丸山眞男と高校現代文

丸山眞男(1914.3.22-1996.8.15)は、今知る限りで私の最も好きな現代文作者です。

ただ、この投稿では「私がいかに丸山眞男のファンか(マニアではない)」について書くのではなく、彼の作品を読む上での参考になることを書いていこうと考えています。

『「である」ことと「する」こと』

もっとも有名な丸山の文章

高校教科書は2022年度より順次改訂されていますが、改訂前の教科書にはほぼ必ず載っているのがこの作品です。

そして、多くの人にとって丸山眞男に接する最初の機会であり、また実質的に最後の機会になる人もいるでしょう。

※因みに、教科書に載っている文章は一部省略があります。フルバージョンは例えば以下の新書本で読むことができます。

 

また、別に統計を取ったわけではないのですが、よほど国語(現代文)が得意な人を除いて、この文章は煙たがられているというか、敬遠されているようです。

その理由はおそらく鷲田清一氏の文章の時と同じで、使用されている語が単に辞書的な意味を超えているからだと思います。

私は鷲田氏の文章は教科書に載っているもの以外はほとんど読んだことがないのですが、丸山眞男の文章はほかにもそこそこ読んだことがあります(多少現在進行形のものも含む)。

 

ですので、若干本文に載っていないことも含めてアウトラインを概説します。

そもそも論

丸山眞男をどうとらえるかは、非常に難しい問題です。

※どうしても知りたい(考えたい)という人は、以下の本がおすすめです。

ただ、高校生でも知っておくと読みやすくなることとしては、彼は「歴史(思想史)」を非常に重んじているということです。

つまり、彼の作品をちゃんと読もうとした場合には歴史の知識が必要であり、それを学んでいる最中の高校生の方にとってはまず丸山眞男という時点でハードルが高いのです。

なので、歴史を(原始から)現代まで学んだうえで再度読むと読みやすくなっているのではないかと思います。

 

ただ、ここで放り投げるのも筆者(私)としては責任を感じるので、最低限これだけは知っておくと役立つことを述べておきます。

天皇と国体

まず最も重要なのが、天皇(天皇制)と国体についてです。

明治憲法(大日本帝国憲法)によって、天皇は大日本帝国の主権者と定義されました。

それ以後、日本国憲法制定まで天皇は主権者であり続けます。

しかし、実質的には天皇の在り方は、明治天皇、大正天皇、昭和天皇と代替わりする中で一定ではありませんでした。

 

明治憲法は確かに今の視点から見れば、前時代的かもしれません。

しかし、明治天皇は立憲君主としての自覚をもち、「君臨すれども統治せず」という姿勢をずっと貫いたことから、明治時代は戦前よりも自由度のある時代だったといえるでしょう。

それが、戦前、戦中、そして敗戦に近づくにつれて明治時代の空気感は薄れ、天皇制を批判することはどんどん厳しく統制されました。

※実際、丸山眞男は学生時代にとある講演会に出ていたというだけで、(特高)警察に連行され、そこで平手打ちなどを食らっています。

 

なお、この戦前の天皇制は国体といいかえて、ほぼ間違いはありません。

※戦前の最高裁にあたる大審院において国体は「万世一系の天皇君臨し統治権を総覧し給ふこと」と定義されました。

※国体=昭和天皇の意見、と言っていいのかどうかは、当時も論争がありました。

今では少し想像できませんが、戦争末期において無条件降伏するか否かの論争で、最ももめたのがこの「国体」にまつわる話でした。

 

丸山眞男は、国体について戦前に「日本の国体は懐疑の坩堝(るつぼ)の中で鍛えられているか」というメモを残しています。

これは当時、天皇制を否定していると解釈されたのですが(それで平手打ちを食らった)、今読み返してみると、「天皇制といえども、それが正しいと思う人と、おかしいと思う人がフェアに戦う環境が整備されていないと、なぜそれが正しいのかという根拠が薄れてしまう」という意味だと思います。

全く同じことは、以下で述べる戦後民主主義(や現行憲法)の議論にも言えます。

戦後民主主義と「飢餓」デモクラシー

丸山眞男は終戦の日(1945.8.15)を大変重視しています。

それは、この日において日本人がいわゆる「国体」から解放され、歴史上はじめて自由な存在(主体)になったからです。

しかし、自由になったからと言って次に何をした良いのか、ということがわからないのは当然です。

 

終戦直後の日本人は、これもやはり今では想像しづらいほど、「知ることを渇望」していました。

丸山は、このことを「飢餓」デモクラシーと表現しています。

すなわち、戦争が終わり、急に天皇制(国体)がなくなって、これからどうしたらいいかわからない。だから、学ぼう、というのです。

実際、地域の人々が丸山眞男を含めた若手の研究者を集め、勉強会も開きました。

※そのレジュメを見てみたい人は、少し高いですが下記の本に載っています。

戦後において、丸山眞男はある時期までは非常に積極的に発言しました。

その中でも、とりわけ記憶(記録)されているのが、「永久革命としての戦後民主主義」でしょう。

これは、本題である高校現代文教科書の理解においても重要ですから、少し説明します。

 

民主主義というのは、当たり前ですが一つの制度です。

たとえ同じ制度であっても、それを利用する人の「気の持ちよう」次第で、いかようにもあり方は変わります。

民主主義はその政治バージョンです。

 

丸山の考えでは、民主主義というのは単に看板を掲げているだけでは、徐々に劣化して有名無実化します。

すなわち、国民は現行憲法上「主権者」ですが、実際に本当に主権者らしく丁重に扱われているかどうか、また今後もその保証があるかどうかは全く別次元の問題です。

主権者であるという看板に安心して、あるいはその看板の存在すら忘れてはだめであり、主権者の地位を守るために自分にできることをやるべきだということです。

※本文においては、「民法の(消滅)時効:債権を行使しないでいると一定期間で消滅する」を例に挙げて解説されています。

 

丸山がなぜここまで熱心に講演したのかといえば、思うに戦後のまっさらな状態を直接体験したからでしょう。

日本人1人1人がいきなりスタート地点に立たされ、国の在り方を決めることに迫られるなど、そうそうあることではありません。

したがって、そうした「0からのスタート」を切った時代を背負って生きる者の責任として、民主主義をいつまでも「(鉄は熱いうちに打て、というところの)熱い鉄の状態」に保っておきたかったのではないでしょうか。

理想と現実

『「である」ことと「する」こと』を読む際には、丸山が理想としている状態と、批判(憂慮)している現実とを対比させると幾分わかりやすくなります。

すなわち、本文においては「である」ことの価値と「する」ことの価値とをそれぞれ認めたうえで、それぞれの領分について語っています。

※単純に「である」価値<「する」価値ではないことに注意!一般に流布している本文のイメージについての丸山の見解を知りたい方は下記を参照してください。

例えば、「である」ことの価値が大事な場面としては、学問や芸術の世界が挙げられています。

※ちなみに丸山はかなり熱心な音楽のファンです。

学問や芸術というものは、存在するだけで価値があると考えたほうが健全なのです(いわゆる「文学部不要論」はこの対極にあります)。

ここに、学問や芸術は「役に立ってこそ」存在してもいいのだ、という考え方を持ち込むと、すぐには役に立たない(と思われる)基礎的な研究や文系の学問は簡単に隅に追いやられてしまいます。

現実問題として、弱い立場に置かれがちな学問や芸術の存在価値を守ることが、ひいては人類の中長期的な財産になるということです。

 

他方で、「する」ことの価値が大事な場面としては、第一に政治の世界です。

つまり、政治家は「存在するだけで偉い」というわけではなく、「何か有権者にとって利益になることをするから偉い」のです。

ただ、現実問題としては、逆転現象が起こっていることがしばしばみられるので、「それでいいわけがない」というのが丸山の批判です。

 

このように、一見矛盾するように見える2つの価値を共存させてバランスをとっていこうというところに、丸山眞男の文章の面白さ、あるいは難しさがあるのでしょう。

※丸山が特に重要な人物と考えて研究した人に福沢諭吉がいますが、彼もまた一面的には理解できない複雑さを持っています。

高校生の丸山眞男との向き合い方

丸山眞男の文章は読めば読むほど「明確な答え」がわかりづらくなっていくため、敬遠する人も多いようです。

とりわけ、高校生(大学受験生)にとっては、まずは「点数につながる」「明確な答え」が必要であることから、「答えのない世界」である「丸山ワールド」は理解しづらいものとして映ることでしょう。

 

私個人の見解としては、無理に高校生の時点で、丸山眞男の世界に深入りしなくてもよいと思っています。

答えのない世界が存在することは確かに事実ですが、他方で「答えの出し方」を体得することもまた重要、あるいは大前提だからです。

実際、現代文の問題は「論じなさい」というものではなく、「筆者はどういっているのか」ということをわかりやすく説明させるものがほとんどです。

そもそも、筆者が何を言っているのか正確に把握しないと、それを批判したり肯定したりすることもできません。

 

まずは、丸山眞男の言っていることがすべて正しいと「思いこんだ」上で読み、そのうえで余裕が出てきたら自分の見解と比較、批判してみるとよいです(実体験)。

丸山自身、疑うことの大切さを論じつつ、他方では学問的な型の重要性も説いています。

「応用的な」技は、ちゃんと基礎がついていれば、後できちんと使いこなせるようになりますが、逆に基礎が固まっていないのに「応用」に走ると恐らく大きな挫折につながります。

 

「丸山眞男が難しい」と思った方は、丸山を批判する前に、まずはより簡単な現代文の参考書や問題集を解いて、文と文との論理的な繋がり(いわゆる、イコールの関係、対立関係、因果関係、ほか)を把握したり、現代文用語(常識)を身に着けることが重要でしょう。

おまけ:丸山眞男の著作紹介

以下の本は、高校生向けというよりはむしろ大学生以上向けです。

ただ、どの本も読めば読むほど深みがありますし、またつまみ食い的に読んでも面白いです。

※なお、並び順およびコメントは筆者(私)の独断と偏見に基づいております。

※ちなみに『丸山眞男集』はじめ巻数が多いものは、新品で購入すると非常に高くつくのでヤフオクやメルカリなどで全巻セットを買うといいかもしれません。

  • 現代政治の思想と行動:もっとも有名な「丸山本」
  • 日本政治思想史研究:非常に難しいのでマニア以外は避けたほうが無難
  • 日本の思想:『「である」ことと「する」こと』はこの本所収の内では一番平明であることがわかる
  • 丸山眞男セレクション:おそらく大学生以上の「丸山ファン」向け
  • 「文明論の概略」を読む:原典(福沢諭吉『文明論の概略』)を持っている(読んだ)ことが前提
  • 忠誠と反逆:おそらく高校生向けではない
  • 丸山眞男集:丸山眞男の主要の著作はすべて年代順に載っている(が、これですべてではない)
  • 丸山眞男集 別集:最初の3巻と、4巻は全く性質が異なる
  • 丸山眞男 講義録:大学生向けの講義なので、丸山集より先に読んだほうが良いかも
  • 丸山眞男 講義録 別冊:上に同じく、丸山眞男ファン必読かつ優先順位高
  • 丸山眞男 話文集:論文集ではなく、座談会の記録中心なので非常に読みやすく、丸山を身近に感じられる
  • 丸山眞男 話文集 続:よりマニアックな座談会などの内容が載っている
  • 丸山眞男 座談:丸山は他領域の専門家とも積極的に対話しています。それがよくわかるシリーズ
  • 丸山眞男 書簡集:書簡、つまり手紙のやり取りがわかります。マニア向け
  • 丸山眞男 回顧談:丸山の生きた時代がどういった時代だったか、彼の人生経験はどのようなものだったかがかなり鮮明にわかります