を理解している人は、「本当に絶対(いつも)なのか?一度でも違う場合があれば、そうはいえないのではないか?」という発想ができ、少なくとも自分自身は冷静でいられるでしょう。
このように、偏見や極論に陥らないためには、数学的な思考力が不可欠であり、こうした力を備えている人が多ければ多いほど、社会全体としても多様な人々の間でも議論が成立しやすくなるでしょう。
数学で学ぶ公平で慎重なものの見方は、現代社会における貴重な資源だといえます。
利他的意義:国民意識─数学学習は文化や安全保障にとっても重要
ここでいう国民意識は、連載第4回で述べました通り、「自分たちのルーツや文化、共同体への愛着と責任」という視点を意味します。
これもまた、数学とは縁遠いもの(逆に国語や歴史に適するもの)のように思われるかもしれませんが、数学にも文化的・国家的意義はあります。
というよりも、数学こそがある意味、その国の発展や安全保障に大きな影響を与えるものであることを、以下では具体的に述べていきます。
日本の歴史と数学者
古代ギリシャや古代ローマにおいて、アルキメデスやピタゴラス、プトレマイオス(トレミー)などの優れた数学者が、現代でも使われている数学の定理を数多く発見したことは、言うまでもありません。
しかし、日本においてもこのような世界の偉人に引けを取らない、優れた数学者がいました。
例えば、江戸時代の関孝和(せき・たかかず)は、独自の数学研究「和算」を発展させたことは、算数や数学の教科書において、紹介されているところですし、現代においても望月新一氏のような世界に衝撃を与える数学者がいらっしゃいます。
こうした優れた数学者の存在は、日本という国の知的な存在感を示すものであり、国民の誇りとなり、「同じ日本人として誇らしい」という気持ちは国民同士の紐帯の強化にもつながります。
つまり、日本の初等教育・中等教育・高等教育という一連の算数・数学教育は、各人の能力強化や社会的議論の健全性保持のためだけではなく、日本という国の学術・技術水準を向上させ、国の未来を形作ってきたのです。
数学による国家の発展と安全保障の強化
昨今、様々な観点での「安全保障」が叫ばれて久しいですが、国家安全保障と数学は、実は切っても切れない関係にあります。
例えば暗号技術や気象予測、経済モデルの構築といった、国家規模の課題解決には高度な数学力が欠かせません。
そもそも今こうして私(呉市の家庭教師の白井)が活用している、生成AI(ChatGPT)も、その根幹には数学の理論(例えば「確率関数」や「文章のベクトル化」や「コサイン類似度」など)が活用されています。
国民全体の数学的リテラシーが高ければ、新しい産業や技術を国内で生み出しやすくなり、ひいては経済安全保障や(狭義での)安全保障にもつながります。
逆に数学教育を疎かにすれば、必要な技術をすべて海外から輸入して賄うことになり、そうなれば平時には貿易赤字の原因になり、有事には安全保障が脅かされます。
つまり、国語が文化の主権だとすれば、数学は科学技術の主権であり、国家の主権を守るためにも、数学教育はとても重要なのです。
前編の総括と次回予告:「数が苦」を「数楽」に変える意義
数学を嫌いになったり、苦手のまま大人になってしまう(そしてそのままである)方は、どうしても一定数出てきてしまいます。
しかし、こうした状況を「仕方がない」といって放っておくことは、本人のためにも(利己的意義)、社会にとっても(利他的意義:公共性)、国家にとっても(利他的意義:国民意識)よくないことであることは、今回連載でそれぞれ述べてきたところです。
つまり、呉市の家庭教師の白井(白井塾)としてできることは、極小規模ではありますが、生徒さんそれぞれの特性や状況に応じて、生徒さんの数学的素養を地道に育てていくことだと思います。
となれば、次に生じる疑問は「どうやってそれを実現するのか?」ということになるわけです。
理論と実践はセットです。
次回第8回連載では、次のような数学に関するテーマを取り扱います。
- 文系でも数学を学ぶべき理由:数学的思考が文系分野でも活きる場面
- 数学(算数)の能力を伸ばす方法①計算力:迅速かつ正確に計算するために
- 数学(算数)の能力を伸ばす方法②代数:方程式や関数を使いこなすために
- 数学(算数)の能力を伸ばす方法③幾何:図形を読み解き補助線を使いこなすために
- 数学の面白さ:直感が裏切られる瞬間を設計する(例、アキレスと亀、モンティホール、オイラーの公式)
ご家庭向けガイド
🧒小学生の方向け(物語・3〜4年生)
わたしは図書館で「すうじのメガネ」を見つけました。
かけると世界のヒミツが見えます。
お店の50%オフは元のねだんの半分だとわかります。
ニュースのグラフは、どちらがふえているのか静かに教えてくれます。
友だちと道に迷ったら、時間ときょりをくらべて、いちばん早い行き方を選べます。
話し合いでも、数字で考えるとけんかになりにくくなります。
テストのまちがいは、次回は半分にしようと目標を立てられます。
おこづかいも、今使う楽しさと明日に残す良さをくらべられます。
数字は0か100だけではなく、「ちょうどいい」を見つける道具です。
昔の人の算数の知恵を知ると、日本を少し誇らしく思えます。
AIも数字で考えますが、最後にえらぶのはわたしです。
数字は、毎日を明るくする“見えないメガネ”なのです。
👦中学生の方向け(説明文・中2〜3)
AI(人工知能)が発達した現代では、「数学なんてコンピューターに任せればいい」と考える人もいるかもしれません。
しかし、人間が数学を学ぶ意味は今でもとても大きいです。
まず、数学を学ぶことで自分で考える力が身につきます。
公式を覚えるだけでなく、自分の頭で筋道を立てて問題を解く練習を積むと、論理的な思考力が鍛えられます。
この力は、将来どんな仕事に就いても役立つ財産です。
また、数学の知識があると社会のしくみを理解しやすくなります。
ニュースで見る統計グラフやデータの意味を正しく読み取ったり、自分で情報を整理したりできるからです。
それは、みんなで話し合ってより良い社会を作ることにもつながります。
さらに、数学が得意な人材はこれからの時代にとても貴重です。
AIを使いこなすにも数学の知識が必要ですし、新しい技術や発明は数学の力が土台になっています。
日本全体が高い数学力を持てば、科学技術の分野で世界をリードすることも可能です。
AI時代だからといって人間が学ぶ必要がなくなるわけではありません。
むしろ、AIを活用しつつ自分の頭で考えられる人になるために、数学を学ぶ意義はこれからも変わらず大きいのです。
👪保護者の方向けヒント
- 声かけの型:「その話、数字で言うとどうなりますか?」と割合・差・期間を一緒に言語化します。正解探しより、根拠を一文でまとめる習慣を支援します。
- 情報リテラシー:ニュースやSNSの数値は母数・誤差・相関/因果を確認します。感情より先に数で点検する姿勢を大人が示すと、冷静な対話が生まれます。
- 家庭実践:買い物の割引や料理の分量、就寝時刻を“日常の問題”としてミニ計算にします。週1回、家族で「数で言い換え発表」を30秒ずつ行います。
- 動機づけと記録:「数学は将来の選択肢の通貨」という比喩を共有します。学習時間と正答数を週グラフで可視化し、小さな達成をすぐに称賛します。
連載第8回:各論「数学(算数)編②」AI時代の数学学習の意義:後編
はじめに:前編の要約と後編の概要
前編では、数学を学ぶ意義について利己的側面:第2回と利他的側面(公共性:第3回、国民意識:第4回)から概観してみました。
つまり、数学を学べば自分の未来の選択肢が広がり、社会のためにも国家のためにもなる、ということでした。
後編では、この前編の内容を踏まえて、次のようなテーマでAI時代に数学(算数)を学ぶことについて、掘り下げます。
- 文系でも数学を学ぶ意義:すべての人に数学学習の必要があるということ
- 数学の学習法:計算力:素早く正確に計算するために
- 数学の学習法:代数:方程式や関数への苦手意識をなくすために
- 数学の学習法:幾何:図形問題を嫌いにならないために
- 数学の面白さ:数学が面白いと思える具体例を紹介
文系でも数学を学ぶ意義
文系と理系という分け方についても、最近はこれが絶対ではないということがよく言われるようになり、大学の学部でも総合学部のような文理横断型の学部を設けるところが増えてきています。
ただ、それでも文系と理系の選択を行う高校がほとんどであることを踏まえると、文系の方が数学を学ぶ意義を問う意味は、まだあると思っています。
専門知と教養知
前編でも述べましたが、数学を学ぶことによって大学選びの可能性が広がったり、将来の職業選択の幅も広がります。
これに加えて付け加えたいのが、いわゆる「教養」についてです。
教養とは、ここでは専門知の対義語だとお考えください。
つまり、特定の範囲について狭く深く知っている専門知に対し、あらゆる分野について広く浅く知っていることを教養知と呼ぶことにします。
現代社会は、一方では専門知がどんどん精緻になり、素人には追従不可能になっているように見えますが、こうした現状を放っておくと、分野ごとの分断が進み、社会全体としての整合性がとりづらくなるでしょう。
そのため、多少不正確であったとしても、専門知を一般言語化して一般の人々にわかりやすく伝える人々と、そういう発信を専門家の修正を踏まえて正しく受け取るための教養が重要だと思っています。
教養としての数学
その教養として、重要な位置を占めるのが数学です。
もちろんほかの教科も理系分野にとって重要ですが、まずは数や数式によって世界を見るという、理系の基本的な見方を文系の人にも体験してほしいのです。
もちろん、受験勉強は全体のバランスですから、数学ばかりをやっているわけにもいかないでしょうが、たまには数学の問題集を解き、数学でいう場合分けとか、方程式とグラフ、図形の知識との関係などを深めていただけたらと思います。
そうすることによって、自分自身もより教養的な深みのある人材になれますし、そうした人々が社会で増えてくれば、社会全体も正しい方向に向かうのではないかと思っています。
数学の学習法:計算
計算力は数学(算数)の基礎となる力であり、計算ミスが多くては方程式でも図形でも正しい答えにたどり着くことは困難です。
反対に、計算力が十分あれば思考の流れが計算の煩雑さによって途切れることがなくなり、多くの難しい問題を迅速かつ正確に解くことができるようになるでしょう。
確かにAI時代においては「計算なんて電卓やコンピュータに任せれば十分では?」と思う人もいるかもしれません。
しかし、人間が自分で計算できることにはそれなりの意義があります。
そういう機器が使えないテストではもちろん、日常生活でも暗算や見積もりができれば、買い物や交渉で損をすることが減りますし、仕事で数値チェックをする場合にも機械任せにせず、ミスを発見できるでしょう。
地道な計算練習が重要
そこで、計算力を向上させる方法ですが、基本的な計算の繰り返し練習(ドリル&ドリル)が効果的です。
確かに地道ではありますが、効果的なのも事実です。
例えば小学生であれば、九九の暗記はもちろん、学年相応の計算ドリルを反復することが王道です。
この場合、どんどん難しい問題に挑戦するというよりも、自分の計算ミスが出始めるようなレベルのページの問題を、ミスが出なくなるまで繰り返すことが有効です。
また、中学生以上でも、四則計算や分数・小数の計算でつまずくようならば、一度立ち止まって基礎を固める必要があります。
私も生徒さんの計算力を鍛えようと思った場合には、計算ミスをなくすためにその生徒さんにとってちょうどよい~やや難しいと感じるくらいのレベル感の計算問題集をやってもらい、集中して正確に計算できるように指導することがあります。
工夫とスピードアップ
また、計算のスピードアップにはいくつかコツがあるのも事実です。
工夫して計算できるものは、似たような問題を繰り返し練習することによって、「これは単に筆算するのではなくて、数を分解したほうがいいかな」とか「この数は確かこの数で割ることができたから、約分してから計算しよう」と思えるようになります。
これは、1つ1つ個別に教わるよりは、例えば100マス計算などの古典的な教材を使用し、自分の記録に挑戦していくという過程で、どう時間を削るか、という工夫の中で身につけたほうが良いと思います。
また、最近では計算練習ができるアプリやゲームなどもありますから、楽しみながら訓練するのもよいでしょう。
そろばんの活用
さらに、日本にはそろばん(珠算)という伝統的な計算訓練法もあります。
そろばんを習うと暗算力が飛躍的に向上すると言われており、実際珠算を習っている中高生の計算力は大変速くてしかも正確です。
もちろん、そろばんを習っていることが必須というわけではないのですが、計算力は積み重ねによって身につく「筋トレ」のようなものだということがよくわかります。
数学の学習法:代数
次に代数の学習法についてお話しします。
代数とは、いわゆる方程式や関数といった、文字を用いた計算分野のことです。
数字の代わりにxやyなどといった文字が出てくるため、こうした式を見たとたんに数学に苦手意識を持たれる生徒さんも多いですが、しかし過度に恐れる必要はありません。
文字はあくまで「まだわからない数」をあらわす記号に過ぎないと割り切って、パズル感覚でとらえると気持ちが楽です。
方程式は基本の積み重ね
代数の基礎となるのは方程式の解き方です。
まずは一次方程式や連立方程式、そして二次方程式といったように、段階的に解法のパターンを習得していきましょう。
方程式において重要で基本的なことは、「=:イコール」の関係が崩れないように、等式の性質を用いて、式変形をするということです。
具体的には、両辺に同じ数を足してもイコールなのは変わらないことであるとか、両辺を同じ数で割ってもイコールのままであるとか、ということです。
一見すると難しそうな方程式であっても、まずは分配法則でカッコを外し、移行して項を整理し、係数で両辺を割る、というように方程式は基本の積み重ねで解くことができます。
「なぜこの変形が成り立つのか」という意識で演習を重ねることで、方程式に対する抵抗感が薄れ、自信をもって解けるようになるでしょう。
文章題は初めが肝心
また、方程式や関数と関連して皆さんが苦労されているのは文章題です。
文章に書いてあることを数式に置き換えて計算する、という「ワンクッション」が挟まることによって、苦手意識をお持ちの方が結構いらっしゃいます。
重要なことは、最初に問題文を読んで「何をxと置くか」を判断することです。
つまり、何を自分はxと置いて、計算していくかという全体の方針を決めるということです。
例えば「ある数から5を引いたものが12になる」という文があれば、「ある数」をxと置き換えて、\[ x – 5 = 12\]
という方程式を作ります。
初めは時間がかかるかもしれませんが、慣れるにつれてこの作業はストレスではなくなっていきます。
身の回りの数学と方程式
また、文章題は日常生活との結びつきも大きいため、例えば買い物で「元値から30%引きした価格が1,400円だった。元値はいくらか?」という状況ならば、元値をxとして
\[ 0.7x = 1400\]
というように式を立ててみるのもよいでしょう。
重要なのは、計算と同じで常日頃から、数学を使って身の回りのことと関連付けて考えるということであり、具体的に考える習慣が大切です。
関数の学び方
さらに、関数も代数の重要な柱です。
関数とは「ある数量がほかの数量に応じて変化する関係」を表すものです。
中学・高校ではグラフを書く機会が多いですが、式とグラフを行き来しながら学ぶと理解が深まります。
たとえば、
[ y = 2x + 3\]
という一次関数の式から直線グラフを描いてみたり、逆に放物線のグラフを見て、
\[ y = 2x^2\]
の形の式を推測してみたりする練習をしてみます。
さらに、グラフを実際に手で描いてみることも何よりの勉強です。
私はグラフや図はできるだけ大きく、正確に描いてイメージを手で掴むことを推奨しています。
特に、慣れないときには図は丁寧に描くことをお勧めします。
関数の発想とグラフの見方
関数の「片方が増えるともう一方が増える」という発想や、「最大・最小値はどこでとるか」という考え方は、理科の実験や社会の統計データを見るときにも使える視点です。
そのため、関数について学ぶことによって問題解決のアプローチはさらに論理的かつ体系的なものになり、冷静な判断を下すための助けとなってくれるでしょう。
数学の学習法:幾何
幾何(きか)とは、図形分野のことを意味します。
幾何は図形を相手にするため、直感的にわかりやすい一方で、解法のひらめきが必要とされる場面も多く、人によって好き嫌いが分かれやすい分野です。
しかし、幾何には図形ならではの楽しさがありますし、楽しさ以外についても、空間把握力や論理的思考力を鍛えるうえでも有益です。
図は大きく正確に描く
まず、幾何で最も基礎基本となるのは図です。
たとえ問題文に図が描いてあったとしても、一度は自分で図を描いてみることが理解の助けになります。
その際、長さが等しい線分には印をつけ、平行な直線には記号を付け、等しい角度には印をつけ、角度が分かっている角には角度を記入するなどの、与条件の「見える化」作業を行いましょう。
図形問題はパッと見ただけでは、条件を整理しきれないことが多いので、頭の中だけで考えるよりも、実際に手を動かして視覚的に情報を把握したほうが有効で、発想も生まれやすくなります。
補助線を試行錯誤して引くこと
次に、補助線も活用しましょう。
難しい図形問題では、与えられた図に自分で何らかの線を付け加えることで解決への糸口が見つかることがよくあります。
例えば、線分を延長して相似な三角形を作ったり、補助線を引いて円周角の定理を使えるようにする、対角線を結んで四角形(多角形)を三角形に分割する、など手法は様々です。
定石になっている補助線の引き方もありますので、解説や参考書などで学んだ引き方は積極的に活用していくとよいでしょう。
もちろん、最初は「こんな線を引いて何になるのだろう」と思うかもしれませんが、引いてみることで思いがけず角度や長さの関係が見えてくることがあります。
また、そうした経験を積み重ねることによって、どの線を引くと有効かということが、だんだん見えてくるようになります。
そのためには前提として、思いついたら線を引き、間違っていたら消す、というような試行錯誤(トライ&エラー)が重要になります。
図形問題では、こうした創意工夫やその前提としての積み重ねの重要性が学べるのです。
パターン認識の重要性
図形問題でも様々な定理や解法が存在し、それらは試験問題を見る前に、参考書や問題集で事前に学ぶことができます。
実際に、同じ定理や性質を組み合わせて解ける問題は多く、練習を重ねることによって「このタイプの図形問題ではこの発想が使える」という引き出しが増えていきます。
例えば中点を結ぶと平行四辺形ができるとか、円に接する図形では接線と半径が直角になる、といった具合です。
学校で習う、円周角の定理や三角形の合同・相似条件、ピタゴラスの定理(三平方の定理)といったものは、実際の問題の中で使ってみてこそ身に付きます。
図形問題をたくさん解いた、また解いているという蓄積があれば「どんな場面でどの性質を使うか」ということを考えるようになり、要するに具体的に思考することができるようになります。
そのため、特に図形の問題演習では「なぜその補助線を引いたのか」とか「どうしてその発想に至ったのか」というように、“Why?”と問いかけながらやることが第一歩です。
幾何の知識が生きる局面
幾何の学習を経て培われる、いわゆる「空間的センス」や「論理的な証明力」は、単に数学の点数向上に寄与するだけではなく、日常生活でも役に立ちます。
例えば、地図を読み解き実際の空間に落とし込んで考える力や、家具の配置を室内の様子をイメージしながら想像する空間イメージ力などは、図形に強い人のほうが得意な傾向があります。
また、幾何の問題で扱う「一見無関係に見える要素同士をつなげて証明を完成させる」という力は、論理的思考そのものであり、図形分野以外でも役立ちます。
例えば、図形の証明ではしばしば「仮定より」とか「①、②、③より結論は…」というように、筋道を立てて考え、記述する練習をします。
このことは、将来のビジネス企画書作成の際におけるロジック構築や、日常生活で筋の通った説明をするときにも生きてきます。
つまり、図形問題で培った「どうすれば、目の前のこの問題を解決できるのか」という試行錯誤の力は、将来を生き抜く大きな財産になるのです。
数学の面白さ
数学の醍醐味の1つに、「えっ、そんなことが起こるの!?」という意外性があります。
最後に、数学の面白さ、美しさを象徴するいくつかの例題を紹介しましょう。
アキレスと亀のパラドックス
これは、古代ギリシャの哲学者ゼノンが提起した有名な思考実験です。
足の速い英雄アキレスが足の遅い亀に競争で挑む場面を想像します。
ただし亀はアキレスより先にスタートしているものとします。
アキレスが亀に追いつこうと走っている間も亀はわずかに進むため、「この繰り返しでアキレスは永遠に亀に追いつけない」というのがパラドックスの主張です。
もちろん現実にはアキレスは亀を簡単に追い越すことができますから、この主張は直感に反します。
この主張の解決の糸口は「無限」の数学的な取り扱い方法にあります。
亀に追いつくまでにアキレスが通過するべき段階を無限に細切れにして考えると、たしかにステップは無限にあります。
しかし、その一連の時間を合計すると有限時間になるため、アキレスは有限の時間で亀を追い越せます。
このように、数学の極限の考え方を用いれば、直感的には不思議に思える現象も、きちんと数学的に説明づけることができ、これにより数学と日常はリンクします。
「無限をどうとらえるか」という哲学的な問いに、数学が答えてくれる好例といえます。
モンティ・ホール問題
これも有名な確率パズルです。
確率や場合の数、期待値という分野はしばしば人間の直感を裏切ります。
モンティ・ホール問題は、このことを私たちに分からせてくれる一例だといえます。
そもそもこの問題は、テレビ番組のゲームが題材で、3つの扉のうち1つにだけあたりの商品が隠されているとします。
まず挑戦者は直感で適当な扉を1つ選びます(この時点であたりである確率は3分の1です)。
そこで、司会者が残りの扉の中からハズレの扉を1つ開けて教えてくれます(司会者は必ず当たりが残るようにハズレを開けるとします)。
すると、扉は自分が選んだものと、もう1つの残ったものの2つになります。
この段階で司会者は「選びなおしてもいいですよ」と提案したとしましょう。
さて、あなたが勝つ確率を最大化するには、最初の選択を維持するべきでしょうか、それとも残ったもう一方の扉に変更するべきでしょうか?
多くの人は「どちらでも確率は50%だろう」と考えます。
しかし、正解は選択を変更すべきなのです。
変更した場合、当たる確率は3分の2にもなり、当初の直感とは逆の結果になります。
この問題は、1980年代に雑誌で紹介された際、多くの読者(中には数学者も)が直感に反するとして反論の手紙を送ったというエピソードがあるほど、人々を戸惑わせました。
しかし、実際に試行実験をしてみると、変更したほうが当たりやすいことが確認できます。
確率の考え方が、私たちの思い込みを覆した典型例といえ、直感に頼るだけでなく、論理的に考えることの大切さを教えてくれる問題です。
オイラーの公式:世界で最も美しい数式
最後はオイラーの公式です。
こちらは、パズルというよりも数学の美しさを象徴する驚きの例です。
オイラーの公式とは、スイスの数学者オイラーが発見した次の等式です。
\[ e^{iπ} + 1 = 0\]
一見、記号が多く何が言いたいのかわからないかもしれません。
しかし、この式には数学の重要な定数である、e:ネイピア数(約2.71828)や、i:虚数単位(平方すると-1になる数)、π:円周率(約3.14159)に加えて、1と0が含まれています。
解析学、代数、幾何という全く異なる分野から現れたこれらの数が、たった一つの簡潔な式が結びついているのです。
数学者の間では「世界で最も美しい数式」として称賛されることもあるほどで、初めてこの事実を知ったときは、多くの人が感嘆します。
高校までの数学だとあまり触れませんが、大学で複素数平面を学ぶとこの式の意味が理解できるようになります。
高度な内容ではありますが、「数学を突き詰めるとこんな不思議で美しい結論が待っているのか」と思わせてくれるロマンあふれる例です。
総括:数学は世界共通の言語となりうる
数学について、前編に続いて具体的な学び方を分野別にご案内しました。
数学は、確かに実用面でも大変意義のある学問ですが、それに加えて「計算結果は誰にとっても同じである」とするならば、世界共通の言語ともなり得ます。
そのため、ある意味国語の現代文や古典以上にロマンあふれる科目であるともいえるのです。
私も呉市の生徒さんと接すると、数学に苦手意識をお持ちだったり、数学に興味を持てないということを結構目にしてきました。
しかし、数学は上記の通り、様々な実用性や魅力があり、また学び方も整備されているため、学校という機会を利用して学ぶ意義はかなり大きいと思います。
私もこれからの指導の中で「数が苦」だった人が「数楽」になれるように、きっかけづくりを頑張っていこうと思います。
次回予告:AI翻訳の時代に英語を学ぶ意義
数学編はこれで終わりです。
次回は、AIが翻訳や通訳まで行ってくれる時代に人間が英語を学ぶ意義について取り上げます。
国語や数学と同様に、総論で述べた3つの視点(利己的意義、利他的意義:公共性、利他的意義:国民意識)をもとにして、人間があえて(受験を越えて)英語を学ぶ意義について掘り下げる予定です。
また、英語を構成する4技能(Reading, Listening, Writing, Speaking)の鍛え方についても、私なりの見解を書くつもりです。
付録:ご家庭向けガイド
🧒 小学生の方向け(物語・小3〜4年生)
わたしはお兄ちゃんと「お菓子が当たるドア当てゲーム」で遊びました。
3つの箱のうち1つだけにお菓子が入っています。
まずわたしが適当に1つ選ぶと、お兄ちゃんは残りの箱からはずれの箱を1つ開けました。
最後に、わたしの選んだ箱ともう1つ残った箱のどちらかを選べると言われました。
はじめはそのままにしましたがはずれてしまい、とても悔しかったです。
お兄ちゃんは「実はもう一方に変えた方が当たりやすいんだよ」と教えてくれました。
本当かなと思い、何度も試してみると、箱を変えたときの方がたくさん当たりました。
数字のマジックみたいで、とてもびっくりしました。
わたしは算数がちょっと苦手だけど、こんなふうにゲームで考えると、とても面白いなと思いました。
これなら算数ももっと好きになれそうです。
👦 中学生の方向け(説明文・中2〜3年生)
数学は中学生にとって難しく感じられることもありますが、正しい勉強法で取り組めば必ず理解できるようになります。
まず、大切なのは基本的な計算の反復練習です。
計算力がつけば、方程式などもスムーズに解けるようになります。
図形問題では自分で図を描き、補助線を引く習慣をつけると、見えなかった関係に気づけることがあります。
さらに、数学には驚きや発見の面白さもあります。
直感に反する結果が出る問題に出会えば、数学への見方が変わるでしょう。
難しいと敬遠せず、ゲーム感覚で挑戦してみてください。
問題が解けたときの達成感は大きく、自信につながります。
数学は練習次第でどんどんできるようになります。
AI時代でも、自分の頭で考える数学の力はあなたの強みになるはずです。
👪保護者の方向けヒント
- 基礎計算を習慣に: 毎朝、計算ドリルを数問解く時間を設けましょう。少しずつでも継続することで計算力が向上します。
- ヒントの質問: 子どもが問題に詰まったときは、すぐ答えを教えず「この問題では何を求めているのかな?」と問いかけてみましょう。自分で考える習慣が身につきます。
- 図形感覚を養う遊び: おりがみや積み木、タングラムなどで形を作る遊びを一緒に楽しみましょう。遊びを通じて空間認識力が高まり、図形問題への抵抗感が減ります。
- 数学の不思議を共有: 直感と異なる結果になるパズル(例: モンティ・ホール問題)を親子で考えてみましょう。驚きの体験を通して、数学への興味が深まります。
連載第9回:各論「英語編」AI時代の英語学習の意義
はじめに:英語とAIに関する素朴な疑問
英語と生成AI(ChatGPTなど)の相性は抜群で、英文和訳に限らず英文の添削や評価、単語のニュアンスの説明やコロケーションに至るまで、生成AIは「何でも」やってくれるように見えます。
また、最近はリアルタイム同時通訳技術も進歩しており、必ずしも通訳を雇わなくても外国人とコミュニケーションが取れるようにもなってきています。
このように、AIが言語的なことに長けている、ということは大変結構なことでもあるのですが、同時に「AIが翻訳までやってくれるのだから、人間が英語を学ぶ必要ってあるのか?」という疑問がわいてきます。
こうした疑問は、今までのすべての連載における課題とも重なりますが、生成AIの「考える力(思考力)」は日増しに進歩しており、「AIに負けない人材になる」というスローガンすらもはや過去のものになりつつあります。
そして英語という科目は、おそらく国語(現代文:第5回、古典:第6回)や数学(第7回、第8回)以上に、生成AI任せにしてよいのではないか、という疑問がわきやすいと思っています。
というのは、英語は日本語話者にとっては「外国語」であり、「外国人とコミュニケーションをするためのツール」のようなものだからです。
国際郵便がほぼEメールに代替され、国際電話もLINEやZoomなどに置き換わったように、英語学習ももはや生成AIに外注すれば十分ではないか、という発想が湧いてきそうです。
しかし、英語というものはそういう単なるツールではない、という側面もあります。
英語を学ぶことによって、自分の血肉となり、自分自身の可能性を変革してくれることすらあります。
今回の方針:総論との関係と英語固有の事項
第2回、第3回、第4回の総論では、それぞれAI時代の人間による学びの利己的意義、利他的意義:公共性、利他的意義:国民意識、という3つの観点について述べました。
詳細は、過去の連載をご覧いただきたいのですが、要するに英語学習においても、自分のためになること、社会のためになること、国家のためになること、という3要素があるのです。
今回も、上記3観点について英語という各論を前提に議論を展開します。
また、記事の後半では英語という科目の特性やそれに対するよくある疑問についても、取り扱います。
具体的には「AI翻訳に人間が介入する意義」と「日本人の英語学習の課題」について述べます。
英語学習の利己的意義
英語を学ぶことによって、個人の将来の選択肢が大幅に広がります。
以前の連載でも述べた「選択肢の通貨」という観点からしても、英語を学ぶことによって将来の働き方や生き方をより多くの選択肢から選べるようになります。
もちろん、進学や受験において英語が重視されていることは、いうまでもありません。
大学入試において、英検などの外部試験の成績を受験の合格判定に用いる大学は国公立、私立問わず非常に多く、英語なしで大学受験をする、ということはほとんど考えられないほどです。
また、就職活動・転職活動や企業内での昇進のために、英語資格(TOEICや英検など)の取得を目指す人々が大変多いことも、周知の事実でしょう。
さらに、日本の大手企業においても(外資系でなくても)社内言語を英語とする動きがあり、英語を話し、使いこなせることが、大手企業で働くための条件になりつつある、とも言えます。
学術の世界でも英語力は重要
上記のような受験やビジネスの世界以外においても、英語力はとても重要です。
学術研究の世界においても、グローバルに学ぶ学問で基本となる言語は英語です。
もちろん、日本語で論文が書かれていることもありますが、英語の論文が読めて、また書けなければ自身の研究の価値を世界に発信することはかなり難しいでしょう。
それくらい、学術の世界における英語というのは支配的であり、学術論文の実に約95%が英語で発表されているという指摘もあるほどです。
もちろん、生成AIなど機械翻訳に頼っても、おおよその意味が分かる場合もありますが、とりわけ学術の世界における英語というものは、そもそも訳語がカタカナ英語以外に用意されていない場合も多く、英語のニュアンスを知って英語で考えたほうが理解が進む、という場合も多いです。
世界のウェブサイトの半数以上が英語で記述されている
膨大な情報があふれるインターネットの世界においても、英語は支配的です。
私たち日本語話者は、日本語で記述されたウェブサイトを閲覧することが多いでしょうが、実はウェブ上で日本語のサイトは全体のわずか3.7パーセントにすぎないのです。
一方で英語で記述されたウェブサイトは約55%もあり、世界の情報の真の姿を教えてくれます。
もしも日本語で書かれたウェブサイトしか見ることができないならば、それは本当に世界のごくわずかしか見ていないことになります。
もちろん、英語の情報を一次情報として、それを日本人向けに紹介してくれていることもあるでしょう。
しかし、すべての情報が日本語訳されたり、日本のウェブサイトで紹介されているわけではありません。
英語を学び、日本語以外の世界に目を向けることで、自らの視野は大幅に広がり、「自分で考えるための材料」を豊富に仕入れられるようになります。
これは、AI時代においてAIに思考と判断を依存することから脱却して、自由な思考を手に入れるためにも重要であり、より自由になるために英語を学ぶ、という意義がここに見つかります。
英語を学ぶことによって広がる人間関係の輪
このように、英語を学ぶことは個人の可能性や視野、思考の自由度を高めてくれます。
また加えて、英語学習は人間関係の範囲も広げてくれます。
例えば、最近(賛否はありますが)外国人の方が増えており、英語でのコミュニケーションは日本国内でも発生するようになっています。
こういう時に、外国の方と英語でコミュニケーションすることができれば、お互いの理解が進み、不要なトラブルや誤解を避けることができます。
また、自身が留学や転勤などで海外に行く場合においては、もちろん英語力が必要です。
現地の人々と自らの口で英語でコミュニケーションできることは、機械翻訳よりもはるかに快適であり、また人間関係も構築しやすいでしょう。
このように、英語を学ぶことは個人の楽しみを超えて、きわめて実用的であるということです。
利他的意義:公共性
利他的意義:公共性とは、「みんなのため(社会のため)に学ぶ意義」ということです。
英語を学ぶことによって、自分を利するだけではなく、社会にとってもプラスの効果が生まれます。
これは、英語学習と他の言語学習とでは異なる側面もありますので、なぜ英語を学ぶことがみんなのため(社会のため)になるのか、より具体的に説明します。
異文化コミュニケーションの促進
各文化は、それぞれ固有の言語や文化を持っていることが多く、その意味で他の言語や文化に属する人々にとって「クローズド」な側面もあります。
もちろん、自国の言語や文化について学ぶことは欠かせませんが、同時に英語という世界の共通言語を学んで、異文化同士がコミュニケーションできる素地をつくることもまた、重要です。
これは、多文化共生を目指す場合であっても、あるいは「郷に入っては郷に従え」という方向を目指す場合であっても言えることです。
日本に訪れる外国の人々は、ほとんど例外なく日本の文化や風土に関心がありますが、一方で日本語は英語とは全く異なる言語であるため、すぐに習得することはなかなか難しいです。
そのため、少なくとも初期の段階では英語と日本語の橋渡しをする必要があるでしょう。
英語文化と日本語文化の違いを知ってもらい、自身の英語文化と照応させながら、日本語文化を学んでいくという過程においては、日本人の側が英語という言語文化について知悉していることが必要です。
単に”No English!”というだけでは、相手に疎外感や不快感を与えるだけであり、お互いがお互いの言語に関心持ち、コミュニケーションをするという姿勢がなければ、異文化コミュニケーションは成立しづらいでしょう。
英語を学習することによって、異文化同士の摩擦を緩和し、社会を平穏にする効果があるということです。
異文化情報へのアクセス
上記利己的意義の箇所で、膨大な英語情報にアクセスできることは英語学習の大きな意義である、と述べました。
実はこのことは、利他的意義:公共性にも言えるのです。
日本語による情報と、英語による情報とでは単に内容が異なる(グローバルである)ということを超えて、そもそも前提としている考え方が異なることもしばしばです。
英語学習というのは、単に単語や文法を暗記することではありません。
英語という異文化についての理解を深め、それを言語という形に結晶化させる作業でもあります。
例えば英語圏の主要な宗教はキリスト教など、日本の宗教とは異なることがほとんどです。
ヨーロッパとキリスト教は、歴史的に見ても切っても切れない関係にあり、それは言語文化にも反映されています。
英語を学び、英語情報へのアクセスのハードルを下げることによって、日本の常識とは異なる、他国の文化について知ることができる、というわけです。
このことは「自分とは異なる意見、考え方の人もいるのだな」という体験や実感につながり、社会に出たときに自分の考えに固執することを防いでくれます。
そもそも自分の思想とか考え方というものは、生成AIなどに「答え」を教えてもらうのではなく、自分で見つけるものです。
英語を学ぶということは、自分の思考枠組みを拡張する営みでもあり、こうした過程をより多くの人々が経験することによって、社会の中での不要な衝突やトラブルを防ぐことができます。
このことは、世界がICT技術によって接続されている現代社会や未来の社会において、よりクローズアップされるでしょう。
つまり、社会全体が英語の素養があるという状態は、その社会内に平穏をもたらすということです。
利他的意義:国民意識
英語は日本の公用語ではありませんが、英語を学ぶことは日本の国益に直結します。
また、英語を学ぶことによって日本文化や日本語への理解がより深まり、日本という国家の安定性にも寄与します。
自国文化の発信
生成AIの発展によって、英語があまり得意ではなかったとしても英語で情報を世界に発信することはより容易になりました。
しかし、自国文化について読者により訴えかける文章やスピーチを仕上げるためには、やはり自分自身が日本語と英語の両言語についてしっかりと理解している必要があります。
そもそも日本語と英語とでは、前提としている地理的条件や歴史的背景が全く異なり、日本語に対応する英語がなかったり、あるいは反対に英語に対応する日本語がなかったり、ということも結構あります。
このような場合において、自国文化の概念を世界に向けて発信していくためには、言語というツールの特性や限界をよく理解したうえで、適切に意味を英語で置き換える技術が必要になります。
このことは、ある程度は生成AIを活用できますが、それが正しいかどうかの判断をするためには自らが英語を学んでいる必要がありますし、またそもそも生成AIを活用するためには英語への理解が必須です。
日本の有する様々な歴史や伝統、あるいはアニメや漫画などのコンテンツを世界に向けて発信していくためには、英語を学ばなければなりません。
国際社会における日本の地位向上
国際会議や他国との交渉においては、英語によるコミュニケーションが基本になります。
つまり、そのような場において日本の主張や存在感を世界にアピールするためには、英語の学びが必要になる、ということです。
現代の社会は、それぞれの国家が交渉していくことで成り立っており、日本が国益を保持しながら他国と渡り合っていくためには、国民一人一人が英語を学び、その素養と視野をもっておく必要があります。
例えば現在世界には、気候変動や人道問題など一か国では解決しがたいような重大な問題があります。
これらについて、日本がどのように世界に貢献し、また日本の存立を守っていくのかということのためには、英語圏の情報にも触れて、理念と現実のバランスを探る能力が必要です。
自国文化への理解増進
さらに英語を学ぶことは、日本語や日本文化に対する理解を促進します。
英語学習において「このことは日本語/英語ではどういえばいいのかな」と自問自答したことはないでしょうか。
日本語と英語という両言語の間の隔たりは、確かに英語学習のハードルですが、一方でこのように全く異なる言語を学ぶことによって、私たちの身の回りの些細な事柄に対する理解や観察を促進してくれます。
このように、英語を学ぶことは決して日本文化を毀損することはなく、むしろ日本文化の価値を高め、守っていくためにとても重要な要素である、ということです。
AI翻訳に人間が介入する必要性
一昔前と比べれば、AI翻訳は大変正確になり、また瞬時に翻訳してくれることから、英語圏のウェブサイトの理解も進みやすくなっています。
しかし、AI翻訳は便利である一方で、文脈やニュアンスの理解に課題があるのも現状です。
例えば、日本語で「銀行に行く」と「川の土手に行く」は、ともに”bank”という単語を用いますが、文脈を知らないAIはこの”bank”が銀行なのか土手なのかを誤るかもしれません。
実際、AIに翻訳を丸投げしてしまうと、直訳調の不自然な翻訳や文脈違いの訳語が出てきてしまうケースは少なくありません。
さらに会話の場面では、言語情報のほか、相手の表情や声色などの様々な機微を読み取り適切に応答する必要がありますが、こちらもやはり人間のほうが得意とするところです。
つまり、機械に頼りきりでは柔軟に対応できないのです。
ここにおいても、人間による英語学習の必要性が注目されます。
人間がAIの情報を鵜呑みにせず、自分で英文と日本文を読み取るためには英語力が重要になります。
例えば、EメールをAI翻訳した場合に、その表現が不自然だったり微妙に失礼な言い方になっていたとして、それに気づくためには本人の英語力がいります。
つまり、AIの誤りに気付き、修正するためには人間が英語に精通している必要があるのです。
日本人の英語学習の課題
日本人の英語下手は、半ば自虐的によく言われているところです。
最近では小学校から英語を学び始め、中学校、高校、大学と英語を学び続けるのですがその割には、英語を流ちょうに使いこなせる人は少ないようです。
この背景には、日本語と英語の根本的な違いがある、ということもありますがそれだけはありません。
というのは、同じように英語と異なる言語圏に属する韓国では、近年になり国民の英語力を向上させ、世界ランキングを向上させてきているからです。
そのため、トレーニング方法さえ整備すれば、日本人でも英語をきちんと高いレベルで運用できるようになる、ということです。
例えば、冒頭でも述べましたが、生成AIは翻訳だけではなく、英語学習にも利用できます。
もともと、ChatGPTをはじめ多くの生成AIは英語圏で生まれたということもあって、英語の知識はとても豊富で、また柔軟性をもって回答してくれます。
そのため、英作文の添削だけではなく、英会話についても生成AI相手ならば失敗を恐れずに、何度でも挑戦することができます。
日本人は「失敗を恐れやすい」とよく言われますが、生成AIが相手になったことで、練習を積み重ねて英語力を身につけていったという人は結構いらっしゃるようです。
生成AIは万能ではありませんが、他方で人間とは異なる話し相手として、格好の英語練習の素材になりますので、英語学習の折には生成AIを活用してください。
総括:英語はただのツールにあらず
英語は確かに情報を伝達する情報ツール的な側面もありますが、それだけではないということを示せたと思います。
すなわち、英語は自身や他者の思考の枠組みであり、英語を学ぶことによってコミュニケーションの範囲が広がり、また自身の思考の柔軟性も担保できます。
AIが進歩したとしても、自分が自分であることは変わりません。
自分自身の未来を切り開き、社会や国家に貢献するためには英語を学び続けることが重要です。
次回予告:社会(地理・歴史・公民)
国語、数学、英語という3教科の次は社会と理科を取り扱います。
いずれも私たちの社会にとって重要な科目であり、これらについて各論を展開することでAIがどれだけ進歩しても人間が学ぶ余地は残り続けることを示せると思います。
まずは社会(地理・歴史・公民)を取り上げ、これらを人間自身が学ぶことがいかに重要かということについて論じます。
付録:ご家庭向けガイド
🧒小学生の方向け(物語・小3〜4年生)
タケルは公園で外国から来た観光客を見かけました。
道に迷っている様子です。タケルは「どうしよう、英語で助けたいけど…」とドキドキしました。そこへ一緒にいたお母さんが言いました。
「日本語で『まっすぐ行って右だよ』は、英語では Go straight and turn right. だよ。言ってごらん?」
タケルは勇気を出して観光客に話しかけました。
“Go straight and turn right.”
相手はにっこり笑って
「Thank you!」
と答えてくれました。タケルは自分の英語が伝わったことに驚き、とてもうれしくなりました。
家に帰ったタケルは地図を見ながら、
「他にはどんな英語を言えるかな?」
と考えました。英語を使って助けられたことが、自信とやる気につながったのです。
👦中学生の方向け(説明文・中2〜3年生)
英語の力はあなたの世界を大きく広げます。
日本語だけではアクセスできない情報や人々とつながれるからです。
例えば英語ができれば、海外のニュースを読み、自分の意見を発信することもできます。
英語を学ぶことで、自分の将来の選択肢(進学や就職)は確実に増えます。
そして周りの人を助けたり、日本の文化を紹介したりと、社会に貢献することもできます。
AI翻訳は便利ですが、自分で英語を使いこなす力がないと本当の意味では通じ合えません。
読む・書く・話す練習をバランスよく行い、間違いを恐れず使ってみることが上達の秘訣です。
調べ物も英語で行えば、世界中の知識が味方になります。
英語は単なる教科ではなく、AI時代を生き抜くためのコミュニケーションツールです。
楽しみながら実践的に学び、自分の可能性をどんどん広げていきましょう。
これがAI時代に求められる英語力です。
👪保護者の方向けヒント
- 朝5分英単語クイズ:毎朝一つ、家族で簡単な英単語クイズを出し合いましょう(例:「birdって何のこと?」→「鳥」)。正解を確認したら、その単語を使った短い英語フレーズも一緒に考えます。一週間後に復習して、定着度をチェックしながら楽しく語彙力アップ。
- おうち英語ラベリング:家の中の物に英語の付箋を貼ってみましょう(例:冷蔵庫に「Refrigerator」)。親子で一緒に貼りながら発音も練習します。日常生活の中で目にするたびに発音してみることで、身の回りの単語を遊び感覚で覚えられます。
和英翻訳リレー:食卓や車の中で、日本語の簡単なフレーズを英語に訳す遊びをしましょう(例:「行ってきます」を英語で言うと?→”I’m off!”)。家族で順番に答えて、最後に正解をスマホで調べます。ゲーム感覚で表現力が磨かれ、辞書の引き方も身につきます。 - 英語で読み聞かせタイム:週に一度は親子で英語の絵本や物語の読み聞かせをしてみましょう。最初はイラストを見ながら想像で内容を話し合い、簡単な部分だけ英語を読みます。物語の後で「このキャラクターは何をしたのかな?」など質問し合えば、英語への興味と理解が深まります。
- 「Hello」チャレンジ:散歩中や買い物先で外国の方を見かけたら、親御さんがお手本を見せつつお子さんにも笑顔で「Hello!」と挨拶させてみましょう。相手が返事をしてくれたらその体験をほめてください。「英語で通じた!」という喜びが自信につながり、英語を使うことへの抵抗感が小さくなります。これが将来の積極的なコミュニケーションの第一歩になります 。
総括:AI時代の学習の意義
はじめに:今回でAI編は終わりです
AI時代の学習の意義、ということでこれまで総論から各論、と様々展開してきました。
ただ、執筆してきて思ったことは「どうも繰り返しになっているな」ということでした。
そのため、このまま各論をそれぞれ進めるよりも、ここでバッサリと終わらせたほうがよいのではないか、という気がしてきました。
そこで、今回は「(AIがあっても)人間が学ぶ意義」ということで、私の思うところを存分に書こうと思います。
今回のキーワードは、下記のとおりです。
- AIと人間の最大の違い:生命と寿命、人間関係
- AIに負けない?:未来の不確実性、リスクに対する姿勢
人間の有限性とAIの不確実性
私は一応呉市の家庭教師(学習塾)ということで、今も各教科について学ぶことがあります。
そのため、おそらく学生時代(現役受験生時代)よりも、今のほうが学習はできますし、あるいは受験に関する知識もあるでしょう。
しかし、それはある意味当たり前なのです。
なぜならば、たとえ時間効率(いわゆる才能)が低くても時間さえ投入すれば、大きな成果を出すことができるからです。
結果とは、才能と努力の掛け算であり、どちらかが0でなければ、いずれは大器晩成します。
しかしながら、一方で人間というものの存在は永遠でも無限でもありません。
過去に、おそらく『風姿花伝(世阿弥)』だったと思うのですが、芸というものが年齢によってどのように変容していくのか、について言及しているところがありました。
これによれば、要するに幼少期に右往左往しながら基礎ができ、やがて大成し、その後は身体能力や精神面の変化などに応じて衰えることもある(がそれをどうカバーするかが腕の見せ所)という、ことでした。
つまり、学習についていえば学生時代(受験生時代)というのは、まだ右往左往している頃であり、その中で出した結果が将来を大きく左右するという、ある意味非対称的な状況にある、ということです。
私はこれについて、どう考えるか、といえば「できるだけ急いで学んだほうが良い」ということです。
なぜならば、時間は有限であり、人生も有限、健康寿命も有限だからです。
もしも、高い次元の思考力を手に入れたとしても、残りあと数年しかそれを活用する時間が残っていないのと、あと何十年もそれを活用した人生を送れるのとでは、結構違うと思います。
もちろん、学びについては人それぞれ固有の事情がありますが、もしもそれを遅らせている要因が各人の「面倒だなぁ」とか「やる気が出ない」というもののみならば、そういう感情はあるとしても、それとは逆の心理的モメンタム(動力)を持つべきでしょう。
そして、そこで活用できるが現在世界を席巻しようとしている生成AI(ChatGPTなど)です。
生成AIは、確かに人間とは違います。
一番の違いは、人間には当然あるところの感情の揺らぎ(ぶれ)がないところです。
これは、一見長所のようにみえますが、他方で感情の揺らぎがない、ということは要するに「竹取物語」で不死の薬を飲んで感情がなくなってしまったかぐや姫のようにある種の「死の世界」ともいえます。
つまり、人間は「生の世界」を生きいろいろな欲望や恐怖(煩悩)に苦しめられる一方で、生成AIはそういうものとは無縁の世界にいる、といえるのです。
例えば、人間が精神的に不安定な時に、生成AIに人生相談をする、カウンセリングを頼むということも耳にします。
結果として、より精神が改善したということもあれば、逆によりそういう精神的方向が加速してしまった、という例もあるため、AIに人生相談は必ずしも最適解とはいえません。
ただ、こうした例からいえることは「AIに相談する」ことと「人間に相談する」ことは、明らかに異なるということです。
AIは一見すると、人間と同じ事実を見ていますが、それをもとにした結論は、必ずしも人間と同一ではありません。
これは、AIと人間のいずれが優れている、ということではないと思います。
もちろん、仕事など「成果のクオリティ」が求められる局面ではAIが優れている場面も多いでしょうが、他方で人間の不完全性が人間らしさとして価値を持つ場面もこれから増えるのではないでしょうか。
特に、心理カウンセリングでは客観的、絶対的な答えが必ずしも最善の結果をもたらす、というわけではないように思われ、同じことは学習指導でも言えるでしょう。
例えば、数学や国語の問題で「なぜこの問題が正解なのか」ということを科学的・客観的に説明することが、生徒にとって最善というわけではなく、生徒の抱える心理的障壁を一つ一つ観察し、分析し、時には共感して取り除いていく(ないしは、優先順位を下げていく)ことのほうが重要、ということもあるわけです。
つまり、これからAIの処理能力が人間の脳のそれを上回る時代は確実に来るでしょう。
そういう中では、「人間の価値」というものは、「AIより賢い」ということよりも、むしろ不完全さ、人間らしいもろさ、などに宿るのかもしれません。
もちろん、未来予想はすべて可能性の世界にすぎません。
AI(科学技術)がこれから人間社会をどう変えるのか、あるいはそもそも人間社会に未来はどれくらい残っているのか、ということは正確に読むことはできません。
しかし、そういう不確実なものに対して向き合って、ときにはアグレッシブ(積極的)に、ときにはコンザバティブ(保守的)になる、という二刀流を使いこなすことこそが人間に求められることです。
人間が学ぶことで得られること:学習や知識の限界を知る
AIの処理能力が日々、高まっていく中で人間の頭の処理能力の伸びはそれに追いつけません。
それは、今たとえある分野でリードしていたとしても、いずれは追いつかれ、追い抜かれるということを意味しています。
そんな中で、人間がたとえ国語や数学、英語について学ぶことは不要になるか、というとそういうわけではありません。
なぜならば、連載冒頭で述べました通り「人間は人間であることを(死ぬまで)やめられない」ということです。
もちろん、将来的な科学技術の進歩によって、人間が(SF作品のような)機械人間になれる、というならば話は別です。
しかし、「銀河鉄道999」の主人公が言っていたように、人間が人間であることにこだわる価値というものは残るでしょう。
それは、ある種有限性や限界というものについて、否定的、悲観的になるのではなくてむしろそういうものを受け容れて、認容したうえで、むしろ積極的な価値を認めていく試みにもつながります。
学習についていえば、学んだり何かを知ったからと言って、それで万能になれるか、というとそういうわけではないということです。
むしろ、学べば学ぶほど、できることとできないことの境界線が明確になり、人間の無力さや限界、あるいはその反対としての可能性、不確実性に思いを致すようになります。
もしもある種の教養がある人、知識人と呼ばれる人々が想像以上に謙虚でハングリーなのには、そういう要因があるのかもしれません。
また、私は上記で「不確実性」という言葉を使いました。
これは英語で言えば”risk”(リスク)という意味で使っています。
皆さんは、リスクという言葉にどのような印象をお持ちか、わかりませんが、もしかしたら「リスクは怖いからないほうが良い」とか思っているかもしれません。
しかし、リスクとは必ずしも悪いことが起こる可能性を意味するのではありません。
要するに、ものごとが今とは違う状態、解釈になること、良いほうに行くことも、悪いほうに行くことも、すべてひっくるめて「わからない」という概念こそがリスクの本質です。
そもそも、未来が完全に予想できるのであれば、人間があれこれ試行錯誤する意味もありません。
どうなるか、最終的にわからない。
しかし、良い結果になるために全力を尽くし、それでもわからないところは祈るしかない、つまり人事を尽くして天命を待つ、ということが重要です。
学習についても、これとまったく同じことが言えます。
学び、知識を得たからと言って、それが幸せとか人生における成功を約束するものではありません。
むしろ「世の中には知らないほうがいいことがある」とか、そういう考えもあるでしょう。
しかし、「どうすれば、どうなる」という因果関係についての知識や、「こうするには、こうすればよい」という、目的や手段に関する思考は、私は重要だと思っています。
なぜなら、幸せとか精神的な充足、というものはそもそも自分の(物理的)生存なしには、ありえないからです。
「命あっての物種」という言葉もあります。
未来という不確実性のゲームに参加するには、まず生きている必要があります。
もちろん、参加するだけはだめであり、そのゲームのルール(社会の規範)を理解し、その中で自分を有利にする可能性が高い判断と行動と積み上げていく必要があります。
それこそ、(広い意味での)学習です。
人間は学んで、自分を改める、という素晴らしい能力をもっています。
これを活用しない手はありませんし、本当の失敗は孔子がいうように「失敗しても改めないこと」にあるでしょう。
総括:AIに負けない、という問い
歴史は、常に人間の期待と予想を裏切り続けるもの、だとも言えます。
もちろん、歴史については専門家の方の深い洞察があり、「歴史は繰り返す」という側面もあり、その意味からすると歴史や未来は予想可能である、という言い方もできるかもしれません。
しかし、歴史や未来を創造する際に欠かしてはならない観点があります。
それは「人間の愚かさ」です。
人間は生成AIと違い、失敗するものです。
しかもその失敗が人間関係によって連鎖し、当初は予想しなかったくらいの負の影響を生むことだってあります。
そのため、未来を予想しそれに対処するには、理性的に理想の未来を描くということも必要である一方で、人間やなにより自分自身の愚かさについても、しっかりと織り込み、考慮することが肝要です。
最近はあまり見なくなりましたが、少し前は「AIに負けない人材とは」という言説がありました。
これは、今からすると問いの立て方が誤っていました。
なぜならば、AIと人間は前述のとおり、住んでいる世界が違うからです。
結局最後に決断して行動するのは人間であり、AIはそれをまねているだけです。
人間の在り方が遠い未来に変化するとすれば、AIのありかたもそれに伴って変容するでしょう。
重要なのは、(宮崎駿氏の作品名ともかぶりますが)自分がいかに生きるか、ということにあります。
そして、そのためには自分の中に軸を持つことです。
私は自分の中に二つの異なる軸を持っているつもりです。
一つは「損と得」という軸です。
しかし、私は偶然法学部で4年間法や政治をかじってしまったがために、自分の中に「善と悪」という軸も持つことになってしまいました。
正直、この2つの軸は共存とか共通理解、というものとは無縁なものです。
その矛盾に悩むこともないわけではありません。
しかし、そういう矛盾なり悩みというものが、ものごとを立体的に、より実際の姿に近いように見えることができる鍵ではないかとも思います。
その意味で、上記の矛盾は合理的で理にかなっており、あるいは善に向かうともいえるかもしれません。
このように、AIがこれからどんどんハイスペックになるということと、人間がどうあるべきか、ということとの間には直接の関係はありません。
ただ、活用できるものはどんどん活用して「急いだほうが」いいような気はしています。
おわりに:謝辞
これで、私の「AI時代の学習の意義」に関する連載はとりあえず、終わりになります。
実際、執筆してみた動機は単なる思い付きや勢いだったのですが、この連載は読者(お客様)の想定外のご愛顧をいただきまして、本当にありがたいです。
読者と筆者は二人三脚である、というのは単なるお題目ではなくてれっきとした事実である、ということを身をもって体験した次第です。
もちろん、後日また異なるテーマ、あるいはやや重複するテーマで執筆することもあろうかと思いますが、そのときにはもしよろしければ軽い気持ちで、ご笑覧いただければと思います。
では、ここらへんで締めにしたいと思います。
どうもありがとうございました。
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