学校によって受験する模試に違いはあるものの、進研模試(ベネッセ総合学力テスト)や全統記述模試(河合塾)や駿台模試などは、いずれも非常によくできた模試であり、受験する意味は十分あると思います。
しかし、どのような模試であっても「その受け方」が適切でないと、やった意味がないか、半減するかもしれません。
ここでは、多くの学校で課されるであろう「模試レポート(テストレポート)」を題材に考えてみようと思います。
模試レポートとは
試験では、成績に影響するから頑張る、という側面のほかに、実力を確かめ、弱点を補完するという側面があります。
こうした面から考えると、模試についてレポートを作成するというのは非常に合理的だといえます。
すなわち、特に自分が間違えた設問に関して、なぜ間違えたのか、どのように考えれば正解できたのか、という分析を行うのです。
また、手元に解答解説がありますから、それを読み込む機会としても、模試レポートは有効です。
したがって、総論としては模試レポートは非常に良いので、ぜひやるべき、ということになります。
意味のある模試レポートとは
しかしながら、ただ漫然とやっつけ仕事的に課題を消化するのでは、意味がありません。
というよりも、特に模試レポートの場合、やり方を間違えてしまうと、手間がかかる割に、得るものが少ないのです。
例えば、解答解説にはすべてのレベルの問題について、完璧な解答プロセスが載っています。
これを読むと、「わかった気になる」ばかりか「できる気になる」のです。
すなわち、自分の実力がそれに追いついている場合はよいのですが、自分の実力が、いまだすべての問題を理解するに至らないときには、
現時点では「できなくても仕方ない」問題にも労力を割きすぎてしまうのです。
そもそも、模試というのはすべての設問を同じような難易度で作っていません。
例えば、「偏差値50レベルの問題」もあれば、「偏差値40レベルの問題」「偏差値60レベルの問題」などもあるわけです。
もしも、偏差値60や70のある生徒さんが、難問も含め満点を取るためのテストレポートを作成することには納得がいきます。
しかし、偏差値40や50の生徒さんが、偏差値60レベルや70レベルの問題の解答解説を読んで理解することは本当にできるのでしょうか。
ましてや、その「レポート」を作成するなどということは、できるはずがない、と思うのですが・・
やはり、やって意味があるのは自分に近いレベル帯の問題群です。
それは、当然人によって違い、必ずしもすべての問題を完璧に理解する(しようとする)必要はないと思います。
もちろん、学校にとって、1人1人のレベルに合わせて模試の復習の内容を変えるのは現実的でないでしょうが・・
※もしも私だったら、「私の選んだこの10問(数字は適当です)」みたいな感じで、生徒に好きな10問を選ばせて、それについて1問に1ページ使って掘り下げてもらうのような、生徒の主体性に訴えかけるようなことをやるでしょう。
模試を振り返るむずかしさ
繰り返しになりますが、生徒さんが模試を受ける意味の言うのは、自分の学力を向上させるためです。
したがって、忙しい時間の中で今の自分にとって必要なものを見極める必要があります。
ただ、それは一般に学力が低い人であればあるほど、難しくなる傾向があります。
そもそも、自分にとって必要なものを分析して実行できるような人であれば、塾など必要ないとも言えます。
逆に、そうした人を支えるのが塾(家庭教師)の役目でもありますが。
私が気を付けているのは、単に「この問題の答えはこれ」みたいな平板にならないことです。
確かに明らかに暗記しなければならないものもありますが、次に似たような問題が出たときに思い出せるようにするためには、思ったよりも工夫が必要です。
そして、類題や関連分野についてある程度知っておかなければ、その場しのぎになってしまうでしょう。
したがって、最終的にはこんな一言に行き着きます。
「勉強は暗記するのではなく、理解しなければならない」
と。