勉強とメンタル

今回は非常に一般的な話をします。

勉強において、もっとも重要なものは、私はメンタルだと思います。

 

しかし、メンタルの意味についてはもう少し具体的に定義する必要があります。

また、勉強においてメンタルが欠けているとどのような不具合が起こるのか、という具体例もお示しします。

最後に、勉強においてメンタルを強く持つ私なりの秘訣も提示します。

メンタルとは何か

メンタルとは、「冷静な状況認識と判断を可能にする力」のことです。

このように定義することで、単なる精神論を回避できます。

 

まず、何事においても物事をドライに見つめる目線というものは重要です。

確かに、感情的なものにも意味は大いにありますが、他方で感情に振り回されてはならないのも事実です。

なぜなら、いわゆる「欲望と恐怖」は天井ないし底知らずですが、そのために割けるリソース(資源)は有限だからです。

 

したがって、自分の持っているリソースを最も効率的に活用できる方法が何かを考える必要があります。

また、その前提として自分の置かれている状況を客観的に認識することが必要となるわけです。

 

とすれば、人によっては「これはメンタルではない」という人もいるかもしれません。

もっと別の言葉が適当である、と。

しかしながら、冷静に認識し判断するには、ある程度意識的にする必要があり、欲望と恐怖に振り回されがちな一般人にとっては、その意味では力とか能力に類する言葉が適切だと思います。

メンタル>学力>情報

私は、優先順位をつけるならば、もっとも重要なのはメンタルであり、学力にも勝ると考えています。

それは、いくら学力ないし才能があっても、そこからさらに伸ばすためには、自分で何かを吸収する能力が必要になるからです。

そのために、メンタルは欠かせません。

 

もしも、メンタルが不安定であるならば、「勝って驕り、負けたら(後悔ばかりで)反省しない」という最悪なパターンが容易に出来上がってしまいます。

そのような精神状態で、冷静に次やるべきことを考え、実行することができるでしょうか。

 

一方で、メンタルが比較的安定しているならば、巷でよく言われているところの「一喜一憂」を避けて自分のペースで学ぶことができます。

そもそも、学習というのは「×を〇に変える一連の作業」のことを指すといっても過言ではありません。

自分にとって、何が今できて何ができないのか、それを冷静客観的に認識できるでしょうか。

 

もちろん、落ち着くことは誰にとっても困難なことがあります。

そういう場合は、信頼できる他者を頼ることが良いと思います。

それは、学校の先生であったり、塾や家庭教師の先生、または家族や友人かもしれません。

しかし、どんなに優れたアドバイスであっても、それを聞き入れるかどうかを最終的に左右するのは自分自身です。

自分自身が、信頼できるはずの他者の助言に耳を貸さず、いわゆる「聖杯」を求めて誰彼構わず情報を求めるようになったら、かなりの重症です。

 

今のネット時代には、情報は氾濫していますが、他方で学力そのものや、ましてやメンタルというものは相当軽んじられていると思います。

むしろ、各人には学力やメンタルがないほうが望ましく、そうした弱さにつけこんで不合理な決断を迫るということも少なくありません。

しかし、そういう自分を飲み込む波があるということは動かざる事実です。

それを正しく状況認識できる余裕が今の自分にあるでしょうか。

 

繰り返しになりますが、メンタルが最も重要で、学力はその次、情報は最も重要度が低いです。

これは、情報が不要という意味ではなく、確固たるメンタル、確かな基礎学力という順番で持っていないと、どんな情報も使い物にならないという意味です。

情報に利用されるのではなく、情報を利用するというのは実はとても困難なことなのです。

補足:バイアスについて

「バイアス」という言葉があります。

例えば、「確証バイアス」とか「現状維持バイアス」とかさまざまなバリエーションがあります。

 

ここでいうバイアスというのは、現状認識を阻害して間違って認識をさせてしまう心の偏りのことです。

例えば、確証バイアスが作用すると、自分にとって都合の良い情報しか信じなくなります。

また、現状維持バイアスが作用すると、現状から脱却することがひどく間違っているように思えてきます。

実際は、違うにもかかわらず、です。

 

このように、バイアスの存在は危険ですが、他方で避けて通ることのできない道もでもあります。

バイアスは、人間が生き物として生き延びるために獲得した能力でもあるからです。

しかし、生存戦略においてバイアスは有効であっても、勉強など人間が後天的に獲得した作業ではかえって邪魔になることもあります。

 

したがって、人間である以上バイアスがあることは仕方のないことだ、と考えたうえで自分がそうした各種バイアスに汚染されていないかどうか、ということに常に配慮が必要です。

メンタルを軽視するとどうなるのか

物質的、あるいは具体的なものが重んじられる一方で、メンタルというのはどことなく抽象的でややもすると軽視されがちです。

しかし、メンタルを軽視するのは非常にもったいないことだと前述しました。

もし、メンタルを軽視するとどのような不具合が起こるのか、それについて解説します。

 

まず、その解説の指針として冒頭で少し触れた「欲望と恐怖」についてもう少し掘り下げます。

「欲望」とは、簡単に言うと「もっと欲しい」という気持ちです。プラス方向に行き過ぎた気持ちということもできます。

その反対が「恐怖」であり、「失いたくない」とか「取り返したい」というような気持ちです。マイナス方向に行き過ぎています。

 

以下、メンタルが欲望に触れている場合の不具合と、恐怖に触れている場合の不具合とに分けて解説します。

欲望に偏るとどうなるのか

メンタルが安定の状態から欲望に偏った場合、まず起こるのが現状認識が甘くなるということです。

というよりも、自分の都合に合わせて考えてしまうのです。

 

具体的には、志望校がここなのだから、最終的にはここの合格にあわせて学力も上がるだろうという思い込みです。

実際には、学校に合わせてどのように勉強するのかを考えて、継続的に勉強することが重要なのですが、それを飛ばして結果だけを求めてしまうということです。

確かに、結果さえ手に入れば過程などどうでもよいと思うかもしれません。

 

しかし、再現性という言葉があります。

自分の人生は受験が終わった後も続くわけで、そこでもやはり勉強家それに類することをしなければなりません。

そこで同じように成功するためには、今までの経験の蓄積が大事なわけですが、再現性がないといつも振出からのスタートです。

 

また、ほかには目標が抽象的になるという不具合も生じます。

例えば、この科目であと〇点上げたい、もし〇点上がればこの学校に受かりそう、というものです。

これも具体性を伴っていないと、ただの程度の低いお祈りです。

 

このように、「もっと欲しい」という欲望は、どんどん前のめり的になり、結果のみを求めようとしてしまうのです。

恐怖に偏るとどうなるのか

他方、対極にある恐怖についてはどうかというと、実は欲望と非常に似通っています。

例えば、テストで偶然ヤマが当たって自分の実力だと勘違いしている人と、成績が急落して急いで参考書を買い漁っている人の心理状態は非常に似通っているといえます。

両者とも、「結果が欲しい」と思いながらも、「その結果を得るための過程」が具体的にイメージできていないのです。

 

したがって、恐怖に支配された人からは、結果も離れて行ってしまいます。

上記の参考書の話で言えば、確かに参考書など道具の良しあしの問題はあるでしょう。

しかし、それ以上にその道具を使う使用者のほうに問題はないでしょうか。

参考書を買ったはいいが、結局長続きしないで冒頭だけやって投げていないか、あるいは「×を〇にする」という意識が欠けていないか、などです。

 

このように、「もう失いたくない」という恐怖は、ある意味欲望と同じ結末にその持ち主を連れて行くわけです。

おわりに:メンタルを強く持つには

メンタルを支えているのは、確かな成功体験です。

根拠もなく強いメンタルを持つことなど、常人にはできません。

 

確かな成功体験を得るためには、すでに同じように成功しており信頼できる先生を探すことが最も大切だと思います。

そして、どうすれば成功し、どうすればうまくいかないか、ということを体で覚えましょう。

そうすれば、今自分の置かれている状況や判断について、適切な感覚が身についてきます。

 

くどいようですが、メンタルなしに勉強、ひいては人生での平穏・安定・成功というのはないと思います。

確固たるメンタルを得ることは容易ではありませんが、他方で得ることが難しいからこそ一度身に着ければ一生モノの財産になるでしょう。