鷲田清一と高校現代文

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高校現代文で感じる「壁」

中学までの国語長文は、何とか読めてきても、高校の国語の授業(「現代の国語」や「論理国語」など)で読まされる、評論文は難しいと感じる高校生は多いです。

それは、呉市内のトップ偏差値高校である呉三津田高校でも同様のようであり、呉三津田にお通いの生徒さんからも、「現代文が難しくてどうしようもない」と言われることがあります。

そして、様々な現代文作者の中でも、高校現代文で頻出であって、かつ難易度が高い文章をお書きになられている著者が「鷲田清一」氏となります。

 

一方で、鷲田清一氏の作品は、Amazonなどのレビューがみられるサイトでは、高評価を得ていて、中には「わかりやすい」という感想を持たれている方もいます。

なぜ、高校生の方にとって一部では、意味不明になってしまう著者が、他方では高評価を得ているのか、というのも面白いテーマです。

以下では、鷲田清一氏の作品を読むときのポイントについて、高校現代文の場合にとりあえず限定して書いていきます。

ポイント1:長い一文を分解して考えること

文意がとりづらい理由としては、一文が長いことが結構あることに求められます。

長い一文は、分解して、それぞれの部分の役割(修飾・被修飾関係)を把握しなくてなりません。

そこで役立つのが、「主語・目的語・述語は、文の骨格である」という考え方です。

逆に言えば、その他の部分は文の飾りの要素であり、まず読むときには、文の骨格部分を把握して、その後飾りの部分を付け加えていくという読み方が必要になります。

 

具体的なやり方としては、文の主語・目的語・述語にまず強調します。

そして、そのあと、飾りの要素をかっこで囲うなどします。

さらに、それぞれに飾りの要素がどこにかかっているのかを矢印で示すと、わかりやすくなります。

 

このように、「難しい一文、長い一文に遭遇したら、分解して考える」ということを優先してやってもらいたいです。

具体例:AがBになったのは、Cばかりではない。Dにもよっている。

2文に分かれていますが、連続した内容であるため、2文目の主語と1文目の主語は同一です。

このように、一文を抽象化した場合、重要な部分は、Cというよりも、Dということがわかります。

日本語は、英語とは反対に重要なことを後ろに書く傾向があります。

ポイント2:筆者独特の表現を具体化すること

鷲田清一氏の文章を読んでいると、時々、筆者独特の用語法をしている、フレーズに遭遇します。

※筆者の文章が「哲学エッセイ」と言われるゆえんでしょう。

 

その用語について、辞書で調べてみても、なかなか意味がつかめないことが多いです。

そういう場合は、本文に読解のヒントがあります。

本文において、筆者が伝えたいこと(テーマ)を手掛かりに、あとは本文で述べられている各要素の位置づけを考えます。

具体的には、同等関係(イコールの関係、言い換え、並列)、対比関係、因果関係、類比関係などです。

これらを駆使できれば、とりあえず筆者が何を伝えたいのか、ということは大づかみに把握できるでしょう。

 

また、テーマについて把握しておくこと、事前知識を入れておくこともお勧めです。

現代文のキーワード集などを、傍らにおいて、読んでおくことで、筆者の前提のしていることがわかります。

具体例:重要キーワード「媒介」

鷲田氏の文章に限りませんが、高校現代文では「媒介」という単語がしばしば出てきます。

しかも、本文理解に重要なキーワードとして出てくることが多いです。

一般的には、「AがBを媒介する」という形で使われます。

評論文において、「媒介」と出てきたら、「A」というもの(メディアなど)が、「B」という対象を伝える橋渡しをしている、と考えましょう。

例)「新聞・テレビなどマスメディアは、社会に起こる様々な事象を視聴者に媒介する役割を持つ」

→「新聞・テレビなどのマスメディアは、社会に起こった様々なことをニュースや番組として構築して、視聴者に伝わるようにする」

ポイント3:わからない箇所を限定すること

学校の先生に質問するにしても、「全体的にわからない」というよりも、「〇〇の□□という箇所について、自分では△△と考えたけれどもわからない」といったほうが納得のいく答えをすぐ得られるでしょう。

しかし、具体的でピントの合った質問をするには、自分もそれなりに本文と向き合わなくてはなりません。

時間はかかりますが、現代文において、一番重要なのは、「不明な点」と「はっきりしている点」を区別することではないでしょうか。

もちろん、手も足も出ない時には、そのまま先生に「全体的な」解説をしてもらって、納得することも必要ですが、ある程度何とかなりそうな場合は、自分で現時点での理解度を持って、疑問点の洗い出しをしてみることもよいです。

※私(白井)の場合は、高校時代には現代文の要約をしたり、自分で設問を作ったりして、その答えを自力で作成して、先生にみてもらっていました。

 

授業後や空いている時間に、友達と話し合いをしてみるのも有効です。

※塾の先生とも、文章や筆者について、対話をしてみることをお勧めします。

どうしてもわからないときは?

中学時代から、国語の理解が中途半端で怪しかったという場合には、中学レベルまで戻ることが最適ですが、「そんな時間はない」という方もいらっしゃるでしょう。

そういう場合の、善後策としては、中学生向けの鷲田清一氏の文章を読んでみるのはいかがでしょうか。

鷲田氏の文章は、難関高校の入試問題に採用されていることも結構あるため、難しめの高校入試問題集を購入してやってみるのも手です。

総括

高校現代文は、攻略するのが一苦労の大きな壁です。

鷲田清一氏の文章は、とりわけ苦手意識がある人が多いのですが、よく読むと現代文のイロハが試される、良質の文章です。

また、高校時代には「テスト」という、自分の理解度を試す格好の機会があり、また「先生」もいます。

そのため、鷲田清一氏の文章に当たっても、まずは諦めずに基本を駆使して、格闘してみてください。

 

ただ、それでも本文がわからず、苦戦することはあるでしょう。

そうした場合には、私の塾・家庭教師(家庭教師の白井)ほか、信頼できる先生に頼ってみてください。