学習コラム|ノートの取り方

ノートは未来の自分に宛てて書くもの|私のノートの取り方

学校で黒板に書かれたことをノートに書き写すのは、人によってはあまりにも当然のこと過ぎて、 いちいち「なぜノートをとるのか?」が置き去りになっていることがあります。

この記事でお伝えしたいこと

  • ノートは、先生に見せるためだけではなく、未来の自分が読み返すために書くものです。
  • 単語の羅列や箇条書きだけでは、あとで読んだときに授業内容を再現しにくいことがあります。
  • 自分に合った字の大きさ・余白・文章化の工夫をすると、復習しやすいノートに近づきます。
  • ノートの取り方は、勉強そのものの姿勢を映す鏡でもあります。

はじめに:ノートについての誤解

しかしながら、少なくとも授業やテストのためならば、ノートをとることには目的が必要であり、 ノートの取り方もその目的に沿ったものでなくてはなりません。

以下では、私自身の学習経験や、生徒さんのノートを拝見した経験から、 ノートの取り方のパターンとそれに対する私のコメント、 そしてノートの取り方を変えていくアイディアについてご案内します。

関連する考え方

ノートの取り方は、単なる「きれいさ」の問題ではありません。 勉強を続けるためには、内容を 単純化すること、 「例えば?」と具体化すること、 そして同じ作業を再現できる形に整えることが大切です。

具体例①:ノートは未来の自分に宛てて書くもの

生徒さんのノートを拝見していると、丁寧な字の方もいれば、 反対に「これは自分でも読めるのか?」と思うような乱雑な字の方もいらっしゃいます。

もちろん、習字の時間ではありませんから、きれいな字を書く必要はありません。 それでも、スムーズに読める程度の丁寧な字である必要はあります。

また、字そのものは普通に読めるものであっても、行間が狭すぎたり、行が右下がりだったりするなど、 「文章」として読むときに読みづらさを感じるものも、できれば修正が必要です。

ノートは、学校の先生に提出して成績をもらうためだけのものではなく、 むしろ「未来の自分」に宛てて書くものです。

仮に、学校の先生の「よいノートの基準」が自分とは異なっていたとしても、 自分自身が読みたくなくなるようなノートの書き方は避けるべきです。

もちろん、「未来の自分が読みたくなるノート」の条件は、 文字や行が丁寧で整っていることだけではありません。 その点について、次に具体的に見ていきます。

アイディア①:行やマス目を自己流に活用する

行やマス目があるノートでも、それにそのまま書き込むのでは窮屈だと思うことがあります。 私は文字が大きいので、特に小さい字を丁寧に書くことには負担を感じます。

その場合には、ノートの罫線やマス目を活用し、 「2行の大きさで1文字を書く」とか、 「4マスの面積に1文字を書く」などを試してみるとよいと思います。

もちろん、罫線通りに丁寧に文字を書ければ、見栄えはとてもいいです。 しかし、ここで肝心なことは継続できることです。 自分に合った文字サイズを補助してくれるような環境、つまり自分に合ったノートを探すとよいでしょう。

具体例②:ノートだけを見れば、完結すること

ノートは、それを見るだけで内容が頭に入ってくることが大事です。

例えば、授業を聞いていてキーワードが出てきたときに、それをメモする人がいます。 確かに、それは無意味とは言いません。 それを単独でテストされるなどの事情があれば、「単語を羅列」したり、 重要だと言われたことを「箇条書き」で書いたりすることには意味があるかもしれません。

一方で、自分の復習用として、単語の羅列や箇条書きだけになってしまうことは、お勧めできません。

先ほどの「ノートは未来の自分に宛てて書くもの」で触れた通り、 未来の自分が一読してわかる内容であることが必要です。 つまり、ノートに加えて授業をもう一度受けないとわからないノートや、 教科書・参考書などを見返さなければ内容が理解できないノートは、 「一読してわかるもの」とは言いにくいのです。

そのため、ノートの内容は多少手がかかったとしても、 ノートだけを読めばわかるようにしておくことが理想的です。

アイディア②-1:用語の意味や図表などをノートに書き写す

自分が当たり前に知っている用語の意味は、わざわざ書き写す必要はありません。 しかし、書いている時点で曖昧だったり、 「これは忘れるだろうなぁ」と思ったりしたものは、 意味内容やそれが出てくる状況などを書き写して、 一読して思い出せる状態にするべきです。

また、図表などが教科書や参考書にあり、 それを確認することがノート本文の理解に必要であると考えられる場合には、 その図表はノートに書き写しておくとよいでしょう。

このとき大事なのは、正確さや厳密さにこだわり過ぎることではなく、 「あとで見返した自分がわかればよい」という感覚です。

アイディア②-2:ノートを文章化する

一見すると、とても面倒な作業に思われるかもしれません。 しかし、ノートを文章化することには大きく2つの意義があります。

  • 単語の羅列や箇条書き以上に、物事をわかりやすく伝えられること
  • 書いている時点の自分の理解度を試せること

とりわけ、自分自身で書いた文章は自分の分身ともいえます。 他人が書いた文章よりも、自分にとっては読みやすいと感じるはずです。

また、理解が不十分だったり、表面的だったりするならば、 その状態で書いたノートの文面は自然と浅いものになります。 これは、ノートを書いている瞬間にも自覚できますし、 あとで見返したときにも 「ここは飛ばさずに復習して深めないといけないな」と気づくきっかけになります。

これは「楽をして勉強する」ためには、とても重要な仕分け作業です。 すべてを全力で復習しなくてもよくなる、というメリットもあります。

関連記事: 国語と再現性:感覚科目を“再現できる作業”に変える方法

アイディア②-3:ノートを2冊、授業用と復習用に分ける

これも手間がかかりますし、私は実践したことがないのですが、 実践している方の話によれば、とても効果的だということです。

これは、上記の「ノートを文章化する」とも重なります。 授業の復習を、ノートを取り直すという形で行っているということだと思います。

また、授業中と違って時間の制約があまりないため、内容を充実させることもたやすいでしょう。 「復習をしたいけれど、暗唱したり何かを見返したりするだけでは不安だ」という方には、 向いている方法です。

余談:私のノートの取り方の変遷

たまに例に出すことがあるのですが、私は大学時代にノートの取り方を意図的に変えました。

具体的には、それまでは講義で聞いた「重要そうなワードや表現」を羅列したり、 箇条書きにしたりしていました。 しかし、そのことによって授業を理解した気分にもなれず、 どこか「空振り」をしているような大学時代でした。

しかし、おそらく2年生の前期か後期のどちらかだったと思いますが、 「ノートの取り方がこのままだと、この先やっていけないのでは?」という不安を感じました。

そこで、 「ノートを文章でとって、授業1回分を1つのチャプターのようにするのはどうだろうか」 というアイディアが浮かんできました。 そして、それを実践してみたら、想像以上に頭の体操になり、 授業を受けているという実感が増した、ということがありました。

白井が大学時代に日本法制史の授業で取ったノート画像1
大学時代のノート例①:文章化して授業内容を整理したもの
白井が大学時代に日本法制史の授業で取ったノート画像2
大学時代のノート例②:箇条書きは最小限にし、流れを残したもの

ほとんどのノートはもはや手元にはありませんが、1冊だけ手元に残っていたので、 その写真を参考までに掲載します。 これは3年生の時に、日本法制史の授業の際にとったノートの紙面です。

今見返してみても、「よくこれだけ書いたなぁ」というくらい、 文字が無地のノートの紙面いっぱいに並んでいます。 また、箇条書きは最小限度にとどめているように見えます。

ただし、現在の私はここまで文章化されたノートはとっていません。 それよりも、借り物の言葉ではなく、 自分の言葉で言い換えることに力を入れています。

補足

私自身の大学時代の学びについては、 九州大学法学部時代 にもまとめています。 また、文章を読む・書く・説明する力については、 国語の記事まとめ もあわせてご覧ください。

総括:ノートは自分を映す鏡

以上のように、ノートや、そこに書かれた文字や文章は、 その人を映す鏡だといえます。

勉強というものは、向き合いたくない自分と向き合う行為という、 あまり美しくない側面もあります。 とりわけ、ノートはその最たるものだと思います。

ただ、あまり小ぎれいで無難なノートばかり取っていると、 自分のためにはならないでしょう。

そのため、ノートをとる作業というものは徹頭徹尾、 未来も含めた自分のためであるという価値観には、 合理性があるように思えます。

呉市で、勉強のやり方から整えたい方へ

ノートの取り方は、単に「きれいに書く」ためのものではありません。 何を理解し、何が曖昧で、どこを復習すべきかを見える形にするためのものです。

家庭教師の白井では、教科内容そのものだけでなく、 ノートの取り方・復習の仕方・日々の学習の組み立て方まで含めて、 1対1で一緒に整えていきます。

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