「手法」「勉強法」

はじめに

最近は、一昔前と比較してもさらに「勉強法」についての情報が増えたように思います。

書店に行っても、勉強法についての本のコーナーがあり、そこに行くといろいろな有名人が本を書いているのがわかります。

例えば、東大や京大をはじめとする難関大学の難関学部に受かった人の体験記であったり、有名な学習指導塾や家庭教師の著書だったりするわけです。

 

私はこれまで、多くの「勉強法」や「指導法」などの「手法」の本を買ってきましたが、そこでいくつか気が付いたことがあります。

なので、今日はそれについていくらか書いてみようと思います。

よくある「よい」勉強法

よく紹介されているのは、インプットとアウトプットの比率を意識した勉強法、というものです。

インプットというのは、何かを覚えたり理解する、といった作業を指します。

例えば英単語や各用語の暗記などがここに入ります。

 

他方のアウトプットというのは、何か覚えたり身に着けたことを実際に形にする、といった作業を指します。

例えば、問題集を解いたり、模試にチャレンジするというのがこれに入るわけです。

 

一般的に推奨されている比率は、3:7です。

これと違う比率にしている場合は、何らかのバイアスがかかっています。

すなわち、アウトプットの方がインプットの2倍より多いくらいがちょうどよい、というわけですね。

 

また、これもよく言われていることですが、「手段を目的化しない」という事も重要です。

例えば、「何も考えずに、答えをそのままそっくり赤ペンで写す」ということは、あまり意味がある行為だとは言えません。

確かに、形になっているので外からは評価しやすく、そのため一部の学校では問題文と答えをきれいに写す作業を課題にしていることもあるようです。

 

しかし、それはあまり褒められたことではありません。

時間がかかりすぎますし、なにより書いている本人が書いている内容を理解せずにただ写すだけで、何の意味があるのでしょうか。

そこで、「解答だけを書くようにする」ようにして省力化をはかり、間違えた問題を書きだすということで問題の切り出しをすると、状況が改善するわけです。

 

このように、「これをすると成績が上がる」という勉強法は、多くの本に載っており、そして内容は(すぐれたものであればあるほど)似通ってきます。

「勉強法」コレクターという矛盾

ただ、あれもこれもと勉強法の情報を求めすぎるものまた、問題だと思っています。

勉強法に関しては、指針となるものを何か1つ買い求めるだけで十分だとみており、そして各人が必ずそれを自分流にアレンジする必要があるでしょう。

 

例えば、さきほど「答えをそのまま写す」のはよくない、と書きました。

しかし、個人的には、本人が置かれている状況によっては、答えを丁寧に一字一句写すことには意味があると思っています。

 

例えば、解法の考え方はある程度理解できているけれども、答案を作成するときには数式だけになってしまい、その間の説明文が不十分になっているという場合です。

その場合、「解答をよく読んで理解してから、自分の文章で説明文を書こう」といっても、なかなかハードルが高く、実践できないということがあります。

そういう場合には、むしろ解答解説をしっかりと写すことが有効でしょう。

 

他方で、内容が全然理解できていない状況で、答えを読んでそのまま写そうとすると「情報過多」になり、理解が追い付かないまま、答えを写す作業になってしまいます。

つまり、一見すると同じに見える勉強法でも、本人の性格や理解度といった状況に応じて、そのやり方が機能するか、逆効果になるか、という事が決まるのです。

 

勉強法の形ばかりを追求している人は、そのあたりがちゃんと理解できていないように思います。

「Aというときに、Bすればいい」ということを書いた本はたくさんあり、その内容には価値があるとは思っていますが、その行間を読んで、「なぜそのやりかたをするのがよいのか」という思想の領域まで踏み込んでいかないと、迷路にはまるのと同じことです。

私の考え

したがって、私は生徒さんに応じて同じような内容を教える場合でも、そのやり方を変えています。

例えば、ある生徒さんの場合には「どういう参考書をやればいいのか」という手段の部分に力を入れて教えることもありますし、逆に学校の授業をさらにかみ砕いたように難易度とペースを落として教えることもあります。

また、問題演習量を重視する場合もありますし、逆に1問1問の基礎の理解に時間を割いた方がいいと考える場合もあります。

 

つまり、「勉強法」や「教え方」にあらかじめ用意された正解はないのです。

有名な「ドラゴン桜」の講師陣も、よくマンガを読んでみたら舞台裏では議論を交わして、悩みながら教えていることがわかります。

 

すなわち、生徒さん1人1人や教師1人1人の相性プラスその時の状況という様々な要素が組み合わさって、正解となる手法が不断に変わる、というのが実情ではないでしょうか。

その意味では、正解はあるといえばあるし、ないといえばない、といえそのくらいの気楽な姿勢で構えていた方が長続きしそうです。

 

重要なのは、「これで決まり」といって思考停止するのではなくて、入ってくる情報を虚心に見つめ、そして判断するという事です。

生徒さんとのコミュニケーションが最終的には物を言うのは、このためだといえます。

総括

巷には勉強法のマニュアルがあふれ、それは今後もさらに増えそうですが、重要なのは自分で「なぜ?どうして?」と問うて考えることにあります。

そのための材料として、それらの書籍などを利用することは有効ですが、うのみにするだけならかえって逆効果になるかもしれません。

 

ただ、大人になってからも、何らかの目標を目指して努力するという事は続いていくので、みなが共通の「勉強」「受験」という目標を持つ学生時代は、将来同じような作業をするであろう自分にとってかなり参考になるはずです。

ぜひ、「勉強法コレクター」ではなくて、「勉強法マスター」になってほしいものです。