AI時代の学習の意義・番外編
AI時代に、なぜ小中高で学ぶのか
――大学4年間という「自由な時間」を使いこなすために
AIやDXについて語られるとき、「これからはAIの時代だ」「今までの勉強だけでは通用しない」「大学に行くだけでは意味がない」といった強い言葉を耳にすることがあります。
もちろん、AIが社会を大きく変えていくことは間違いないと思います。生成AIは、文章を書き、要約し、翻訳し、計算し、資料作成や調べものを助けてくれます。今後、フィジカルAIやロボット技術が発達すれば、知的作業だけでなく、身体を使う仕事の一部も変化していくでしょう。
しかし、そのような話を聞くたびに、私は少し立ち止まりたくなります。
AIが発達するから、大学は不要になるのでしょうか。
AIが答えを出してくれるから、小中高で学ぶ意味は薄れるのでしょうか。
AI時代の学びは、「労働市場の勝者になるため」だけにあるのでしょうか。
私は、むしろ逆ではないかと思っています。
AI時代だからこそ、人間には「自分の時間をどう使うか」を考える力が必要になります。そして、その力を育てるうえで、大学4年間という時間、さらにその前段階としての小中高の学びは、ますます重要になるのではないかと思います。
この記事では、AI時代における大学の意味、そして小中高で学ぶ意味を、私が普段の指導で大切にしている「構造」「再現性」「規律」という3つの観点も交えながら考えてみます。
連載全体の考え方については、先に第1回:これからのAI時代における学習の意義を読んでいただくと、全体像がつかみやすいと思います。
大学4年間は「労働市場の勝者になるため」だけの時間ではない
近年、大学の価値は「労働市場の勝者になるため」という観点から語られがちです。
よりよい就職につながるか。将来の収入に見合うか。費用に対してどれだけ回収できるか。いわゆるコスパやタイパの発想です。
もちろん、これは現実的に大切な視点です。大学進学には時間もお金もかかります。家庭の負担もあります。進学を考えるうえで、将来の職業や生活を無視することはできません。
しかし、大学の価値を「労働市場の勝者になるため」だけに狭めてしまうと、大学4年間という時間の本当の意味を見失ってしまうのではないかと思います。
大学4年間とは、人生の中でもかなり特殊な時間です。高校までのように時間割が細かく決められているわけではなく、社会人のように仕事上の責任に毎日追われるわけでもありません。
授業を選ぶ。
本を読む。
人と話す。
アルバイトをする。
サークルやゼミに参加する。
自分の関心が変わる。
失敗する。
迷う。
何者でもない自分と向き合う。
こうした時間は、単なる「空き時間」ではありません。実際に体験される幅を持った時間です。
人間は、知識だけで形づくられるわけではありません。どのような時間を過ごしたか、どのような人と出会ったか、どのような問いに悩んだかによって、少しずつ形づくられていきます。
その意味で、大学4年間は、人間性の一部を構成する時間でもあると思います。
コスパやタイパでは説明しづらい価値
ただし、この価値には一つ難しい点があります。
大学4年間の価値は、コスパやタイパだけでは説明しづらく、実際にその時間を過ごした人でなければ実感しにくい面があります。
ゼミで議論したこと。本を読んで考えたこと。友人と話して価値観が変わったこと。すぐには役に立たない学問が、数年後にふと効いてくること。地元や家庭から少し距離を取って、自分自身を見直すこと。
こうした経験は、数字では測りにくいものです。資格のように見えやすい成果でもなく、就職先の名前だけで説明できるものでもありません。
だからこそ、大学に行く人が減り、大学的な時間を経験した人が少なくなるほど、大学の意義そのものが社会の中で理解されにくくなる可能性があります。
大学の価値は、ある意味で、大学を経験した人によって再生産されている面があります。大学で自由に考え、人とつながり、学問や社会と出会った人が、その価値を次の世代に語る。そうして初めて、大学の意味は社会の中で保たれていくのだと思います。
もちろん、大学に行かない人生を否定する必要はありません。進路は一人ひとり違います。早く働くこと、専門学校で技術を身につけること、家業を継ぐこと、別の形で学ぶことにも、それぞれの価値があります。
ただ、大学に行かない選択を尊重することと、大学という時間の価値を社会から消してしまうことは別です。
AI時代だからこそ、すぐ役に立つかどうかだけではなく、時間をかけて考える経験、他者と出会う経験、社会との距離を測る経験を、どう守るかが重要になるのではないかと思います。
AIは仕事の一部を代替できても、社会の構成員にはなれない
AIは、今後さらに多くの作業を代替していくかもしれません。文章作成、翻訳、計算、資料作成、プログラミング、データ分析など、すでに多くの場面でAIは人間の仕事を支えています。
しかし、AIは「社会の構成員」として生きる存在ではありません。
AIは、地域で暮らすわけではありません。家族を持つわけでも、友人関係に悩むわけでもありません。消費者として何かを選び、文化を楽しみ、政治に参加し、社会の将来について責任を引き受けるわけでもありません。
AIは社会の機能を支えることはできます。
しかし、社会そのものを生きる主体ではありません。
だからこそ、人間の側には、単にAIに負けないスキルを身につけるだけでなく、「どのような社会で生きたいのか」「何を大切にして働くのか」「人とどうつながるのか」を考える時間が必要になります。
大学4年間という時間には、その役割があります。
それは、すぐに役立つスキルだけを詰め込む時間ではありません。むしろ、自分の関心を探し、人と出会い、社会との距離を測り、自分の生き方を少しずつ考える時間です。
AI時代だから大学はいらない、というより、AI時代だからこそ、人間には大学的な時間が必要になる。私はそう考えています。
学びを社会との関係から考える視点については、第3回:公共性から考える「社会で通用する教養」でも整理しています。
大学4年間を有意義に使える人が増えれば、社会の風通しもよくなる
大学4年間を本来の意味で有意義に過ごした人が増えれば、社会そのものも少しよい方向に変わるのではないかと思います。
たとえば、大学で異なる考え方に触れた人は、社会に出てからも一つの価値観だけで物事を決めつけにくくなります。
すぐには答えが出ない問いを考えた人は、短期的な損得だけで判断しにくくなります。
自分の専門外の世界に触れた人は、他者の仕事や人生に対して、少し想像力を持てるようになります。
こうした人が増えることは、社会の風通しをよくすることにつながると思います。
逆に、社会全体が「すぐ役に立つか」「稼げるか」「効率がいいか」だけで動くようになると、短期的には合理的でも、長期的には息苦しい社会になりかねません。
大学という時間には、効率だけでは測れないものを一時的に守る役割があります。すぐに答えが出ないことを考える。役に立つかどうか分からない本を読む。異なる価値観の人と出会う。こうした経験が、社会の空気の通り道を作るのではないかと思います。
もちろん、大学に行けば自動的にそうなるわけではありません。4年間を何となく過ごせば、ただ時間が過ぎてしまうこともあります。
だからこそ重要なのは、大学4年間を「自由な時間」として使いこなす力です。
自由とは、何もしなくてよいということではありません。自由とは、自分で選び、自分で考え、自分で維持する必要がある、かなり難しいものです。
小中高の学びは、大学4年間を設計するための土台である
ここで、小中高の学びの意味が見えてきます。
小中高の勉強は、単に受験のためだけにあるのではありません。もちろん、入試に向けた学力は必要です。定期テストも、内申も、進路選択も現実には大切です。
しかし、それだけではありません。
小中高で身につける読解力、計算力、語彙力、書く力、聞く力、考える力、計画を立てる力、約束を守る力、分からないことを質問する力。これらは、大学という自由度の高い時間を使いこなすための基礎になります。
大学では、誰かが毎日細かく管理してくれるわけではありません。
何を学ぶか。
どの授業を取るか。
どの本を読むか。
どの人とつながるか。
どのテーマを深めるか。
どのように生活を整えるか。
こうしたことを、自分で少しずつ決めていく必要があります。
そのとき、小中高での学びが土台になります。
文章を読めるから、本や資料に向き合える。考えを言葉にできるから、人と議論できる。数学的に整理できるから、複雑な問題を分解できる。英語を学んできたから、外の世界に触れやすくなる。学習習慣があるから、自由な時間を完全には崩さずにすむ。
つまり、小中高の学びは、大学4年間という自由を「ただの空白」にしないための準備でもあります。
構造・再現性・規律という3つの観点
私が普段の指導で大切にしている言葉に、「構造」「再現性」「規律」があります。
この3つは、小中高の学びを大学4年間につなげて考えるうえでも、とても重要だと思っています。
構造:目の前の一問の背後にある仕組みを見る
「構造」とは、目の前の一問だけでなく、その背後にある仕組みを見ることです。
国語であれば、文章の内容だけでなく、筆者が「具体例から主張へ進んでいるのか」「対比を使って説明しているのか」「原因と結果で整理しているのか」を見る。
数学であれば、答えだけでなく、「何が等しいから方程式になるのか」「速さ・時間・道のりのどれを整理しているのか」を見る。
英語であれば、単語の意味だけでなく、「主語と動詞はどれか」「接続詞の前後はどうつながっているか」を見る。
生活面でも同じです。「提出物を出せなかった」という結果だけを見るのではなく、「いつ確認する仕組みがなかったのか」「どの時点で止まったのか」を見る。
これが、構造を見るということです。
国語の読み方については、第5回:国語(現代文)でも詳しく整理しています。
再現性:たまたまできた一回で終わらせない
「再現性」とは、たまたまできた一回で終わらせず、次も同じようにできる形にすることです。
国語なら、何となく正解したで終わらせず、根拠に線を引き、選択肢の違いを説明できるようにする。
数学なら、今日は解けたで終わらせず、「情報整理 → xを置く → 何が等しいかを考える → 式を作る → 答えを書く」という順番を固定する。
英語なら、訳を覚えたで終わらせず、主語と動詞を確認し、修飾語や接続詞の働きを見て、別の文でも同じ読み方ができるようにする。
勉強習慣でも同じです。やる気がある日にだけ勉強するのではなく、「帰宅後10分で提出物を確認する」「授業後に間違えた問題を1つだけ説明する」など、毎回同じ形で始められるようにする。
これが、再現性です。
数学の学び方については、第7回:数学(算数)編①と第8回:数学(算数)編②でも触れています。
規律:自由を使うための自分との約束
「規律」とは、自由を使うための自分との約束です。
規律というと、厳しく縛るもののように聞こえるかもしれません。しかし、私はそうではないと思っています。
規律は、人を縛るためではなく、自由な時間を空白にしないためにあります。
たとえば、「今日は何ページやる」だけでなく、「何ができるようになったら終わりにする」と決める。
「スマホを絶対使わない」ではなく、「20分だけ机の外に置く」と決める。
「毎日完璧に勉強する」ではなく、「できなかった日は、翌日に5分だけ立て直す」と決める。
こうした小さな規律があるから、自由は単なる放置ではなく、自分のための時間になります。
大学4年間という自由な時間を有意義に使うにも、この規律が必要です。自分で予定を立てる。本を読む。人と話す。興味のあることを掘る。失敗しても立て直す。
小中高での学びは、この「構造」「再現性」「規律」を少しずつ身につける時間でもあります。そして、この3つがあるからこそ、大学4年間という自由な時間を、自分で設計し、維持し、意味あるものに変えていけるのだと思います。
AI時代の学びは、「AIに負けないため」だけではない
AI時代の学びというと、どうしても「AIに負けないため」「AIを使える人材になるため」という言い方になりがちです。
もちろん、AIを使えることは大切です。これからの社会で、AIをまったく無視して生きることは難しいでしょう。
しかし、それだけでは学びの意味を狭く見すぎてしまいます。
仮に将来、AIが今よりもはるかに万能になったとしても、人間が学ばなくてよい、ということにはならないと思います。
なぜなら、人間は仕事をする存在である前に、生活する存在であり、選ぶ存在であり、自分の人生を引き受ける存在だからです。
AIが便利になるほど、私たちは多くの情報や商品や娯楽をすすめられるようになります。そのとき、何を信じるか、何を選ぶか、何に時間を使うかを考える力が必要になります。
AIが答えを出してくれる時代だからこそ、人間は問いを持つ必要があります。
AIが作業を効率化してくれる時代だからこそ、人間は時間の使い方を考える必要があります。
AIが多くの情報を処理してくれる時代だからこそ、人間は何を大切にするのかを考える必要があります。
その意味で、小中高の学びは、AIに負けないためだけのものではありません。
AIが存在する社会の中で、人間が自分の時間を引き受け、考え、他者とつながり、自分の人生を設計するための土台なのだと思います。
よい消費者であるために学ぶ
また、学ぶことは「よい消費者」であるためにも必要だと思います。
ここでいう「よい消費者」とは、単に騙されない人、広告や評判に流されない人という意味だけではありません。
もちろん、AIが広告・口コミ・おすすめ情報を最適化してくる時代には、何を信じ、何を選ぶかを考える力はますます重要になります。レビュー、SNS、動画、ニュース、広告、AIによる要約。そうした情報をそのまま受け取るのではなく、少し距離を取って考える力は必要です。
しかし、それだけではありません。
学ぶことは、モノやサービスを心から理解して楽しむ力にもつながります。
背景を知る。仕組みを知る。歴史を知る。作り手の意図を想像する。そうすることで、同じものを見ても、味わえる深さが変わります。
たとえばスポーツを見るにしても、ルールや戦略や歴史を知っているほうが深く楽しめます。音楽を聴くにしても、歌詞、作曲、カバー元、時代背景を知っていると、感じ方が変わります。服を選ぶにしても、色、素材、ブランドの文脈、自分にとっての意味を考えると、単なる買い物ではなく、自分の表現になります。
つまり、学びは「騙されないための防御」であると同時に、「世界をより深く楽しむための力」でもあるのだと思います。
AI時代において、人間が学ぶ意味は、労働市場の中だけに閉じ込められるものではありません。
よく働くためだけでなく、よく選ぶため。よく楽しむため。自分自身の主であるため。年齢を重ねても世界と関わり続けるため。
そのためにも、学び続ける意味は残り続けると思います。
英語を学ぶ意味についても、単なる入試科目ではなく、世界の見え方を広げるものとして、第9回:英語編で整理しています。
家庭教師として大切にしたいこと
家庭教師の白井では、単に目の前の問題を解けるようにするだけでなく、学び方そのものを整えることを大切にしています。
国語であれば、文章の内容だけでなく、筆者がどのように説明しているかを見ます。数学であれば、答えだけでなく、どのように情報を整理し、式にするかを確認します。英語であれば、単語や文法だけでなく、文のつながりや読み方の型を大切にします。
これは、目先の点数のためだけではありません。
将来、大学や社会で自由度の高い時間を与えられたとき、自分で考え、自分で立て直し、自分で学び続けるための準備でもあります。
AI時代だからこそ、学びは単なる暗記や作業では終わりません。
むしろ、読むこと、考えること、書くこと、説明すること、計画すること、自分の時間を守ること。そうした一つ一つの積み重ねが、これまで以上に大切になるのだと思います。
実際にAIや動画を使った自学自習の進め方については、動画×AIで“手が止まらない”自学自習へでも具体的に書いています。
また、AI時代に対面授業がなぜ必要なのかについては、動画授業&生成AIの時代:対面授業の価値は「教える」から「設計と伴走」へもあわせて読んでいただければと思います。
おわりに
AI時代に大学は不要になるのでしょうか。
私は、そうは思いません。
むしろ、AIが仕事の一部を代替する時代だからこそ、人間には、自分の時間をどう使うかを考える力が必要になります。
大学4年間という時間は、人が自由を体験し、考え、迷い、人と出会い、自分の関心を深めるための貴重な時間です。
そして、その4年間を有意義に過ごすには、小中高での学びが欠かせません。
小中高の学びは、受験のためだけではありません。大学という自由な時間を設計し、維持し、意味あるものにするための土台です。
その土台を、私は構造・再現性・規律という3つの言葉で考えています。
構造を見ることで、目の前の一問の背後にある仕組みが見えます。再現性を意識することで、たまたまできた一回を、次も使える力に変えられます。規律を持つことで、自由な時間を空白にせず、自分のものとして使えるようになります。
AI時代の学びの意義は、AIに負けない人間になることだけではありません。
小中高で「構造」「再現性」「規律」を身につけ、大学4年間という自由な時間を使いこなし、社会の中で自分の時間・判断・楽しみ方を引き受ける人間になること。
そのために、今日の一問、今日の一文、今日の学習習慣があるのだと思います。
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