個人的に、『二月の勝者』は本当に読むために精神力を必要とします。
私が、関係者だからかもしれませんが、これほど精神を揺さぶられる漫画は初めてです。
かの『ドラゴン桜』は、あくまで東大に挑む生徒が主体でしたが、こちらは教える側の描写にフォーカスが置かれており、彼らの内面が描かれるたびに、納得し共感せざるを得ませんでした。
受験は人生の縮図だったのかと痛感
いろいろと「参考」になる話が、多かった本作ですが、今のところイチオシは9巻です。
あまり詳しく書くとネタバレになるのですが、物語はかなり緊迫した修羅場を迎えます。
よく中学受験のことを「お受験」とか「お勉強」とかいうように「お」をつけて、軽いイメージをつける人がいますが、これは2つの方向から誤りであると思っています。
※物語中にも、同様の発言がありますが、言いえて妙です。
受験という生存競争
1つ目は、よく言われていることですが受験はある意味、生存競争なのです。
例えば、アフリカのサバンナで草食動物が肉食動物から命がけで逃げたり、逆に肉食動物も食物を得るために必死で草食動物を追いかけたり、といった姿を見ると、(ずいぶん平和的なやり方とはいえ)受験勉強は「生きる」ということの一側面を学べる重要な機会であるといえます。
受験という「やりがい」の発見
そして、もう1つは一見真逆ですが、勉強(や研究)はやりこめばやりこむほど、純粋に楽しいという事です。
「わかるって楽しい」と巷でいわれていますが、この体験は実際に勉強にしっかり取り組んだ人にしか共有されないと思います。
これは、個人的には「生きる意味」とか「人生の質」とかいうような、受験が終わった後やひいては老後においても重要なことともかかわっていると考えています。
物事に意味を見出し、感情の起伏を体験して、自分の身体・精神活動と外界を関連させていく、という人間として重要な要素を学び取ることができるのです。
受験という矛盾の克服
私は、本作を読んでこの2つの一見矛盾するように見える要素をいかにして、両立させていくか、ということが教師に与えられた究極のゴールではないかと感じました。
もちろん、日々の授業がこれで大きく変わることはありませんが、私の中の哲学がこれで1つバージョンアップしたというような感じです。
9巻
黒木先生の謎がいよいよ明らかになります。
極限状態に置かれればこそ、その人の人柄や品格が現れるものですが、作者は登場人物1人1人に与えられた役割(キャラクター)を鮮明に描き切っています。